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思考整理と備忘録を兼ねて

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不惑の40をむかえて、人間的成長に乏しい自分を変えたい。

いまだに好きか嫌いかの二元論で物事を強引に判別しようとしている。

良いか悪いかの基準を無視する暴論は逃げだ。

俺は今、人生最高に苦しんでいる。

同時にこれまで培ってきた経験による耐性が俺自身をささえている。

つまりは今回折れてしまったら俺は立ち直れない危険性をはらんでいるという事だ。

俺はいったい何者なんだという青臭い考えに未だ支配されている。

このままではきっと何物にもなれず、誰も幸せにすることはできないだろうと思う。

文章推敲はしない。

ひたすら自身のブレストをアウトプットする、

すっからかんになるまで続ける。

その作業に飽きたら、これからの人生にとってインプットするべきものが見えてくることを期待して、先ずはカタルシスを得ようと思う。

結果的に不毛かもしれない。

オナニーに似た空しさを覚えるかもしれない。

それでも何もしないよりはましだと自分に言い聞かせて、

くだらないと思っていた真面目なことを続けてみようと思う。


まずは自分の人生の棚卸をする。


40年のトピックス


0歳 秋田の田舎に生まれた。

2歳 親父の脛をトンカチで殴る。喧嘩デビューだ。

3歳 いじめられっこのひさし君をいじめっ子から守ってやった。ストリートファイトデビューだ。でも毎日女の子に間違えられていた。お袋の趣味でおさげ髪だったし、顔も女の子みたいだったから仕方がない。俺は女じゃねーと叫んでいたことを鮮明に覚えている

5歳 大曲に引っ越す。足長蜂に足をさされた。幼稚園に行かなかったので、このころの記憶は乏しい。大雪の日にミロを飲んでいた時に、お袋の事を大好きだと思っていた気持ちだけ覚えている。

6歳 刈和野に引っ越す。幼稚園に入ったが標準語しか話せず、奈々子にいじられたことを覚えている。比較的暗い子だったような気がする。みきこに追いかけられて無理やりチューをされ、気持ち悪いと思って水道で口をゆすいだことを今思い出した。

7歳 このころの記憶が全く抜けている。親父とお袋が別居したのはおそらくこのころなのだろう。 親父に関する記憶が全くない。

8歳 ちょっとだけ輪番のいじめにあったような気がする。ムカついたから拓也を殴ったらおさまった。同様に輪番のいじめにあっていた勇が暴れたから、取り押さえようとしたら頭を椅子でたたかれ、その拍子で机に頭をぶつけて、出血して何針か塗った。でも俺の中の記憶では、椅子でたたかれた後、心配してほしくてわざと机に頭を机にぶつけて血を流した記憶になっている。山形にお袋と妹と家出をしたのも多分このころだと思う。村下こうぞうの帰郷という歌の最後のフレーズだけ今でも覚えている。

9歳 クラスで一番野球が上手だったことを覚えている。喧嘩も強かった。あとはあんまり覚えていない。

10歳 髪の毛を切りたくなくて、野球部に入らず水泳部に入った。少林寺拳法をお袋に無理やりやらされた。このとき、お袋に毎日遊びに来る、俺をかわいがってくれた佐々木さん?って、お袋の男だったんだろうか? たんたけちゃんとたけ兄さんとひろこ姉ちゃんとアツコ姉ちゃんが毎日家に来ては俺をスナックに連れて行った。優しくしてくれるんだけどとても迷惑で、愛憎相半ばする感情の存在に気がついたのはこのころだ。 ほどなくして親父と再会し、料亭で飯を食った。それまでの母子家庭では見たこともない高級な料理だった。そして帰りの車で、あれが俺の親父なんだと思って涙を流した。窓の外のヘッドライトがにじんでいた映像は今でも忘れないが、センチメンタルな気分には一切ならない。

11歳 親父が町営アパートに出入りするようになる。毎日よっぱらって帰ってきては暴れやがる。その存在は恐怖と憎しみの入り混じったおぞましいものだったが、同時に無条件に愛を持つべきだという強迫観念に支配されていたように思う。泣きじゃくる妹の頭を撫でては、お兄ちゃんがいるから心配するなと慰めていた。人に甘えるなどという感情は弱さだと思っていた。泣いた記憶などもちろんない。お袋に首を絞められて殺されかけた。その時はそれでお袋が楽になるならという諦念から笑顔で目を閉じた。お袋は正気に戻ったのか俺を抱きしめて狂ったように泣いた。首を絞めている時の夜叉の顔は、俺にとって女の裏の本質であるという誤解?がここで潜在意識にインプットされた。このころお袋にはよくぶんなぐられ、気絶したこともある。髪の毛を裁ちばさみで無残に切られたこともある。
一方、暴れる親父をいつか体が大きくなったら殺してやると思っていた。
お袋は直接的に、親父は間接的に幼い俺に暴力を染み込ませた。
お隣さんの光良がいじめられているのを見て、いじめっ子の先輩をぶんなぐっていた。
喧嘩は最強だった。
親父に頭を下げる人たちの指や目が無かった。それが親父って偉いんだという誤解につながった。そう理解する事によって親父に対する憎悪の感情を自尊心に転化する以外に状況を肯定する方法を見いだせなかった。とにかく気の強い子供だった。

12歳 尚が毎日新田君にいじめられていた。人をいじめるやつが大嫌いだったから、新田君をぶんなぐった。次の日から新田君がいじめられっこになった。 ハンサム1位に選ばれた。生徒会長だった。女子からは嫌われていた。犬をかわいがっている女を見て偽善者めと罵る子供だった。坊主にするのが嫌だから戸田に転向しようとしたら、ひでぼ達が止めたから、転向するのを辞めた。心は荒んでいたが、卒業式では何故か泣いた。自分の感情も他人の感情も努めて理解しようとしない子供だった。俺は強いんだという自尊心だけがこのころの自分を支えていたように思う。少林寺拳法の県大会で優勝した。水泳の県大会ではビリから2番目だった。菊池先生に、あなたみたいな生徒は教師生活30余年で初めてですと叱られた。何が悪いのか全く分からなかった。

13歳 女が大嫌いだった。好きだとか言ってくる女には特に辛く当たった。性に目覚めて女のブラジャーを外そうとする男を見て、情けないことをするなと喧嘩した。あだ名はチビだった。自分の背が低いことをその時はじめて認識した。これまで喧嘩で無配だったが、体力で全くかなわなくなった。しかし気の強さだけは残っていたので、ケンブ―に目を付けられ、毎日集団で暴力を振るわれた。いつかやっつけてやるとメンチだけ切っていた。でも内心は怖かった。自分が勉強が得意だったんだとテストをやって初めてしった。社会以外はほとんど満点で、天才と言われた。知能指数テストは秋田県で2位だった170~200以上?あると言われたが、それが相対的にどんな数値なのかは良く知らない。ただ、なんでこんな簡単な問題が解けないんだろうと、周りの人間すべてが馬鹿に見えたし、実際内心ではあるが馬鹿にしていたように思う。俺にとってはテストの点数なんて不必要だった。ただもっと強くなりたかった。自分以外のすべての人間を暴力で支配したいといつも考えていた。結局坊主にしなくてはいけなかったから野球部に入った。

14歳 野球部で準レギュラーになった。絵を描くこと以外に出来ないことはほとんどなかった。俺はこいつらとは違う人間だから、こんな田舎にいたくないと強く思うようになった。後輩には何故か人気があった。先輩にジュースを買いに行かせる子供だったけど、後輩を小間使いしたことは一度もなかった。頼んでもいないのに康男がユニフォームを選択してくれた。複数の後輩が毎日家に遊びに来た。研ちゃんと呼ばれていた。とにかく男らしくありたかった。佐川先生には柳澤君の担任にはしないでくださいと言われた。授業中いつも寝てることを注意されたけど、テストは満点だったので授業を受ける必要はないと口答えしたからだ。ふじやまがいじめられていた。女子のいじめは陰湿で投稿拒否になっていた。その時唯一優しく守ってくれたのが研だったよと大人になって感謝されたが覚えていない。要するに自分より強いものに反発し、弱いものは守るという行動規範を持ち、自分は特別な人間だと勘違いしていたように思う。殆どの人間は嘘つきだと思っていたし、わかるような稚拙な嘘をつくなと思っていた。殆どの人間は下劣で生きる価値がない存在だと思っていた。




ここまで読み返してみて、屈折した自尊心からくる驕りと、女性に対する嫌悪と、他人に対する無関心と、親に対する愛憎と、妹に対する無償の愛と、、、複数の複雑な感情のカオスのなかで自分の心を殺し、弱い人を助けるという行動規範を半ば妄信的に追及する事でギリギリ自分の自尊心を形成しようとあがいていた子供だったという気がする。

とにかく男らしくありたかった。

さみしいなんて思ったことは恐らく一度もなかった。

同時に興味の対象も何もなかった。

我ながら嫌なガキだな。。。


今日はもう辞めた。

極力客観的に書こうと思ったけど、何やら自分で自分を歪曲した表現で褒めている気持ちの悪い文章になってしまった。

客観なんて所詮は極力第三者的に自分を見つめようとする主観の事を指すのだろう。

自分の嫌な部分が如実にでた、

結果的に意味のある作業となった。

まずはテーブルに全て並べてみよう。

それらを整理して分類して、捨てたりひっくり返したりしたら、

少しは自分の事を愛せるようになるかもしれない。

ねじまがった裏付けのない自尊心なんかじゃなくて、

極めて純粋な、半ば本能的とすら思えるような説明のつかない愛情の存在を認識したい。


この間、歩と口論をした。

彼女は愛情に理由は無いと言った。

俺は原因のない結果は存在しないと屁理屈を並べた。

微妙に議論の軸をずらして逃げはしたが、

この勝負は完敗であると認めよう。

なぜ理由が無いのか、彼女の口から納得のいく説明をされていたら、

俺は彼女にこの命を捧げたかもしれない。


また明日、掘り下げて考えてみよう。

きっとそのことが今後の人生にとって最も重要な命題であり、

最終的にシンプルな気持ちに決着出来たら、

二度とふたたびこんな思考がループする無間地獄に入り込むことは無いだろうと期待して。


本日はおわり。