タイトルを見て、
「宗教団体の人か。まあ見て嘲笑ってやるか。」
と思った方もおられるでしょう。

残念!僕は無宗教の普通の大学生です。ニヤリ

では何故このようなタイトルにしたか。

それは僕の過去の経験と
尾崎豊が伝えたかった
と予測されることに直面したからです。

このブログを書いた日から、もしかしたら
私は神によって死に至る、もしくは、それに近い運命を歩むことになるかもしれません。

何故なら、神様が創り出したシステムをブログにするからです。

それでもいいから伝えたい、いいたいと思いブログに綴らせていただきます。

僕は以前のブログを見れば分かりますが、
ある創作活動に所属していました。

そこで、「人生の本当の楽しみ方」について
考えさせられ、
その楽しさを実感しました。

大人の皆さんが
「楽しい」とか「趣味」として味わっていること。

それは生活できて初めてできることだと大半が
認知しています。
要するに大半の考え方は、
「楽しさは、欲や向上心があって
はじめて、成り立つもの」であると思います。


要するに、無意識のうちに
「やってて楽しいから、世界一を目指したい!」とか
「やってて楽しいから、それを仕事にして成功したい!」と考えているわけです。

でも本当に
その考え方で行うことは楽しいのでしょうか?

私たちが幼稚園児だった頃を思い出して下さい。

「ママー!あれ買って!」と感情に従って行動し、
「ボク、将来ウルトラマンになるんだ!」
と我々大人からすると訳の分からない夢を平気で言っていたでしょう。

(しかも社会に立つと感情的な人はわがままだと揶揄される始末です)

少なくとも、
「ぼくはピアノが好きだから、世界大会のピアノコンクールで優勝してプロを目指すんだ」
と「親に言われず」に自分で思って来た子どもを
見たことがありません。

本当に純粋に楽しさを感じていたのだと思います。

この考え方は間違いなく
大人にとって現実味のないことではある
と思うのですが、

私はホームレスになってもいいから、
本当に好きなやり方で、
好きなことをすることの楽しさを覚えました。

その途端、同時に
殆ど人が当たり前に楽しいと感じる
全てのことが楽しく感じなくなりました。

ですが生きていくためにはやはりお金は必要。
だから、僕のこの楽しさも、
間違っていると言わざるを得ないのでしょう。

この世界のこの仕組みを実感した時、
私は、絶望しました。

「大人になればネバーランドに行けなくなる」
その通りです。

尾崎豊の卒業でいいたかったことを私の経験から解釈するに

この「仕組まれた自由」に誰も気付かずに
この世界から人は「死」という卒業をする。

そのことを言いたかったのでしょう。

最後になりますが、このブログを読んだあなたに質問です。

これでもまだ、
「自分の子どもに夢を持って、
その夢に向かって突き進んで欲しい」

「何事も挑戦だ」と無責任なことを
易々と言えますか?