そういうことでまちのことを知る。
それもありかもしれない。
けど、実際それを本当に
「すごい!」と思っていなかったり
興味がないと
すぐに忘れてしまう。
関東の人が香川に来た時
これは見て欲しいとか、ここに案内したいという場所があった。
たまたま、それに関わって、ある人から得た知識があったから
堂々とそこへ連れて行くことができたけど
そうでなければ、ただ「知ってる」なんとなく「好き」では
実際案内できたかどうか?と思っている。
だから、まちあるきは、それを受ける側よりも
案内する側の方が実はメリットが大きいのではないかと思う。
それにもしかしたら、「知っておく」ということは
とても大事なことなんだと思う。
今香川県にいる人で
本当に世界に誇れるものを知って、
それを語れる人はどれくらいいるだろう。
祖先が残してきた財産を
語れる人はどれくらいいるだろうか?
それをけなす人は、知っている。
悲しいけれど、たくさんいることは知っている。
香川県は、そして先代の人は
世界と共にあった。
誇りとプライドを持っていた。
まちあるきを受ける側ではなく、する側にまわって
自分の興味があるものを県外の人に伝える。
それが直島のように、住民ができるようになるといいんじゃないかと思ったのでした。
とりあえず、投入したのでその先は
もう任せようと気持ちを切り替えた。
もうどうにもならんと思っていた時に
また声が掛かった。
これもたぶん神様が
「こっちへ行ってみれば?」的に
差し向けたのだろうと思い
乗ることにした。
そしたらまたいろんなものが頭に浮かび・・・
出会ったときは、まったくどうしたらということも
後々、これは!と
ひらめくことがあるのですね~
ちょっと今週からシフトを変えて動きましょう。
何においても根底に流れるのは
「すべては子どものために・すべては香川のために」