もう手放していいな。と思ったモノを
家の外になかなか出せない私。
片付け中は
「売ろうとしない」「とにかく家の外に出す」が原則だと思うが、
筆子さんのブログを見て、
「寄付」や「誰かにあげる」をやってみようと思った。
そこで、
「ご自由にお持ちください」札を作って、
食器、飾り物、おもちゃ(手品道具や知恵の輪)をダンボールに入れて、
持ち帰り用の袋もセットして、
(ここまで2週間かかっている)
「さあ、出そう」としたところ、
夫が「やめろ。だったら捨てろ」と一蹴。
理由は 「気持ち悪い」 とのこと。
まだ使えるし、誰か欲しいと思う人がいて引き取ってもらえたら、
私はモノを本当のゴミにせずに済んでラクな気持ちになれるし、
モノも次のお役目を与えられて、寿命も延びて嬉しいのでは
と思ったのだけど。
夫には「もう、、」とも思うし、理由もどうかと思うけれど、
ホッとしたような、感謝の気持ちもあった。
まず、このやり方だと間違いなく時間と手間がかかることに薄々気づいていたので、
誰かに「無駄な時間と体力を遣わずに捨てなよ」と背中を押して欲しかったようだ。
ただ、それだけでなく、他にも何か感じているのでブログに書いてみようと思ったのだが、
どうやら、以下のような思いが頭の中で生じていたけれど、
これまで言葉にできていなかったようす。
誰かがそのモノを持ち帰って、
モノは新たなお役目が与えられて喜んだと思いきや、
我が家と同じ状態、もしくは、もっと残念な扱いを受ける可能性もあって、
お持ち帰り先で、ただただ延命しただけ、という状況になってしまったとしたら、
そのモノは幸せなのだろうか。
それならば、痛みを伴うけど、
自分がお迎えしたモノは、
自分で責任を持って、
感謝を込めて、
自分の手で解放する(捨てる)方が、
モノも気持ち良く、潔く、寿命を全うした
と思ってくれるのではないか。
そして、それはそのモノが、
次の何かに生まれ変わるチャンスなのではないか。
安易な引き受け先探しは、
モノが生まれ変わる機会を奪う行為なのではないか。
なんていうことが頭の中をループしているように思った。
どちらのチャンスを奪ってしまっているのかは、
結局のところわからないのだけれど。
自分がモノを捨てる、捨てやすくなる理由を、
こねくり回しているだけなのだろうけど。
片付けは、メンタル。
自分を納得させるための都合のよい理由を考えているだけなのだろうか。
ただ、それだけでもない気がしている。
恋愛で相手とお別れするとき、
きちんとサヨナラをした方が予後がいい。
恋愛でなくても、人との出会いは一期一会と思って、
ずるずると繋がりを引っ張らずに、
その都度都度サヨナラをした方が、
結果オーライな気がする。
(私はその人のことが好きでも、付き合いで出かけたりメールを書くことが重荷になるタイプ。)
(服のセンスもよくないし、文章を書くのも得意ではない。そして性格がくどい。)
(くどい性格で、相手のことを考えたり、傷つけないようにとか考えて文章を書いていると長文になるわ疲れるわでお互いハッピーではない気がしている。)
(片付けが終わったら、人との付き合いをもっとフットワーク軽く、大切にできるのではないかと期待している。)
(片付けが終わったらという時点でダメな気もするが、その辺りについても何某かの整理ができているのではなかと期待している。)
モノに戻るが、
自分の手で終わらせる、始末をつける、片をつける、
きちんと「さよなら」を伝える。
「ありがとう」を伝える。
そうして、自分の手で終わらせてあげる。
それはやさしさなのではないかと思った。
これって悪いことではないと思った。
こんな風にまとまったな、と思えたのは初めてかもしれない。
私の捨ては進むのか。。
私のマインドはいかに。
それは、思っただけで行動していないたった今はわからないけど。
次にいけそう???という期待感は感じている。
(私って相当ガンコなので、どうなるか、、自分を信じよう。)