あのころの理系的日常

あのころの理系的日常

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!
もうすぐ今年度が終わろうとしている。
今年1年、本当に疲れました。

それは単に仕事が忙しいというのもあった。
今年は私立高校の非常勤をしていた。
持ち時間数は週20時間、担当したクラスは10クラス。
担当科目はすべて化学だったが、1年生から3年生まで受け持っていた。
定期テストの度に私は3つもテストを作っていたのだ。それが終われば成績処理。しかも提出までは2日3日ほどしかない。

ちなみに正規の先生たちの持ち時間数は多い人で15時間ほど。
おそらく違法だと思われる雇われ方をしてました。

それでいて職場環境は最悪でした。これまででいちばん。

行事予定、テストの日程、成績処理の方法など、必要な情報がこちらまで伝わってこない。
逆にこちらから聞いても、本来全体の動きを分かっていなければならない人(教頭や教務主任)が何もわかっていない。枕詞のように返ってくる言葉は「僕それ関係ない、教科に聞いて」。

そんな空気は子供たちにも伝わっていた。
ある者はいい加減なことをして要領よく逃げる、ある者は学校に不信感を抱いて腐る。どちらにしろ生徒のやる気は失せていた。

幸い私は多くの経験を積んでいたので、もとが腐っていようと仕事はよくわかっていたので、孤立無援な中でもこれまでと同じように手を抜かずやり通した。

いくら腐った世界でもやはり子供はこちらをよく見ていて、春山☆はまともだ、面倒を見てくれる、頑張ったことを認めてもらえると言って、最後は本当によく真面目に頑張ってくれた。

何人もの生徒に「来年もいてくれるよね?」と声をかけられたけど、もう冗談じゃないけどそんな余白などない。

生徒は愛せても組織は愛せなかった。

待遇も待遇だった。ボーナスは週に何時間やろうと1回1万円しかもらえない。
公立で常勤講師をやっていた時よりも持ち時間週は明らかに多いのにもかかわらず。
いまの方がよっぽど忙しいのに、それと比べると年収は150万も少ない。バカバカしいとしか思えなかった。

こんなにバカバカしく思うのにも理由がある。
私が今年度いっぱいで辞めることを告げた時に帰ってきた言葉があまりにも酷かった。

「生活が苦しいって言うけど、持ち時間をあと何時間増やせば足りるの?」

私が週20時間も持ってることをわかって言ってるのだろうか?
お金をたくさんもらっている人たちが楽をして、少ししかもらえていない人が空き時間もないくらいに働く。講師は奴隷じゃないんだぞ!本当に腹が立ちました。

そしてある日の出来事。
何人かの講師の先生は職員室に入り切れなくて準備室にいるのだけど、私もその1人だった。
ある生徒が準備室に入ってきた。「先生、いつもここで何にしてるの?暇なの?」
別に生徒がそう言うのは仕方ない。気になっていたんだろう。私は「暇じゃないわよ、仕事してるんだよ、あんたたちのために」と、面白くはないけど真っ当な返事をした。

しかしその次だ。準備室から出てきた生徒に、ある立場のある先生がわざとかと思うくらい大きな声で、「春山☆先生何してた?暇そうだったら?」と。
もう死んでくれと思うくらい腸煮えくり返るような思いでした。

嫌なことは続き、結局私は来年度のオファーがどこからも来ず、バイトをして凌ぐことになりました。

よく幸せになれる人は人に感謝の気持ちを忘れないとかいう内容のツイートが上がって来るけれど、この組織に対しても感謝をしなければならないのだろうか?感謝なんてどう天と地がひっくり返ろうとできない。そこまでいい人にならなきゃいけないのか?壊れそうだったから自分の身を守って何がいけないのだろう?確かに来年度に向けての根回しは上手く行かなかったけど、この組織とは離れるべきでしょう。

疲れました、この1年。
ある人が「先生休みな、こういうことだよ」とは言ってくれたけど、私にはお金がない。
どう休めばいいのだろう…とりあえず、ジオ研や地学会の巡検は入れたけど。そんな今日この頃。