他人に期待しないという意見。
感情が揺さぶられるのは疲れるし、他人に勝手に振り回されるのは御免だから、
「他人に期待しないことができる人は他人に対して怒りや悲しみを滅多に感じることがなく済む」という点で、そうなりたい、そうすべきだ、と思うことがある。
私自身は他人に期待しないというのが少し苦手だと考えている。
その人が自分の中でどのくらいの位置にいるかで変わってくる。
例えば、仕事で関わるだけの人であれば、自分に何かもたらしてくれるのでは、という期待は全くないので、落胆はしない。愚痴や不満は生まれてしまうけれど。これはその人を好きでも嫌いでもない故に起こることだと思う。
けれども、私がその人のことを少しでも好きだと、何かしらの期待を抱いてしまう。
些細なことだとしても。笑顔を向けてくれるかな、優しい言葉をかけてくれるかも、なんて。だからそうではなかったとき、傷ついたり落ち込んだりする。
これは、私がなぜその人のことを好きになったのか、というところに関係しているのではないだろうか。それまでの経験で、(人間性の話は別にして)その人が私に対してプラスになるようなことを繰り返したから私はその人を好きになっていった。そんなケースが少なくないと思う。たとえその人にとってはそんな意図がなかったとしても。
その結果、私が勝手にした期待を裏切られれば傷ついたり落ち込んだり、時に怒りを感じたりするけれども、その次に期待してしまうから、ちょっとやそっとのことでは嫌いにならず、好きなままなのだと思う。
これは自分だけではなくて、相手にも言える事なのではないだろうか。
そうでないと私は今頃、多くの友人を失っているだろうから。人は完璧ではないので。
期待していない人に感情を揺さぶられることは滅多にないけれど、期待していない人とはいつでも関係を断ち切ることができるということ。
これはあくまで、今の私が考えることだ。
「人に期待しないことができる人は他人に対する怒りや悲しみを滅多に感じることがない」これは、確かに私にも魅力的に見える。
世間から見れば、他人に対する怒りや悲しみの感情はマイナスと捉えられることが多いだろうから、それが少ない人間はいわゆる「大人」なのだろう。
けれども、人に対して怒りや悲しみを感じることは、悪いというわけでも無いような気がする。人間らしさ、自分らしさ、私の芯を表す感情の一つだから、だろうか。
私はこれから、自分らしく、開放的に生きていきたいから、素直に感情を表現することができる道を選択したい。もちろん、わがままに生きるという事ではなく、生きやすい道、幸せな道を選択するという意味で。
他人に期待してしまう事は自然なことだと思う。
自然に抗うことは私には難しいことだ。
ちなみに、家族は例外だ。期待する、しない、落胆する、などとは違うところに位置している。私の場合は。