〜🦇はじめに🦇〜


2020年5月に発売された「西城秀樹 IN 夜のヒットスタジオ」5枚組DVD-BOX。
そのうち、DISC3(1980年「エンドレス・サマー」~1982年「聖・少女」収録)の呪縛から抜け出せなくなり、既に数ヶ月が経つ。

全てのDISCのどの放送回の西城秀樹さんのパフォーマンスも、歌・踊り・表現全てがプロフェッショナルの極みであり、歌謡史における稀有なパフォーマーであることを再認識させられるのだが、
そんな中でも特に目を奪われたのは、そのDISC3に収録されている、

1981年12月14日放送回「ジプシー」のパフォーマンスだった。 



「ジプシー」は当該DISCに4回分収録されているが、その1本目にあたるこの回の秀樹さんのパフォーマンスは、本当に神が宿ったのではないかと思うほど、眩すぎる輝きを放っていた。

いやぁ…すごいわぁ…本当に、すごいわぁ…

それだけで終わるはずだったのだが、この感動を文章に起こそうと思ったのには、理由がある。
それは、今から数か月前のこと。
私が仲良くさせていただいているヒデ友さんに
「DISC3の1個目のジプシーのパフォーマンスが本当に凄いんです〜😍」
と力説し、具体的にどの辺りが凄いのかを、説明しようと試みたことだった。

「………えー、、、えー………😅💦😅💦」

自分でも驚いた。
本当に、何も説明出来なかったのだ。

その凄さを表現する言葉が、あろうことか、一切出てこなかった。
そんなはずはない。
これは、西城秀樹さんが残してくれた、星の数ほどの珠玉のパフォーマンスの中でも、更に屈指の出来なのだ。
いや…もしかしたら、ひょっとしたら、私が生まれてから今まで見た今昔洋邦問わず様々な人のパフォーマンスの中で、こんな物凄い光を放つものを見たのは初めてかもしれない。
とにかく、なぜか身体がゾクゾクするのだ。鳥肌が立ってしまうのだ。
かれこれ数百回は見ているが、パフォーマーの端くれの更に端くれとしての悪い癖で、少しくらい粗(あら)があるのではないかと斜に構えて見ても、それが全くないどころか、その度に新たな魅力を見つけ、目が釘付けになり、その度に、ゾクゾクが止まらなくなるのである。

なのに、だ。

この時ほど、自らの言語表現力の未熟さを痛感したことはない。

ちなみにその時、このパフォーマンスを説明するために、辛うじて捻り出した言葉は
「ここの部分のバァーンて感じです」。
お前は長嶋茂雄か。

悔しかった。
この一世一代のパフォーマンスを「凄いんです〜😍」の言葉と、擬音語だけで終わらせたくない…

悶々としながら過ごしていたある日、ふと、

〜パニックになった時は、具体的に何が心の負担になっているのか、一つずつ書き出していくといいよ…〜

かつて、我が歌の師匠からもらったアドバイスが、頭をよぎった。
そうか。
今回も、きっと同じ症状なのだ。
凄い所が沢山ありすぎて、塊となってコウモリの大群みたいに襲ってくるから、ゾクゾクして、ただただ圧倒されてしまうのだ…🦇

カサカサカサカサ
🦇🦇🦇🦇🦇🦇🦇🦇🦇🦇🦇🦇
ぎゃー😱😱😱😱😱😱😭

別の意味で鳥肌が立ってきたので、とりあえず一つずつ、何に凄いと感じたのか、細かいことから大きなことまで、全て書き出していくことにした。

案の定、夥しい項目数となった。
歌手・西城秀樹とは、一見、感情のままに制御なく歌をぶつけているように見えて、こんなに緻密な計算をし尽くしたうえで、最高峰の表現を生み出し、私たちに感動の波を与えてくれていたのか…
私はもしかしたら、とんでもないパフォーマーを目の前にして、この一見破天荒なエンタテイメントが至高の芸術に昇華される、とんでもない歴史的瞬間を目にしているのかもしれない。
いやいやそんな大袈裟な、と思うでしょう。
芸術、なんて…

大袈裟かどうかを自らに問うために、箇条書きに抽出した夥しい項目を線として繋げたものが、次章からの拙文である。
もともと西城秀樹さんという歌手のパフォーマンスには、かなりの演劇・ミュージカル成分を含んだ「総合芸術」性があるのだが、それを踏まえたとしても、この「ジプシー」のパフォーマンスは偶然も必然も味方にし、これ以上ない芸術的な美しさと、その美しさに対する驚きを私の脳裏に焼き付けてくれた。
そして当初の漠然とした予想を遥かに超えて、1981年12月14日「夜のヒットスタジオ」における「ジプシー」の歌唱は、単なるエンタテインメントとしての音楽から、音響芸術としての音楽、パフォーミングアーツとしての身体表現、絵画・写真などの視覚芸術、撮影などの映像芸術、更には照明や装置などの舞台芸術までも網羅して、完全なる「総合芸術」の極みへと昇華した、最高峰のパフォーマンスであると、最終的に自己の中で結論付けすることができたのである。

しかしながら、その芸術に昇華される歴史的瞬間は、DVDを購入し、こうして実際に見なければわからなかったことである。
「YOUNG MAN」や「傷だらけのローラ」等と違い、この曲の歌唱がTV等各種メディアで扱われることはほぼ無いと言って良いだろう。
鳥肌モノの素晴らしいパフォーマンスが今こうして埋もれてしまっているのは、ちょっと勿体ない気もする。
なので、どの程度まで言葉にできたかはわからないが、この「ジプシー」のパフォーマンスが放つ芸術性を掘り起こし、少しでも文章として表面化して伝えられたら幸いに思う。
だがしかし、基本的には、「西城秀樹さんの凄いところを取り上げてキャーキャー言う」という自己満がモットーなので、中身は無い(ドヤァ)


●🅰️歌編

①🦇まるでパ○テーンのCMのモデルさんの髪の毛のように芯とツヤのある歌声

ほかの「ジプシー」の回と比べても明白だが、この回、飛び抜けて声に芯があって、声の張りが一際良い。私が「神パフォ」と推す大きな大きな理由の一つである。
ちなみに、有り難くもYouTubeで拝むことが可能な他の歌番組での「ジプシー」はどれも同じくらい声の調子が良さそうなのだが、たまたまこのDVDに収録された残りの3本は、ちょっと声にお疲れが出ている模様??
特に3本目に収録されている回など、明らかに喉の調子が悪そうなのだが(珍しくブレス音が苦しそう…喘息っぽいのかなとすら思ってしまった)、しかし調子が悪くてもそれが目立たない歌い方が出来ると言うか、調子の悪さを響きでカバー出来てしまうのは、やはり基本的な発声方法による共鳴がしっかりと身体に馴染んでいるからだろう。

秀樹さんの発声の変遷については、これまでも拙ブログで触れてきてはいたが、この「ジプシー」発売の1981年前後は、特にレコードの録音では声に鋭角的な部分を増やしているように思う(多分70年代よりも声を前方に当てるようにシフトチェンジしている感じがする)。

例えば、当時のレコードの録音、81年LP「ポップンガール・ヒデキ」や82年LP「CRYSTAL LOVE」を聴くと、大劇場のオペラと言うよりは、割と近くで聴かせるようなポップス歌唱に、発音レベルで寄せているように感じる。

しかしそれとは裏腹に、ご自身でも「徹子の部屋」で仰っていたが、声自体はむしろ太くなっており、たしかに1981年や82年の「BIG GAME」の録音を聴いていると、70年代前半〜中頃とは根本的にハスキーの種類が異なり(以前拙ブログで少し触れたように、単なるハスキーではなく、非整数次倍音の効果と思われる心地よい声のザラつき感から来るもの)、こうしたライブ音源ではより声を張り、クラシックのベルカント発声的なものすごい(この人はポップス歌手だよね??と言いたくなる位レベルの高い)共鳴を感じる部分が多くなっている。
またいつか別に述べたいが、BIG GAME81も82も、本当に声が素晴らしい。
そうした、所謂録音とライブの歌声の乖離が、この頃ひときわ大きかったように聴いて取れる。

同様に、この「ジプシー」も、レコード録音では喉を比較的絞め気味・鼻にかけ気味で歌っているが、生歌唱の時は同じ曲とは思えないほど、喉を全開にして遠くに届くように歌っている。もう第一声から明らかに違うのである。

そして秀樹さんが持つ声の張りは、やはりゲルマン系というよりは、ラテン系のベルカントの響き(…と私個人は感じます💦とあるラジオでお話されていた歌手の方のご意見とは相反するかもしれませんが…😅)。
この回は特にそれがよくわかる。2番のサビや大サビなど、喉全開でザ・ベルカント!みたいな響きで、声に一本太い芯が通ってツヤツヤで、本当に喉が絶好調だったのだろうなと推測出来る。


ご本人も仰っていたように、レコードは何回聴いても飽きが来ないように、そしてライブはそこに勢いをプラスして…この辺りの聴き手のシチュエーションに合わせた歌い分けに、プロフェッショナルとはこういうことなのだと、秀樹さんの歌声の響きに酔いしれては、私に沢山のコウモリ🦇が襲来していることを実感するのだ。🦇🦇🦇🦇


②🦇腹痛が痛い程タブー破りの破格の歌声

私の中で、「秀樹七不思議」というのがある。
その中の一つが、なぜこんなに首をブルンブルン振ってるのに、こんなありえん歌声が出るの、ということだ。

まぁ結局解明するから謎ではないのだが、やはりクラシックにおいてもベルカントの発声をやろうものなら、基本の姿勢というものがあり、オペラの歌手でもミュージカルの役者でも、首を振りながら歌うことはむしろタブー視されているはずなのだ(実際私もよく注意される)。
第一、普通ならばこんなにブルンブルン振ってたら、声がgkgkbrbr(音楽用語じゃないよ!w)になってしまうはず。常人は歌唱時に決して選ばない手段のはずだ。

たしかに、首を振りながら歌うことは、デコルテ及び首から上の部分の脱力を確認するために、エクササイズでは存在する。

セオリー上は、あれだけブルンブルン振りながらも全くぶれずに歌えるというのは、やはりその部分の脱力が完璧だという証拠にはなるのかもしれない(笑)
しかしだからと言って、本番であんなにブルンブルン首振りながら歌う歌手は見たことがないぞ。歌唱のタブーを破ってもなお、破格の歌声をぶつけてくるこの男は一体なんなんだ。重複表現の一つもしたくなるわ。

それにしても。
脱力と言えば。本当に秀樹さんの下顎の脱力度合いには惚れ惚れする。
アップで見るとその力の抜け具合がよくわかるのだが、こんなにアップテンポで、サビのメロディにパンチがあって攻めるサウンドなのに、一切力みがない(力めば力むほど、声は前に飛ばなくなる)。だからこそ、声にこれだけのパワーが乗るのである。秀樹さんが力を入れてるのは、腹筋の支えだけ。後は後述するダンス同様、全て脱力・解放している。

🦇カサ…

また、以前拙ブログで触れたことの繰り返しになるが、頬骨を上げながら上顎の表情筋を巧みに使用して「上顎を開けて」歌っているため、声が本当によく飛ぶ(特にア段)。のどちn…(殴🤛)軟口蓋もよく開いているのが分かる。

母音によって口内の形が殆ど変わることがないため、母音による響きの変化が無く、全ての母音がよく響く(1番の「嘘をください」の「さい」とか、響きが落ちやすい「い」で全く響きが落ちない)
どんなに感情を入れても、言葉の粒が乱れないので、結局、言葉が全て伝わりやすい。

🦇🦇カサカサ…

上(鼻腔・口腔)だけでなく、下(咽頭・胸郭、特に胸)に共鳴をしっかり落としていることも、声がブレない要因である。

上と前の響きだけで歌っていると、サビであんなに首をブルンブルン振ったら歌声が振り飛ばされてしまうので…

🦇🦇🦇カサカサカサ…

なおかつ、息の送り方のスピードが絶妙ということ。
音楽上レガート(滑らかに)の指示があったとしても、音符の凸凹があると声も凹の部分で引いてしまい、歌声が凸凹してしまうことが多々あるのだが、秀樹さんの歌声にはそれが一切ない。
それは、充分な肺活量と腹筋の支えで、息の送りを程良いバランスで声を保っているためで、声を出す時に押しも引きもしないことで、一本の糸の上を音符が走り、音の粒が揃い、その結果フレーズフレーズがちゃんと滑らかにまとまりを見せるのである。
前回のブログでも少し触れたが、よくありがちな、声を保てない誤魔化しのために歌のフレーズの中で不必要な音の揺れを入れることも一切無い。
聴き手の耳に秀樹さんの歌が気持ち良く入ってくる理由の一つである。

🦇🦇🦇🦇カサカサカサカサ…

それでもって…恐ろしいことに、ブレス音はどこに行ったの!?こんな激しい曲で…
えっ息継ぎしてるよね!??マイクと口の位置全然変わってないけれど!??こっちの方が七不思議だわ(笑)

以上、凄い点が、ポロッポロッポロッポロッ出てくる様を、🦇で例えてみた。
秀樹さんの歌声が、深いのに明るい響きを持ち、発音が明朗なのは、様々な要素が絡み合って必然的に生まれる結果なのだということ、そしてやはりこの歌い方は、生まれ持った声質も相俟って唯一無二、訓練を積んだとしても簡単に真似できるものではないことを再認識させられる。


③🦇ヒマラヤ山脈レベルの起伏に富んだ「音楽の山」

西城秀樹さんの歌をじっくり聴いていると、音楽の作り方も驚く程緻密で、anoもカンゲキしてしまう。



作曲家さんにも、音楽的に歌い手さんに表現して欲しい「作り手の意図」というものがあり、その表現上の手段として楽譜上の「山」を作ったり、スタッカートととかテヌートとかレガートとか指示しているわけなのだが、この最低限のルールをおざなりにして自己流に歌う人もいる中、秀樹さんの歌を聴くと、レコードの歌唱と、何百回も披露されている生歌唱でほぼ同じなので、最初の音符上のお約束がきっと忠実に守られているのだろうなぁ、と実感する。

最低限の音楽上のルールを守った上で、秀樹さんが培ってきた独特の音楽的センスを乗っけて音楽に起伏をつけているので、聴き手が気持ち良いと感じるのだろう。

その起伏の例を、サビの「あさまで あなたのむねでおどれば」のフレーズの中で説明したい。

「音符上の」「山」は「ま」と「た」と「ね」であるが、これを滑らかに歌ってもインパクトはないし、せっかくパンチのあるメロディーラインが流れてしまう。
秀樹さんはこの「ま」「た」「ね」を「音楽上の」「山」に設定し、特にパンチを効かせることで、聴き手の耳にスパーンとした心地良さを提供している。
ちなみにこのパンチは秀樹さんの「唸り」含めたテクニックと、声を飛ばせるだけの並外れたフィジカルありきなので、一般人およびプロでも再現は難しいかと。

そうした小さな「山」があると思えば、大きな「山」もきちんと用意されている。
例えばAメロからフォルテ気味に入ってるのに、それ以上にサビをガツンとぶつけられる馬力の大きさ、さらに大サビにこれでもかというくらいヴォルテージを上げられる。1番のAメロから聴き進めているうちに、こちらが気づかないうちに、大サビまで世界最長のクレッシェンドをかけられているような感がある。
彼の華奢な体の中に、一体どれだけのエネルギーが内蔵されているのだろう。

このように、秀樹さんは聴き手に飽きが来ないように、緻密な計算をしながら歌を作り込んでいる。
その楽譜がどうやったら一番気持ち良く活きるかを本当に良く知っているシンガーだということが、この一曲からも読み取れるのである。しかも決してこれ見よがしではなく、こうして注意して聴かない限り、その片鱗は顔を覗かせてくれないから、また奥深いのである。


●🅱️ダンス編

①🦇 「柔」と「剛」を捏ね上げれば最高級のフランスパンになる

これは… これだけ「柔」と「剛」が交互に押し寄せる振付を秀樹さんに踊らせた振付師の先生も、ネ申だと思う。
きちっと緩急がつけられる踊り手じゃないと、全然かっこよくないので…

ざっくりではあるが、この曲の振付の「柔」と「剛」にあたる代表的な部分を抜き出してみた。

★「柔」
・イントロ、間奏、アウトロの腕をカウントで下ろす振付
・「送り仮名をふるの」の振付
・Aメロ全般
など

★「剛」
・サビ前のポイント的なダンス
・イントロ、間奏、アウトロの腕をカウントで下ろす振付の直後
など

その「柔」と「剛」の部分の折り合いが、まるで超高級なフランスパンのようなのである。
内側(柔)はまるでダブルソフトのようなしっとり感。厚めの手袋をしているにもかかわらず、指先まで柔らかく、こちらが固唾を飲んでしまうほど末端まで意識が行き届いた振付の美しさがわかる。
そして外側(剛)はカリッとした歯応え感。キレが良くて、振付的に「ここはピタッと止まって欲しい!」という場所に、気持ち良いぐらいに収まってくれる。
そんな感じで、秀樹さんの踊りは、これも何故そんな風に出来るのか七不思議なのだが、振付の「柔」と「剛」の部分における緩急の表現の仕方が恐ろしく素晴らしいのである。

例を出せば、1番と2番の間奏の振りなど、「柔」と「剛」の連続なのだが、「柔」の部分は決して緩んでいるわけではなく、むしろピンと糸が張り詰めているような緊張感をもって周囲の空気を支配しており、時計の針のようにゆっくりと振り下ろされる右手はカウント配分がめちゃくちゃ正確で、コンマ単位で緻密なので、後の「剛」が非常に生きるし、振付にも唐突感がないのだ。


歌のみならず、振付までも、ただ決められた振りを踊るだけではなく、本当に秀樹さんは色々計算しながらパフォーマンスしてるのだと驚きを隠せない。これもこうして注視しなくては、その緻密な計算にも気づけない。
こんなに素晴らしいパフォーマンスがTVで雪の結晶のように歌っては消えていった、1970〜1980年代。本当に贅沢だったと言うか、勿体ないと言うか。


②🦇西城秀樹氏の完璧な「軸」

次に、西城秀樹さんがリズムを刻む時の膝の動きに注目してみたい。
この歌の時は爪先ではなく、かかとでリズムを取っているのだが、黒いスーツのズボンが、美しく「撓(しな)って」いるのがわかるだろうか。この「撓り」の美しさはまるで規則的に押し寄せる波のように芸術的ですらある。
バストショットの時にも同じように、足はパタパタとカウントを取っているはずなのに、映る上半身は全く上下にブレないどころか、もはや静止しているようにすら見える。
あれです。白鳥🦢が水面下で足を動かして、水面の上は優雅に泳いでるみたいな…
驚くのは、その時も重心が体の中心から逃げていないこと。1番の「お願い それでも帰さないと言って」の辺りがわかりやすい。

一見細かい指摘だが、リズムを足で刻むだけなのにこれほど動きが美しいのは、秀樹さんの「軸」が恐ろしく強靭であることに起因し、それは揺るぎないダンスの基礎があってこその賜物だと私は考える。

ダンスの基礎的なバーレッスンというものがあり、その中で、片足で立ってもう片方の足を伸ばしたまま横や前に出したり(タンデュ)、地面から浮かせたり(ジュテ)する訓練をするのだが、ただ足を出したり浮かせたりするだけでは何の訓練にもならない。
その時にお腹の引き上げが不十分だったり、お腹が抜けていたりすると、足の移動とともに重心が落ちてしまったり、軸が揺らいでしまったりしてしまうのだ。…しまったりしてしまう??笑
だから、この基礎ができないままフロアで踊ってしまうと、お腹の抜けた、軸のないふにゃふにゃした踊りになってしまい、結果、めちゃくちゃ不格好となる(💦)。
お腹を引き上げながら、背中で立つことで美しい姿勢を作り、美しい軸で立ちながら美しく舞うために、こうした訓練は必要なのである。この訓練を経た人と経てない人のダンスの軸の差は…顕著である(💦)。
だから、どんなダンスを踊る時でも、クラシックバレエのレッスンが必要と言われるのだ。

さて、西城秀樹氏である。
水泳やヨットで鍛えた筋肉の発達により恐ろしく体幹が強いというアドバンテージもあり、更に劇団四季「わが青春の北壁」に出演した際にバレエの基礎を改めて習得されたこともあり、意識的にか無意識にか(この辺りが西城秀樹氏の恐ろしい所である)、この引き上げが完璧なため、身体の軸の取り方が異常なくらい(誉めとるのよー)しっかりしている。
絶対に揺るぎない軸を基本にして身体のバランス感覚が優れているので、踊りの中での重心の移動も、本当に美しい。


改めて、秀樹さんの他の歌番組などでのダンスシーンを見てみると、本当に私が思っていた以上のレベルで美しくしっかりした軸を確認出来た。言ってみれば、よく撓る竹のように、絶対に折れない、美しい軸である。



ちょうど、その軸の美しさを測って下さいと言わんばかりに、良い位置にスタンドマイクが設置されている。このスタンドマイクと見比べる事で、秀樹さんの軸がいかに美しいかがよくわかる。



以上を纏めると、西城秀樹さんの流麗なパフォーマンスの全ての基本となっているのは、この美しく強靭な「軸」である、ということだ。秀樹さんの立ち姿が美しいのも、「軸」の所為である。特にこうしたある程度振付が固まっているもので、この「軸」の驚異がわかりやすい。
そしてこの「軸」の強さは、以下に述べる項目群にも大いに関与する。


③🦇シンプルイズザベスト

この「ジプシー」の振付は、どちらかと言えばシンプルだ。
シンプルは誤魔化しがきかない。まるでヘンデルやバッハのようなバロック音楽で一つ音程を間違えたら大変なことになるように、音楽にしろダンスにしろ、余計な装飾や小細工で誤魔化すことのできない「シンプル」が一番難しいのだ。しかしその「シンプル」を極めてこそ、芸術の本質的な美しさが現れるのではないかと私は考える。
秀樹さんの踊り方も、実は各モーションの動線において、一番シンプルで美しいラインを通るように動いている。
ここも超コウモリ🦇🦇🦇襲来ポイントだが、本当に動線に無駄が一切ないのである。
特にこの回の「ジプシー」では、リズムをとる時の足パタパタも、必要最低限の部分しか動かしていないし、リズムの中で身体が揺れる時も、たとえそのモーションが大きくなったとしても、不必要な身体の上下移動や軸のブレが一切ない。横に揺れても、身体の軸を基本にして肩の高さがほぼ変わらない。


もう少し具体的な部分で例を出そうと思ったが、もう曲の頭からお尻まで、全ての動きにそのシンプルな動線が当て嵌まってしまうため、「どこが?」の問いには「全部」と答えざるを得ないのだ。えっ…西城秀樹さん恐ろし過ぎる…(心の声)

以前、秀樹さんのダンスについてブログを書いた際に「秀樹さんのダンスには『秀樹カラー』があまりない」と綴った所以はここにある。余計なモーションを一切削ぎ落とした結果、シンプルだが非常に洗練された、美しい身のこなしだけが残るのだ。

シンプルイズザベスト…しかし、シンプルな分、この振り付けでは上に述べたような「柔」と「剛」の部分を踊り分けることが出来ないと、メリハリがなくて冗長なパフォーマンスになってしまう。
そこで上で述べたように完璧な緩急をつけることができるだけではなく、彼のパフォーマンスは空間と時間を満遍なく、余すことなく埋め尽くす(後に詳述)。本当に、恐ろしい子…


④🦇一夜きりの女は、つらいんだなとわかる表現力←おい語彙力

「ジプシー」は、一夜限りの結ばれない女の子の悲しい恋を歌う、秀樹さんには珍しい「女唄」だが、そういうわけで、今回のパフォーマンスの根底に流れているスピリッツは「女心」である。

元々、秀樹さんのダンスというのは、非常にラインがしなやかで、各関節の使い方が柔らかいので、どちらかというと女性的な踊り方に近い。
直線的と言うよりは、はるかに曲線的である。
同じくダンスがお上手な田原俊彦さんの踊りが直線的で、身体のバネを有効的に使っており非常に男性的でダイナミックかつ力強いのと、本当に対照的なのである。(個人的な妄想だけど、トシちゃん男役・秀樹さん女役のペアダンスが見たいの…)
また、「サウンド イン S」(1979年・TBS)における「ガールハント〜ワンボーイ」のダンスナンバーの中で、男性4人と秀樹さんが一緒に同じ振りを踊るシーンで、男性ダンサーと秀樹さんを見比べると、その違いが分かりやすいと思う。
しなやかで柔らかさを持つ秀樹さんの踊りは、どちらかと言うと男性ダンサー陣よりも女性陣のダンスと親和性がある。

秀樹さんはこの曲の踊りでは特に「エンドレス・サマー」のような男性的なセクシャリティは封印し、随所随所に「一夜限りの女」の嫋やかさを醸し出している。
余裕があれば、後に詳しく述べるサビ前のステップなど、スローやストップモーションで見て欲しい。この一瞬の振付でさえ、柔らかい女性の仕草になっているのがわかるだろう。
また、サビの「あなたの胸で踊れば」のあとに一瞬横向く振付なんか、完全女子。このアクセントが花椒並みにピリッと効いている。(下スクショ参照)



ちなみに、同じ女の子でも、聴き手へのアプローチが、この「夜ヒット」DVD収録の1本目(この回)と4本目の「ジプシー」(山本寛斎さんのブラウスの回)では明らかに違うので、その見比べも面白い。
その女の子のイメージは、皆様の心の中にあるものが正解なので、
あくまでも私の勝手なイメージをここに書くが、
1本目はスローテンポのダンスを踊る黒いロングドレスを着た百恵ちゃんみたいな女の子、
4本目はディスコでガンガン踊る爆裂ギャランドゥ(本来の意味の方ですよ)系の女の子
みたいな女の子を想像しながら聴いている。


⑤🦇🦇🦇見逃す勿れ、一瞬の超芸術的ステップ

私が1番力説したいポイントである。
だからこそ、全く否の打ちどころのない、この回の「ジプシー」のパフォーマンスにおいて、私はあえて、カメラワークに一点だけ注文をつけたい。
サビの直前、唯一ダンサブルなステップが入っているこの部分は、
カメラは、絶対に引きのフルショット・しかも固定でお願いしたいのだ。
何故なら、この部分の一瞬のステップだけで、既に高尚芸術の域に達しているからだ。
この部分がなければ「ジプシー」の魅力は半減すると言っても過言ではない。
言い換えると、この部分だけでコウモリ🦇が半分くらいカサカサ襲来してると言っても過言ではない。
本当に美しい。美しくて、何百回リピートし、停止し、巻き戻し(はい昭和生まれですよ)して見たことか。何度その度に「綺麗…」とため息交じりに呟いたことか。
((´-`).。oOあの、こんな所でめっちゃ個人的な質問なんですが、パソコンのWindows搭載のDVDプレーヤーって、スロー再生出来ないんですか?🥺)

他の歌番組での歌唱の場合は、その美しいステップが活きるように、この部分は引きの固定フルショットで拝めることが多いのだが
(本当に「レッツゴーヤング」のカメラマンさんはその辺り弁えていらっしゃる笑)、
何故か「夜ヒット」では足だけのアップになっていたり、急に寄っていったり…
この伝説回の「ジプシー」も、1番のサビ前のステップ部分は理想的な引きのショットだったが、2番のサビ前の同じ部分はいきなり顔アップに寄ってしまっている(表情は素敵だし、そのお陰で完璧なダンスの『音ハメ』(後述)が拝めるので、それはそれで良いのだが)。
更には2本目と3本目収録の「ジプシー」では、その肝心の振り付け自体が変わってしまっているし…猛烈に主観だが、そこの振り付けは絶対に変えちゃイヤイヤ(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)なのである。
(本当に余談だが、Aメロに入る直前の腕の振り付けも、1・2本目(=前に突き出す)と3・4本目(=横に突き出す)で変わってるのだが、私は1・2本目の方が『静』の凄みが伝わってきて好き)

さて、このほんの僅かのダンスステップが、どうしてこんなに美しいのだろうと一瞬疑問に思ったが、すぐに解決してしまった。
やはり、ダンスの基礎がしっかり習得出来ているからなのだ。
まず、体幹しっかりしつつ、見事に四肢がアイソレーション完璧で解放されているので、手足に余計な力が入らず、フリーダムに使うことが出来ている。




身体は硬いのに…(笑)、関節の使い方がすごく柔らかく、適切なポジションをキープするだけの筋力も備わっているから、振り付けのメリハリが半端ない。
要するに身体の使い方がものすごく上手なので、振りのアクセントが美しく活きるのだ。
美しくしなる身体につられて、いつものように、やはり衣装も美しく踊っている。黒いスーツの動きを追いかけるだけでうっとりする。こんなに衣装が踊る人をあまり見た事が無いなぁ…

美しく見える要因は他にもいくつかある。

この振付は体幹弱い人だとふにゃふにゃしたり、上下にブレが生じる振り付けにもかかわらず、上半身が全くブレないことである。これは先述のお腹の引き上げが完璧なことに起因する。
また、上半身と下半身の動きがバラバラにならず、きちんと連動していることも挙げられる。どこかの筋力が不足していると、こうはいかない。きっと秀樹さんは身体に通っている軸を常に把握しながら踊っているのだろう。ストップモーションで見ると如実に現れるが、どこを切り取っても軸がブレるということがなく、身体のバランスが絶妙なのである。




この振付を踊る秀樹さん…月並み過ぎて反吐が出そうな言葉しか浮かばないが、本当に上手すぎる。

そのしなやかさを例えるとしたら、風にふわっと靡くリボン。どうしてこんなに柔らかく、しなやかに動けるのですか?と、秀樹さんに聞いてみたい。

こんな短い一瞬だけで、秀樹さんの恐ろしきダンスのポテンシャルが浮き彫りになっている。ここの振付考えて秀樹さんに踊らせてくれた振付師のネ申先生、ありがとう(つД`)ノ


⑥🦇完璧な「音ハメ」

振付自体の緩急の付け方や身体の使い方以外で特筆すべきはやはり、秀樹さんのダンスのカウントの取り方である。
これも拙ブログで以前述べたことの繰り返しになるが、カウントの頭(例:「ワン(wa-n)」の「w」の部分)にきちんと振りのインパクトが合致してるため、踊りがリズムにしっかりハマっているのだ。
イントロの2×8の振りだけでも、秀樹さんの尋常でないリズム感の良さがすごくよくわかる。
洋楽を幼い頃から聴いていれば、このリズム感は備わってくれるものなのだろうか。

秀樹さんの尋常ならざるリズム感の良さを感じさせる要因がもう一つ。
特大電飾セット(後に詳述)に遮られたオケのサウンドと、秀樹さんの振付との調和具合が非常に見事なのである。
しばしば現れる、ブラスが際立つ「音楽上の」アクセントとなる「メロディ」に、「ダンスの」アクセントをこれでもかとドンピシャに合わせてくる。
(例・イントロに二つ大きく入る「ジャーンジャーン」のアクセントなど)
メロディに振りをカチッと合わせることを「音ハメ」と言う。前項で述べたサビ前の華麗なるステップの部分も、「ジャージャッ、ジャジャッ」というメロディ(これで分かるかな〜ハラハラ)に対して音ハメが気持ち良く決まっているのは、上に述べた秀樹さんのカウントの捉え方に起因する。

秀樹さんがカウントいっこ分使って踊るような踊り方をするタイプの人だったらこんなに「柔」と「剛」の緩急はつけ切れなかったと思う。

なお、余談ではあるが、なんとなく見ていて、秀樹さんは振りを踊る時に多分ベースラインを頼りにリズムを取っていると思われる。

(…と思っていた所に、ラジオ「2R again」にゲスト出演された谷内和俊さんも、秀樹さんがベースラインで歌のリズムを取ってる、と仰っているのを聴きました笑

私も書いてたかんねっ、下書きに残しといて、UPしてなかっただけだかんねっ←お前は何を張り合っているw)

1番のサビでもベース音に合わせて「お願い」の後に一個アクセントの振りを入れているのをはじめ、2番のサビを見ていても、ベースの刻みと振りのアクセントが合致している部分が沢山ある。
振付以外でもある程度、秀樹さんの身体に流れてるグルーヴが身体を動かしている部分もあるのかもしれない。
いずれにせよ、音に合わせて踊れる人は多いが、リズムを聴きながらリズムを正確に掴んで踊れる人は本当に貴重なので、もっと秀樹さんが踊る映像が残っていたらもっと見たいのにぬぁと思った次第である。



⑦🦇西城秀樹のムーブメントは一級の芸術品だ⚡️(どこかで聞いた文体だ😅)

Twitterで良くして頂いている方のツイート風に⚡️をお借りしました💦🙇‍♀️

まず、ひとつひとつのポーズからして、一流画家の描く絵画のように美しい。身体のラインの美しさが、この世のものとは思えない。

例えば、イントロの右掌を前に突き出したストップモーション(下図1参照)は、その右手からスーツのライン、そしてパンツ(ズボンのことです念のため💦)のラインまで、絵に描いたように綺麗に流れているのだ(図2の青いライン参照)。

図1

図2

スタンスもジャストでちょうど良く(出たよ重複表現)、これ以上開いても閉じても、この美しく流れるラインは狂ってしまう。
そこまで…そこまで、この男は、計算していたと言うのか!(巨人の星のような劇画っぽい感じで呟くこと)

静止のポーズだけではない。この男、動いている時、踊っている時まで、全く美しいフォルムを崩さないのだ。

動いている間のスクショを沢山してみたが、一枚一枚、これが本当に動いている最中のショットなのかと疑いたくなる程絵画のように美しく、ため息が出るような…とは、正にこのことだ。
絵画を勉強されている方など、そのバランスや構図を見たら、きっと図解出来るのかもしれない(誰かして欲しいな〜←めっちゃ丸投げ)。
どれだけ身体の統制を取れれば、この美しいポーズを常に保てるのか…。
以下、スクショしたものの一部を参考資料として掲載するが、コマ送りレベルでどこを切り取っても、この芸術が延々と続くのだ。








言うなれば、美しい絵画のような平面的な視覚芸術作品が、パラパラ漫画みたいに立体的な集合体を形成し、舞踊・演劇のような時間芸術品を生み出している、ということだ。
芸術が集まり、芸術を形成する…
そりゃ美しい動きになるわ。


⑧🦇「静」の中での限界ギリギリの表現力

この回の「ジプシー」はまだ発売前の歌唱のためか(発売は12月20日)、ある程度振付がしっかり準備されていて、秀樹さんも忠実に踊っている(多分w)。
対して、3本目の「ジプシー」は特定の箇所以外は明らかにフリーに踊らせている要素が多く、4本目は当初の振付を崩してアレンジしつつ踊っているように見える。
なお、1本目と2本目は同じ衣装だが、微妙にサビ前などの振付が異なる。
1本目(この回)が一番抑えた振付で、ある意味、制約たっぷり、という感じの中でのパフォーマンスなのだが、その制約が逆にパフォーマンスに鋭さを増している。
フリーダムに踊る時とは一味も二味も違う、厳粛にして荘厳な「気」を排出しているのだ。
その「気」が織り成す静と動のコントラストの中、ギリギリを攻めた表現の振り切り方が、映像で到達しうる表現としての最大限のパフォーマンスに挑むかの如く見える。



そこで私が注目したのは、西城秀樹さんの「空間把握能力」だ。
カメラのフレーム(=視聴者の目で観ることが可能な部分)の中で、自分の動きがどのように映るか、どこまで自分の身体がフレームに収まるのか、どう身体を使えば「捨て」の空間が無く美しいか、彼は瞬時に計算できるのであろうか?…
気持ちいいくらいに、空間を持て余すということが無いのである。
引きであっても、アップであっても、である。

また、単純に広い空間を埋める能力があるだけではなく、秀樹さんの卓越した点は、どの空間を埋めるためにどれだけのエネルギーがちょうど良いのかを、緻密に計算し、見合ったエネルギーを放出出来る「空間支配能力」の高さにもある(たまにオーバーフローするのもまた魅力)
ラストの大サビも、映像で「やり過ぎ」感を与えないギリギリのラインまで目一杯、感情を放出している。これ以上振り切ってしまうと、舞台歌唱ではない映像歌唱では、視聴者が引く恐れがある。


秀樹さんの空間把握能力・支配能力の高さの現れとして、カメラの画角を把握していることを証明するような動きが、ラスト大サビの「罪にゆめと送り仮名をふるの」の箇所で、右手を徐々に上げていく振付に表れている。
秀樹さんは、真上まで腕を伸ばしきらない所でこの動きを終えているが、なんと右手がカメラのフレームに収まるギリギリの高さで、腕を伸ばすのを止めていたのである。


そのため、この部分の右手がゆっくり弧を描く美しい動きは完璧にフレームに収まっている。
これには驚愕した。…偶然か?

西城秀樹さんが飛び抜けてこれらの能力が高い理由については、ご自身が写真を趣味にされていたこともあり、ある程度の構図がパフォーマンスの最中であっても彼の脳内に描かれ、同時にエネルギーの振り分け方が計算されているからだと推測する。
また、秀樹さんの描かれる絵に表れているように、その能力の高さは天性の芸術センスから来るものもあるのだろうが、それ以外にもご自身のパフォーマンスをVTRで必ず見て内容を省みていらっしゃるというストイックなお人柄も、大いに影響していると思われる。

ご自身の才能に甘んじず、素晴らしい作品を聴き手に届けるために常に前進を続けて来られたことが、数々の素晴らしいパフォーマンスに繋がっている…
真っ直ぐで真面目でひたむきな秀樹さんが秀樹さんであり続けたからこそ、この完全たる芸術作品も誕生したのだと、私は思っている。


⑨🦇眼力に孕まれた上質なドラマ性

前項で述べた、秀樹さんの持つ「空間支配能力」を証明するファクターの中で章立てて特筆すべきは、秀樹さんの「眼」の使い方である。
もし3分15秒、時間に余裕があるならば、この「ジプシー」において、秀樹さんの「眼」だけを追って鑑賞してみていただきたい。


眼に意思を持たない瞬間、空間と時間を持て余す瞬間がひと時もない事が分かるのではないだろうか。どの場面においても「眼」における表現力が、切ない一夜限りの女のドラマを演出し、その場面場面の空気を支配している。こんなに映像内において眼だけで歌のドラマ性を表現できる歌手は極めて稀だと思われる。
秀樹さんの「眼」が表現するドラマ性、特に、以下の3箇所に是非注目して見ていただければと思う。
①1番の「送り仮名をふるの」から次の右手を振り上げるモーションに入る直前の一瞬の眼。瞳から、悲しみを帯びた強いエネルギーが放出されている。
②2番「あなたのこと占ったら…」から
サビに入るまでの一連の目線の流れ。特に「次のカードめくれば…」の時の、手前の腕から見え隠れする目線の色気は、めちゃくちゃ🦇襲来ポイント。この歌の「女心」の象徴とも思えるが、あまりに色っぽ過ぎて鳥肌が立った。
③その直後のサビ前のステップの時に抜かれた一瞬の目線。こんな一瞬でも、彼の眼はカメラを捉えて離さない。

更に。
その「眼」はこの歌が持つドラマ性を的確に伝える為に、カメラを通じてTVの前の視聴者との距離感をしっかり把握して演技しており、先に述べた「空間把握能力」の高さの片鱗も同時に窺える。
彼の眼が見つめているのは、カメラではなく、常にその先にあるもの…
日本全国へ、ひいては世界へ…見てくれている人達へ、あくまでメッセンジャーとして「歌」というひとつのドラマ作品を届けるのだ、という意志が表れた強い眼力。
歌は自分のためではなく、聴いてくれる人のために存在する…彼が生涯かけて貫き通した歌に対する姿勢が、この「ジプシー」のパフォーマンスでもよくわかる。
一曲を通して、歌の向こう側に見える人間としての在り方をこんなに感じる歌い手さんは、私の中では今のところ秀樹さんと、あと数える程しかいない。


⑩🦇何より、顔がかっこいい。骨格もかっこいい。

…ダメ?(笑)


©️舞台美術編

①🦇西城秀樹=❤️=カメラマン
〜相思相愛が創り出す映像芸術〜


西城秀樹さんのパフォーマンスに更に輝きをプラスする相乗効果を生み出しているのが、カメラワークである。
この回の「ジプシー」が神回と私が太鼓判を押すのは、このカメラワーク込みである。
「夜ヒット」のカメラワークはどの回も素晴らしいのだが、特にこの回は、秀樹さんのモーションや視線とぴったり息が合いすぎて、🦇が沢山襲来して鳥肌が立ってしまうのである。

軽く例を挙げると、2番に入る直前にダンスのインパクト(拳を突き出す振り付け)、音楽のインパクト(音のアクセント)、そしてカメラのインパクト(拳にフォーカスした急激な寄り)の3つが合致する瞬間があるのだが、本当に演者とオケとカメラのタイミングがピッタリ合って素晴らしいのだ。
更に、2番のAメロ「夜が明ければ 一人きりの」の部分の秀樹さんの右手の動き(ステージ上手から下手へ)と対照的な、カメラの弧の描き方(下手から上手へ)も、意図してか意図せずか定かではないが、個人的には🦇襲来ポイントである。

実はよく見ると分かるが、「夜のヒットスタジオ」のカメラワークは、意外とどのカメラも、固定ショットというのが殆どなく、常に動きを続けており、この「ジプシー」も例外ではない。時に早く、時にスローに…まさに縦横無尽に、その動きは留まる事を知らない。
それに呼応するように、これだけよく動く複数のカメラの中で、一瞬抜かれた時の視線に至るまで、絶対に魅せるポイントを逃さず、緩急をつけながら歌い踊る秀樹さんの振り付けとのシンクロ具合は、奇跡と言って良い。
その極め付けが、1番の「罪にゆめと送り仮名をふるの」の「の」から別のカメラに切り替わり、間奏始まってすぐ「ジャーンジャーン」という音のアクセントに合わせまたカメラが切り替わる場面である。
その短い時間にカメラの切り替えが3回と非常に慌しいのだが、秀樹さんはどのカメラにも瞬時に意識を向け、その目線・表情・身体のライン(向き含む)・ポーズをどのカメラにも画的に美しく収まるように動いているのだ。
(そう考えると、イントロ最初のアクセント「ジャーンジャーン」の所で秀樹さんが両手を上に伸ばして仕舞う一連の振り付けがあるのだが、もしかしたら、その手を上に伸ばした時に若干カメラの引きのスピードが遅かったのかな?などと憶測で考えてしまった。
もしもうワンタイミング、カメラの引きが早かったら、秀樹さんの伸ばした手先まで、全身が入っていたと思うので…)

今どのカメラで撮影中…というのはカメラのランプで分かるとしても、こんなの、秀樹さんご自身がカメラの動きと切り替えのタイミングを予めしっかり把握してなければ出来ないと思うのだが、果たしてどの辺りまで、放送前の打ち合わせで決められていたのだろうか。
この辺りも憶測でしか想像することが出来ないので、もしタイムスリップ出来るならば、当時の夜ヒットの打ち合わせに同席してみたいものだ。


②🦇セットと照明の相乗効果

a.特大セット〜閉鎖空間が生み出した芸術〜

更に、バックの電飾セットも、この芸術的空間を生み出す大切なファクターである。



この特大セットがオケからも他の出演者からも秀樹さんを遮り、誰もパフォーマンスの邪魔をしない「閉じられた」空間としてステージが独立していることで、カメラに収まる画が美しく纏まる。
「レッツゴーヤング」のように、手前に観客が存在すれば別だが、当時の「夜ヒット」には存在しないことも手助けし、前後左右の空間が限定されることで意識すべき対象がTV用のカメラだけになり、演者側もパフォーマンスの焦点を合わせ易くなる。(共演者を遮るセットが存在しない時、しばしば秀樹さんは共演者や司会のお二人の空気を背後に感じ取り、さらには自己のライブと同じように、彼らを巻き込みながらパフォーマンスをすることも多い)
しかも、その「閉じられた」空間は決して平面的ではなく、この特大セットによりかなりの奥行きが生じている。閉鎖的な中にも奥行きがあることで、視聴者の視覚に立体感がプラスαされる。
そうした意味で、この特大セットはこの「ジプシー」というひとつの作品の芸術性に一役も二役も買っているのだ。

「夜ヒット」のように「閉じられた」空間を比較的作り易いスタジオでは、特に秀樹さんのような元々パフォーマンスに演劇性を多く含むパフォーマーにとっては、その演劇性が増幅されやすい傾向にあると私は考える。(沢田研二さんや、小柳ルミ子さんなどなど)

私はこの「ジプシー」のパフォーマンスを最初に見た時に、フレッド・アステアの映画「恋愛準決勝戦」(1951年・MGM)の中でアステアが重力を無視して部屋の壁〜天井でタップダンスを踊るシークエンスが頭に浮かび、その伝説的シーン同様にエンタテイメントが芸術に昇華される瞬間を垣間見た気がしたが、それはこの「閉じられた」空間が築かれたからこそ生まれた映像芸術性なのかもしれないと感じた。
偶然の産物か、はたまたそれとも…


b.照明/光と演者の絡み合う芸術

照明の効果も非常に大きい。
基本、この回の「ジプシー」は、照明全てオフの状態だと、真っ暗、つまり、このキャンバス全体のベースは黒である。
そこに、イントロ・間奏・大サビ・アウトロの各タイミングで、奥行きの深い特大セットの後方上(天井)と下(セットの中心奥)から、赤・黄・青・白色のコントラストを描きながら鮮やかなライトが秀樹さんを照らし、そこに上からのピンが絡んでいく。
真夜中を思わせる黒い空間に佇む、黒いスーツを纏った秀樹さんを照らすカラフルな光のハーモニーが実に神秘的で美しく、特にイントロ・間奏・アウトロでバックの照明がオンになって秀樹さんを照らしている時など、電飾の奥行きと相俟って、まさしく秀樹さんに後光が差しているように見えるのだ。



また、特大セットの電飾の無数の星のような光と、太陽のような眩しさを放つ照明の光が絶妙に絡み合う状態は、まるで光がこの曲に合わせて楽しげに踊っているようだ。
そしてまるでその光を操る魔術師のように光と呼応しながら踊り歌う秀樹さん自身も、眩しすぎるほど輝きに満ちた光を放っているのである。


❤️まとめ:3分15秒の総合芸術❤️

たとえ、秀樹さん一人のパフォーマンスだけが優れていても、この3分15秒がこうして上質な芸術に昇華されることは無かっただろう。

その3分15秒という時間空間を余すことなく、
秀樹さんの絶好調の艶やかな歌声と、
オーケストラの奏でる音楽のパンチと、
秀樹さんのどこを切り取っても絵画のように美しい身体表現(ダンス)、
そこから生まれる寸分の隙もない演劇性、
カルボナーラのソースのように濃厚にパフォーマンスに絡み合うカメラワーク、
閉じられた空間を創り出したセット、
眩しさを放ちながら自らも踊る照明、
これら全ての環境が生み出した必然とも偶然とも言える相乗効果が、この奇跡的な総合芸術作品の誕生へと繋がったのだ。
ふぅ。
たった3分15秒で、この内容量である。
他にも、秀樹さんが残してくれた奇跡のステージは沢山ある。現にこのDISC3にも、「サンタマリアの祈り」や「南十字星」などなど…やはり🦇が多数襲来したパフォーマンスが収録されている。
そして他のDISCにも、星の数ほど…
「夜ヒット」だけでこんなに珠玉のステージが沢山あるのだから、秀樹さんの全ての曲やステージを同じように解析したら、いったいどれだけの文章量になるのだろうか。
多分一生かかっても無理だろう。
これだけ論じる事柄が多く、芸術的観点から言及すべき点に溢れているパフォーマーは、非常に稀有だと思う。

ただ…今も昔も歌やダンスが上手く「見える」人が沢山いる中で、秀樹さんの歌やダンスの凄さはシンプルが故に目立ちにくく、ある程度このジャンルをかじった人でないと、見抜いて的確に論述するのは難しいと思う。

秀樹さんがご活躍されたこの時代に、実際に歌やダンスの研鑽を積んで解説されている評論家はどの程度いたのだろうかね。まぁいなかったとしても、今こうして残せるなら、良いではないか。これはホントよ。文句を言うより体で行動。私はそうします。

勿論私は評論家でも何でもないけど、とりあえずちょっとエンタメの端っこをかじった身として、こうした作品分析が無いよりマシかなと思い、こうして残しておくことにしました。


〜🦇終わりに/感想などなど🦇〜

思いっきり、大量のコウモリに突っつかれまくって、傷だらけのanoである。

しかしつくづく、現代に録画という技術が発達しており、心から良かったと思う。
西城秀樹さんは1回1回のパフォーマンスに、本当に魂を注いで私達に最高のステージを見せてくれていたが、もし録画という技術が無ければ、こうして私も後年に西城秀樹さんの芸術的神パフォーマンスを見ることが出来なかったわけだし、5月に天国に行かれてからファンが増えたのも、こうした貴重な映像が残っていたからである。
今、CS放送ではあるが、フジテレビTWOにて西城秀樹さんの「夜ヒット」出演回をレギュラー放送してくださっていること、衛星劇場で「フォーエバー・ヒデキ」と銘打ち、秀樹さんの出演作品を継続して放送してくださっていること、その他西城秀樹さんの歌唱映像を流して下さるメディア各位に、心より感謝の意を申し上げたい。

おわr…

アイドル仮面ヒデキ(以下「ヒ」)「ちょっと!ちょっと!ano.ano.kiさん!」
ano.ano.ki(以下「ア」)「あら、アイドル仮面ヒデキさん、お久しぶりです」
ヒ「読んだよ。またしょうもない小ネタばっかり挟んじゃって。基本面白くないよ。絵も相変わらずひどいし」
ア「何ですって!?!?ヒデキさんの『春巻き』や『キャッツボール』発言(「ザ・スター」未公開NGより)よりましですよ」
ヒ「ひどいなぁ。渾身のギャグだったのに」
ア「ラジオでもかなり暴走されていますね。こないだ聴かせていただいた某ラジオ、秀樹さんめちゃくちゃ卑猥ですし、『さようなら』を…『さよへ』ってなんですか!『さよへ』って!ひどすぎますw」
ヒ「天下井くんと同じこと言わないでよ。それはあれじゃない、ラジオのさ、ノリでさ…」
ア「まぁ良いです。身も凍る駄洒落やギャグもヒデキさんの魅力の一部ですしね。好きです私。

それよりヒデキさん、夜ヒットのDVD、結構トークも面白場面沢山あるんですよ」
ヒ「相変わらず切り替え早いねぇ…なに、例えば?」
ア「4個目に入ってるジプシーの」
ヒ「はいはい」
ア「ヒデキさん・井上順さん・芳村真理さん3人でのジャズダンスのトークのくだり、真理さん、テンションおかしくないですか?
異様に高いと言うか…」

ヒ「ああ、あはは(苦笑)どうしたんだろうねあれは」
ア「ヒデキさんが歌のスタンバイに行った後、真理さん、順さんと2人で話してるんですが」
ヒ「うん」
ア「何故か真理さんが、順さんの腰に手を回して、順さんが『えっ何⁉️』ってギョッとした表情で、無言で真理さんに訴えてるのが何とも…」
ヒ「そんなことがあったんだ。僕準備に行ってたから知らなかった」
ア「DVDに収録されてますから、是非確認してみてください」
ヒ「ねぇねぇ(袖を引っ張る)」
ア「あと個人的にツボなのは、『リトルガール』の曲前のトークで、ヒデキさんがスタンバイに行った後、真理さんがヒデキさんを指して『色浅黒くなっちゃって』と順さんと話していたそのすぐ背後に見えた、真っ黒な顔の田代ま○しさんです。こっちの方が黒いじゃん!って」
ヒ「あーそう言えばね…この場面よく収録OKになったよね…
じゃなくて、ねえってば!」

ア「じゃっ(逃げようとする)」
ヒ「ちょっと!(襟首をつまむ)」
ア「むぎゅ。:;(∩´﹏`∩);:もう私は用は済んだです…」
ヒ「かわい子ぶってもだめだよ!あのさ、書く書く詐欺はいつまでやるのよ」
ア「な、何のことでしょう」
ヒ「君のブログで次回予告でいっつも出て来るあのLPのことよ」
ア「あぁ…やっぱり覚えてました?」
ヒ「当たり前だよ。ずっと楽しみにしてるのに」
ア「でも、その前に、こんな感じで、書きたいことが沢山出て来ちゃって…」
ヒ「そりゃわかるよ。僕すごいから」
ア「自分で言っちゃった!」
ヒ「次回予告『愛と情熱の青春』!」
ア「ひどい!強引!半ば強制的!」

ヒ「僕のDVDも是非買ってね!!」

https://www.110107.com/s/oto/page/hideki_yoruhit?ima=1123


〜完〜


(注:これはあくまでも感想文です。個人の独断偏見入りまくりなので、悪しからず…m(._.)m)