謝るなら、いつでもおいで 川名壮志著
謝るなら、いつでもおいで/集英社¥1,620Amazon.co.jpカーラジオから聞こえてきた2004年に起きた衝撃的な事件「佐世保小6同級生殺害事件」に遭遇した記者が書いたという本の紹介事件はなぜ起きたのか?一体何があったのか・・・地方の支局に勤務する当時、まだ若手の記者小さな支局で同建物内に支局長家族は居住し食事を共にしたり家族のように接していたその上司(支局長)の娘の身に起きた同級生に殺害されるというショッキングな事件。「謝るなら、いつでもおいで」というタイトルがどういう心の動きがあってそう云えるのか、もう戻ることのない娘(妹)を失ったひとたちの心の叫びとても気になって手に取ってみた。フィクションではないという物語は読むのにもエネルギーがいる。なかなか読み進められない。怒り、哀しみ同情でしかないのかもしれないけれど大切な人を失うことの想像しがたい状況なのだ。でもこれは本当に起きたことでひとりの命が失われてしまったこと。。。そしてさらに私が読み進められずにいたのが衝撃の事実だった。知らなかった。子どもたちが犯した罪に対する処罰などの法律この加害者は処罰されないのだ。少年法すら適応されない年齢で児童福祉法が優先されるということらしい。でもあまりにも残虐なこの事件がきっかけにもなり少年法の改正がおこなわれのちに適応される年齢の引き下げなども成されたようだが法によればこの小6の児童、加害者は殺された児童と同じく被害者であるという扱いになるらしい。気になった方は詳しくは法律やらこの作品をお読みください。なんとなく耳にして知ってる?つもりなのは少年法というもの二十歳未満の少年が(男女の区別なく少年とくくられる)刑法に触れる犯罪を犯したとしてもその子の将来を考えれば罰を与えるよりも教育のための「保護」する処分が望ましいという考え方。刑事処分しない保護更生の処置をとるこの法律だけでも私は、昨今の凶悪な少年事件をみるとなぜ??と思ってしまう。確かに罰すれば済む話ではないし若者にはこれから形成されていく将来というものをおとなが守らなければならないのかもしれないが報道をみるにつけ被害者ばかりが、社会に顔写真から何から明け透けに放出されわたしは、いつも被害者なのにさらに汚されていく・・・と目を背けたい社会状況がある報道のありかたを疑う。なのに加害者については少年というだけで何もかも表に出ない。殺人事件という最悪の事件についてはいつも被害者の被害者家族の無念や怒り、哀しみいくばくか想像し難いけれどこの事件についてはたまたま報道に携わる人が父親でその部下もまた家族のように接したがために自分の中でコントロールできない感情やらそれぞれの立場の心の動き今まであまり目にすることのなかった事件に関係した人たちの葛藤が読み取れる。けれど事件の真相はこどもであるがゆえに刑事的対処がなされず心理鑑定やら、なにか手落ちであるように思えてならない。彼女は果たして自分の罪を理解していたのだろうか、出来たのだろうか、わたしたち大人はこどもたちをどう育て、まもっていかなければならないのか、子どもに限らずではあるが生きるってことを考えさせられる作品であった。この本の題字は被害者の兄が書いたものでその彼の告白が生かされる社会づくり、法律づくりのソースになってほしいと切に願う。愛する者を失うことそれを奪う行為そうさせた背景なんだろう。。。戦争の絶えない世界就職できず、人を殺したいとイスラムへ向かおうとした青年地球、自然を破壊した人間は自分たち自身をも殺めるほどの狂った世の中になってきているのだろうか、、、こころが痛い作品だった。辛かった。でも、読んでよかったと思う。加害者である少女もあれから10年成人し、社会復帰しているらしい。(被害者は、加害者の何をも知ることができない)その彼女が自分の罪を理解し被害者、その家族に対して心を寄せるそういう国の再教育がなされているはずだと願いたいが。起きた悲劇はずっと関係者の人生からは消えることがない・・・