とある病気が発覚した私は、
それまで距離を置いていた親に、
うっかり連絡してしまった。
もしかしたら。
こんな時くらいは、
普通の親のように心配してくれるんじゃないか。
必要以上に踏み込まず、
ただ「大丈夫か」と言ってくれるんじゃないか。
そんな期待を、ほんの少しだけしてしまった。
でも、やっぱりダメだった。
父からは、私への再支配が始まり、
母からは、境界線を無視した
「理想の母親像」の押し付けが始まった。
具体的には。
仕事を続けながら通院治療を希望している、
と伝えた私に、
父は電話口でこう言った。
「お前はもう母親なんだぞ!」
「生き延びることだけ考えろ!」
「こんな病気になりやがって!」
心配ではなく、叱責。
助言ではなく、恫喝。
私の状況や意思など、最初から眼中にない。
一方、母から届いたのはこんなメッセージ。
「何もできないけど、顔が見たいから今から家に行く」
子どもには、まだ何も伝えていない。
その段階での、この言葉。
一気に視界が狭くなった。
頭が回らなくなり、
プチパニックになりながら、
私はそのまま返した。
「まだ子どもは知らないから、来ないで」
返事は、あっさりしていた。
「いずれ分かるんだから、いいでしょ」
もう二度と見返すことはないけれど、
母とのメールのやり取りには、
しっかりこの言葉が残っている。
どこまで自己中心的なんだろう、と。
この時、私は初めて、母に対して
殺意に近い感情を抱いた。
病気の子どもを心配して
すぐに駆けつける“優しい母親”。
母がやりたかったのは
その役を演じること
それだけだ。
付き合わされる私や
何も知らない私の子どもにとっては
迷惑でしかない。
母が帰ったあとも、私たちの生活は続く。
私自身の不安に加えて、
子どもが感じるかもしれない
不安にも対応しなければならなくなる。
その現実を、母は一切想像していない。
この感覚、昔にもあったな、
とふと思い出した。
妊娠中のことだ。
特に問題なく家事もできていた私に対して、
母は
「悪阻で苦しむ娘のために、
娘の家で料理を作り置きする母親」
をやりたかったのだと思う。
私の言葉など無視して、
母は私の家に押しかけ、
その時、つわりで唯一受け付けなかった
卵の匂いを家中に充満させ、
満足して帰っていった。
残された私は
家中にファブリーズを撒く羽目になった。
「卵の匂いがダメ」と、
もっと強く言えばよかったのか。
でも、そんなことで母は怯まない。
「えー?」
それだけ言って、
私の発言は
いつもなかったことにされるのだ。