最近、身内に不幸があった。


という表現が嫌い。

なんでこんなに婉曲な言い回しをするのか。


周りが言うならわかる。

でも自分が言うのは違うのではないかと感じる。


高校過ぎても言葉の通り受け取っていた。

なんか悪いことあったのー?

って無邪気に聞いてた。


知識として身に付けた後も

友達がライトに話していると

自分の中で不幸=死と一致しなかった。


今でもマジで思う。

ストレートに言ってくれ。

もしくは忌引とか亡くなるとか

それ以外の意味を持たない表現に変えてくれ。



まあ他の婉曲な表現もよくわからんが。

なんでダイレクトに死にましたって言わないのか。

遠回しな表現は

その人のことの死も

正面から受け止めてない気がして嫌い。


本当に真正面から受け止め切れないほどの関係性ならわかるけど、

お前、呼ばれたから来ただけだろ

最後にいつ会った?

いやいや、1週間もしたら忘れてるでしょ

ってな人だちまで

いかにもな感じを出されるのはなんか腹立つ。


バカ正直で変に真面目だからこそ

上っ面な哀しみが許せない。



だから

数日前にあった

親戚の通夜も葬式も欠席した。

三等親以内だけど。


大人になってよかったのは

こういう行事に無理やり参加させられることがなくなったこと。

20年くらい前に1年に1回しか会わない

しかも嫌いな遠い親戚の葬式に親に強制的に連れて行かれた。

今でも嫌だったし、そのことに関しては親を恨んでいる。


今では、自分の特性を知り

納得できないことは、できないとわかった。

自分を守るためにNOと言える強さも、もっている。


あと、宗教が関係していることも苦しい。

日本の葬式は仏教が多い。

わたしは無神教だ。


ここ数年で

わたしの信仰はおいておき

死んだ人の信仰で儀式を行うことが肝要だと

考えられるようになった。

でも、やはり信じていないお教を一緒に唱えて

数珠をもって祈っているふりはできない。

自分の心に嘘をつきたくない。


どの宗教であれ

その神や仏に

信仰心のないわたしが祈るのも、失礼に感じる。


仕方なく参加した法事や葬式は 

座っているだけでいいと言われていても

順番がきたら焼香しないわけにはいかない。

わたしひとりが葛藤し、心をえぐられた。


だからこそこういうイベントは参加しないことが

自分と自分の信仰、

他人の信仰を守ることになる。


もし死んだ人が、すごく近しい人なら?

それでもわたしは

この姿勢を崩さないと思う。

お互いをよく知る人物なら

来てくれただけで驚き歓迎してくれるだろうから。