チョンばんは
今日は3.11の震災から5年たちました。
特に被災したわけでもないのですが、
私、たまたま千葉県の某市議会に行っていて、
家に帰れなくなったりしたので
そのときをちょっと振り返ってみたいと思います。
長文お許しください。
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某市議会で午後の休憩中に地震が来て、
市役所の方々は防災関係で動かなきゃいけないので、
再開してその日の日程は延期して、
残りの議案を委員会に付託したんだけど、
その間にも余震でグラグラ揺れるし。
もう、早く~

って思いながら臨場。
やっと議会は散会。
その日の予定は延期したので、翌週に開催することになって
翌週行ってみたら、議場の壁にはクラック入って、
傍聴席は壁が落ちたりしてました。
市内も液状化した地域があって大変なことになってました。
その後は、放射能関係でも大変なことに。
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で、私はといえば、
役所から家に公衆電話からかけて普通につながったので、
関東はそんなでもなかったのかなと思って、
どうせすぐに駅に行っても混雑しているだろうからと、
役所でテレビで被災の様子とか見てからバス移動。
でも、駅に行ってみたら駅は閉まってて入れず。
てことは、電車の復旧ってあるのか・・・
寒いし、嫌~な予感がしたので、
イートインできる神戸屋に入ってあったかい席を確保。
席を確保して、コーヒーとパンとか食べて。
周りにいる方たちと情報交換。
どうやら電車は復旧しない様子。
とにかく駅が閉まってるから話にならないってことで。
案の定、携帯つながらないから、
自分の無事を伝えるには公衆電話に並ばねばならず。
それには神戸屋出なきゃならないし。
そしたらあったかい席も失うし。
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実は、震災時には国の重要機関に回線が優先されるので、
一般の携帯は使えなくなるんですよね。
私、阪神・淡路大震災後の研修会で教わって知ってました。
だけど夫は知らないみたいで、家の電話から連絡くれないし。
こういうときは公衆電話や家の電話はつながるんですけどね。
夫が心配して、バイクや車でこっちに向かってきたら大変だなと
逆にそっちが心配になりました。(私が大変なんだっつーのに・・・

)
とにかく幹線道路はえらいことになってるに決まってるし。
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で、神戸屋さんはある程度の時間になったところで、
今いる人だけ残して店を締めて、
20時まではいさせてくれるようにしてくれました。
おまけにコーヒー、紅茶はお代わり自由で。
私はコーヒーも既にお代わりしていたからちょっと残念。
本当に太っ腹な神戸屋さんはありがたかったです。
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そして周りの人とお話ししていたのですけど・・・
隣に座っていた女性は、自宅には帰れないけど、
その市に別宅があるとかおっしゃっていたので、
きっともう電車は動かないから
明るいうちに別宅に行ったほうがいいとお勧めして
別宅にお帰りになりました。
市内にある工場にお勤めの女の子は、
ドコモの携帯で家族に連絡ついたようでした。
私のソフトバンクは全くつながらないし。
この某市にはホテルがないから泊まる算段もできず、
隣に座っていたビジネスマンは途方に暮れてるし。
隣市にはホテルがあるのは知っているけど、
もういっぱいになっていただろうし、
タクシーで向かったところで、それも渋滞して意味なさそう。
あのビジネスマン、結局どうしたんだろう。
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女の子は家族に連絡とれたことだし、
そろそろ神戸屋も閉まるし、
私は、電車がダメなら実家に行くしかないので、
公衆電話から連絡することに。
意を決して外に出て公衆電話の長い列の最後尾に並びました。
まずは自分の家に電話して、迎えにこないように伝えてから、
実家に電話。でも、肝心の父はゴルフでおらず。
近くに住む弟に電話。でも、つながらないし。
てことで、後ろにも寒い中、順番を待っている人がいるので、
弟に連絡とるために、また最後尾に並んだりしました。
いろいろ連絡とれて、県の施設が一晩開放されたので、
そこでお迎えを待って、甥っ子とともにあらわれた弟に
実家に連れてってもらったのでした。
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実は、県の施設が一晩開放してくれたけど、
夕方、一たん閉められて入れなかったんですよね。
駅も閉まってるし、県の施設も入れないし、
店はみんな閉めちゃってるし、
一体どうしろっていうんだ

って状態だったんですよ。
だから、神戸屋さんに入れてホントにありがたかったんです。
それと、電話で並んでいるときに、
お弁当屋さんが唐揚げを無償で配ってくださってました。
神戸屋さんも、残ったパンを配り始めたりしてました。
ホントにご厚意が身に沁みて涙が出そうでした。
まあ、パン食べちゃったので、私はいただかなかったんですけど。
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で、弟の車での帰り道、
幹線道路は大渋滞だろうからと農道を走っていたら、
暗がりでよくわからなかったんだけど、
途中ダンッてものすごい衝撃があったのね。
後になって、あれって地震でできた段差だったんじゃないかって
改めて道路も危なかったんだなとヒヤッとしました。
無事に実家に連れてってもらったけど、
父は下の弟と一緒に茨城だか福島だかのゴルフ場に行ってて、
私が着いてからしばらくして車で帰ってきました。
何でこんな日にゴルフなんて・・・
でも、よくよく考えたらよく帰ってこれたもんです。
東北方面にいたんですからね。
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私は実家に泊まって翌朝、乗換駅まで送ってもらって、
動いていた上り電車で帰ることができました。
私が降りたのは上野駅なのですけど、
駅は入場制限をしていて、物すごい人の波が扇状に広がってました。
前の晩に帰れなかった人がこんなにいたんだと、
自分はまだ楽な思いをしたのだということもわかりました。
で、道路に出ると、昔、パニック映画で見たような感じ。
コンテナとかトラックとかそんな大型の車で大渋滞してました。
そう、高速道路を封鎖していたからだったのでした。
ホント、改めて大動脈が止まったんだ、
大変な地震だったんだって実感しました。
後日、朝の職場では、5時間歩いて家に帰ったとか、
何時間かかったとかの話で盛り上がってましたね。
電車、全部止まってたんですね。
みんな歩いてるから、ぞろぞろ移動してる感じだったみたいだけど、
何時間も歩くっていうのもすごいなと。
東北で起きた地震でこのありさまですから、
関東を直撃したらどれほどのことになっていたのか想像つかなくて、
じわじわと身近にある危機を感じました。
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というのが私の体験した東日本大震災です。
地震の直後、テレビではすぐに現地の映像が流れていて、
車が流されたり、家が流されたりしてるのを見ました。
車の中の方は、あの時点では生きていたのに・・・
流される家の中で必死にもがいた方もいたろうに・・・
そんなことを思うと、
何だか物をたくさん持っているのがばかばかしくなって、
そこからシンプルに、必要なものだけで生活したいと思って、
ずーっと断捨離の日々です。
服や靴、バッグは言うに及ばず、
食器や鍋なんかもジャンジャン処分しました。
でも、買っちゃうからそんなには減らないんですけど、
実は先日も45リットルの袋2つ分、服やバッグを処分したところです。
ホントは、こういうことがなくても、
私が死んだら残された方に迷惑になると思って、
物を整理するようにはしているんですけど。。。
だって、いつ死んじゃうかわからないじゃないですか。
明日車にはねられてしまうかもしれないし、
上から落ちてきた物に当たってしまうかもしれないし、
実は重篤な病気が見つかるかもしれないし、
韓国行きの飛行機が落ちたらおしまいだし。
まだまだ物に囲まれていてお恥ずかしい限りで、
偉そうに言えることはないのですけれども。
ブランド物だって、津波や洪水で流されたらおしまいです。
車だって流されたらおしまい。
家だって土台から液状化したらもう住めませんからね。
こちらはまた落ち着いたら片づけていこうかと思っておりますが。
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で、話は戻って市議会ですが、
3月なので定年退職される方々もいらっしゃって、
最終日に紹介されたりするのですけど、
このときは議場が崩れたら危ないので、
急遽、狭い委員会室で本会議を行うことになったのでした。
忘れられない退職の記憶ですね。
委員会室の一体感がすばらしかったです。
あれからもう5年がたってしまったんですね。
私にはついこの間のことなんですけど。
これだけ鮮明に残ってましたから。
私、どこかで吐き出したかったのかもしれません。
大して苦労もしてないし、結局、実家に泊まれたし、
来た電車に乗ってのほほんと帰ったりはしたんですけど。
で、驚いたことに、私、この時点で、
まだリダ(キム・ヒョンジュン)もイル君も知りませんでした。。。
ってそこかよ・・・(;¬_¬)
おあとがよろしいようでm(_ _)m