空間現代ライブでの神里雄大作品「杏奈(俺)」再演、ダンスコレクションのソロ「15月」、21世紀ゲバゲバ舞踊団「崩壊寸前」無事に終わりました。
お立ち会いくださった皆様、本当にありがとうございました。

21世紀ゲバゲバ舞踊団の公演を観てくださった藤原ちからさんがご自身のBlogで「崩壊寸前」について書いておられ、その中で私にふれて書いていただいた一文がありました。
そのことについて明確に思うこと(最近考えていたこととシンパシーを感じた)があるので、私の考えを書きたいと思います。
(批判とかでは全くありません。読ませていただき、日頃思うこととリンクしたので、私の言葉でこれについて言うべきだと思いました。)

その一文を、藤原さんのBlogから引用させていただきます。

ところで入手杏奈がずいぶん艶めかしく(もっといえば、だいぶエロく)見えたのは、神里雄大『杏奈(俺)』を経たせいだろうか?
(下記のBlogより引用)
http://bricolaq.hatenablog.com/entry/2013/02/19/190752



これを読んで、エロ(ダンスと)について私の思うことを。

私は自分が特別に色気がある人間だとは思っていませんが、踊るということをしている以上、そこに無自覚ではいけないと思っています。
こちらが思っていること全てが観ている人と一致するわけでは無くとも、人様の前に出て行く前に自分の中ではっきりしておきたい意識のひとつです。
人間誰しも、そうであるのではないかと思うのですが、自分の中には本来の性である女とは別に、男が存在しており、その2人が常にせめぎ合っています。
踊っていて、攻めるか攻められるか求め合うか決別して存在するか。
人前で踊るという行為自体がこういうことですが、まず自分の中でそのせめぎ合いがあります。
だから、エロくなって当然なんです。
踊ることは、踊る方と観る方の命がけの視姦でもありますし。
全てのダンスがそうであるのでは無いと思いますが、そういう瞬間がつくれるかどうかということに関して、少なくとも私は考えなくていけない、と思っています。
杏奈俺を経ての部分に関しては、あの作品創作を経て、よりそのことに自覚的になった(その意識が鍛えられた)ということが言えると思います。

ダンスコレクションのソロを観た乗越たかおさんには「ぶっきらぼうな色気がある」と言われましたが、これは前述の通り、私自身男と女がせめぎ合っている感覚がある故、言い得て妙だなぁと思いました。

すみません、自分のことばかり書いてしまいました。
自分自分、ほどつまらないことはない。自分のことに一生懸命なうちは見えてこないことも、それを手放したときによりその人が見えてくるってことってすごくあるよな。
自分と向き合うって良く学生のときに狂ったように言ってたけれど、それってつまりなにとも向き合えてなかったと今にしては思う。
自分を手放すことが私には必要で、それでも必ず厄介に残っていくものが更にコントロールされて表出されたらかっこいいだろう。
ちなみに今インフルエンザです。


では、これからも頑張ります。どうぞよろしくお願いします。





入手