「佐藤初女さんの講演に行くの」と母が言うので、
「おいしいおにぎりの作り方について、よく聞いてきてね」
と言っておいた。
半分、本気。
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去年の今頃、山形で過ごしていた。
山形で何を学んだ?と聞かれたとき、少し熱く語ってしまうことの一つに、
握りかた一つでどれだけおにぎりの美味しさが変わるかを知った、
ということがある。
「Aさんのおむすびが食べたい。作ってよ、Aさん!
anneちゃん知ってる?Aさんのおむすびの美味しさ、
ハンパないんだよ。」
と、皆が口を揃えて言っていた。
その皆というのは、一流のレストランで働く人たちだったのだけど。
Aさんと出会って間もないあるお休みの日、
Aさんは私たちを連れて、
彼女が愛してやまないお店に連れて行ってくれた。
お昼のメニューは、おむすびのランチ。
おむすびと、お漬物とおみそ汁と、…それだけ。
それだけなのに、心が満たされ、お腹もいっぱいに満たされた。
そのシンプルなもののひとつひとつが、本当においしかった。
「ここのおかあさんの作るおむすびには、どうしても敵わないんだよなあ」
と、唸りながら幸せそうな顔をしていたAさん。
どうしてもAさんのおむすびを食べたいと懇願していたら、
ある朝、おむすびを握って持ってきてくれた。
一口かじって改めて感じたことは、今でも鮮明なまま記憶に残っている。
➖おにぎりって、握りかたによって味の感じ方まで変わってしまうんだ。
きっと当たり前のことだけれど、こうして実体験したのは初めてで、
だからこそ自分の中では興奮の伴う新発見だった。
私のまわりにはなぜか様々なタイプのグルメな方々が多いのだけれど、
意外なことに、その話をするとみんな興味深く聞いてくださる。
「握りかたで味なんてそんなに変わるの?」と、
行きつけのお店のおかみさんに尋ねてくださった方もいて、
私だけの新発見ではなかったというのが、さらに嬉しかった。
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ところで、初女さんの講演から帰ってきた母は、こう言った。
「一緒に参加される方たちに、
『娘においしいおにぎりの作り方についてよく聞いてくるように言われた』
と話したの。
初女さんの本を、私が皆さんに貸してあげたのだけど、
それは河合隼雄との対談が載っているような内容。
皆さん、それを真剣に読んできていたから…(笑)
『あら、そうなのね』だなんて反応だったのだけど…、
でもね、anneちゃん。
結局、
初女さんのお話は、''おにぎりの作り方''に終始していたのよ。」
初女さんが人生を語るすべてが投影された、
''おにぎりの作り方''
私からの宿題の回答がメモされたA4のルーズリーフを、
母は1枚ペラッと破いて、私にくれた。
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そういえば、山形から帰ってきてからずっと私は、
「本当においしいおにぎりを作れるようになりたい」
と心から願っている。
シンプルなものはきっと、極めると今知っているよりももっと美味しい。
シンプルなものを、おいしく作れるようになりたい。
けれどその目標を叶えるのに要する時間は、
焦らなくたって大丈夫
のんびりと一生かかったって構わない、
そんなふうに、感じられた。