今から思えば「感が働いた」のかな。
6人家族も今では3人になった家の中、そんなに買い出しは要らない。
でも先週末、チャリを走らせあちこち廻ってどれだけ買い込んだか。
米まで買ったし(・。・;
月曜日、仕事日だから普通に弁当を作って準備していた。
狭小地に建つ3階建ての我が家。
阪神淡路大震災の時も揺れが大きく、後日ずれた瓦が土台の木ごと落下して大変だった。
そして今回
2階に居た私は、どこから何が飛んできても直撃しない柱の真ん前に居た。
左側ではテレビが倒れ、右側ではキッチンの流しに上からいろんな物が落下してくる。
少し向こうの食器棚からは派手な音がしている。
たった一人の家の中、思わず悲鳴を上げた。
とにかく突然ドン!!!と突き上げられたので対処できなかった。
それでも時間が短かったのは幸いだ。
一番倒れるとヤバい物が多いのは3階。
ところがほとんどギリギリの場所でとどまってくれていた。
あと数秒長かったら、ミシンも大量の本もパソコンもひどい状態だっただろう。
ただし家具を含めあらゆる物がそのまんまの状態で数センチも移動していたのには驚いた。
裏も横もそんなに隙間はなかったやろ!?(と、自問自答)
ということは・・・
家の支柱もそれだけズレが出てきているはずだ。
阪神淡路大震災の際にできたズレと合わせると、どれだけになるのか(・_・;)考えたくない。
職場に連絡したいのにNTTは混線、携帯は不通、メールは送信済みの確認ができない。
電車もストップしているので欠勤は確実だが、それでも連絡だけは入れたい。
数時間後に職場のリーダーからメールが届いた時はホッとした。
唯一無事だったのがLINEトーク。
一日中スマホを話さず、仲間と情報を共有できたのは安心だった。
地震当日、月曜日のお昼、
スーパーもコンビニも何もないよ~!と誰かがLINEで呟いた。
(えっ!?みんな慌てて買いに走ってる?)
私は弁当とお茶の用意は(仕事持参のため)できてたのでそのまま昼食。
電気はOKだったから、倒れたテレビを何とか起こして情報収集。
水は午後過ぎから少しづつ出始め、ガスはマイコンメーターにて自己復旧ができた。
夕飯の準備も入浴することも可能になった。
全国ニュースで流れている陥没した道路やブロック塀倒壊で死者が出た小学校は、そう遠くない。
すぐそこで大変な思いをしている方たちもたくさん居るのに、何だか申し訳ない気がした。
翌日火曜日、隣市にある職場に出勤。
ガスだけ止まった状態なので、いつも用意している弁当は作れないとの事。
でも2階のキッチンはガス、1階はIHと分けて作られているおかげで、お茶の用意はできた。
建てる時に災害時のことまで考慮したのかな。
出勤時、最寄りの駅は損壊がひどく、出入り口は1か所だけ。
そもそも列車の発着が無理だと夜中に職場から連絡をもらっていたのに、朝になって大丈夫・・・と。
夜の間に必死で復旧に努められた方たちに感謝の気持ちだ。
途中の住宅街でたくさんの家の瓦と壁の落下を確認した。
一見、普通に生活しているように見えても傷は深い。
愛用している漂白剤の入れ物は水のストックに便利。
常日頃の備えが不安を軽減するってことに改めて気づいた。
トイレに流す水は新鮮じゃなくてもいいんだから、家のあちこちに備えておけば安心だ。