1849年  ローマ共和国


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いや、四苦八苦して、ローマ共和国。


ダラックマの マンガ・ダジャレ暗記 (語呂とマンガで、アンキ~!)-ローマ共和国


2月革命の波及を恐れた教皇ピウス9世のローマ脱出後に


マッツィーニらの青年イタリアが自立した共和国。





ただ、建国した場所は、ローマです!


1846年  米僕戦争


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人は、喜ぶ、米僕戦争


ダラックマの マンガ・ダジャレ暗記 (語呂とマンガで、アンキ~!)-米僕戦争

テキサス、南堺の紛争から勃発し、アメリカが勝利して


ニューメキシコ、カリフォルニア 両地方を獲得した。


獲得したメキシコが、砂漠地帯と思っていたら、


数年後に、ゴールドラッシュ、


その後には何と、油田発見!


隠れたお宝の土地でありました!




僕って、メキシコのことだったのね…知らなかった。


メキシコと言えば、ポンチョとソンブレロ…


っと、トルティーヤかな…。

1832年   第一次選挙法


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いや、サジ投げた、第一次選挙法


ダラックマのダジャレ暗記-第一次選挙法

7月革命の影響で、ホイッグ党のグレイ内閣によって実現。


①腐敗選挙区の廃止


②産業資本家層に参政権を与えた。



ほんとは サジ投げてないんだけど


ゴロで そうさせていただきました。



1871年   ドイツ帝国成立


          18 71

ドイツ帝国成立、いや泣いた!


ダラックマの マンガ・ダジャレ暗記 (語呂とマンガで、アンキ~!)-ドイツ帝国成立

普仏戦争末期にプロイセンを中心に成立した帝国。


パリ包囲中にベルサイユ宮殿の鏡のまで成立が宣言された。



感激して泣いてる図~です!

1870年  普仏戦争


18 70

人はなれっこ、フランスいじめ。



ダラックマのダジャレ暗記-普仏戦争

ドイツ統一をめざすプロイセンとフランスとの戦争。


フランスの宣戦布告で始まったがナポレオン3世はセダンで捕虜となり


第二帝政は崩壊した。


プロイセン軍の大勝利を収めた。





1833年   ドイツ関税同盟



18    33

いばらず、耳そろえろな、ドイツ関税同盟。


ダラックマの マンガ・ダジャレ暗記 (語呂とマンガで、アンキ~!)-エジプト・トルコ事件

同盟国間の関税を廃止し、第三国に共通の関税を適用する同盟。



プロイセンを中心としたドイツの諸邦国のよって形成された同盟。


ドイツ連邦は35の君主国と4つの自由市によって構成されていた。



当時プロイセンは飛び地のように国が2つの地域に分かれていた。


プロイセンを行き来するだけで、他国を通らねばならなかった。


なので、国境があり過ぎたので関税をなくした。



1828年  トルコマンチャーイ条約



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いやじゃ~、トルコマン、茶がいい~


ダラックマのダジャレ暗記-トルコマンチャーイ

カージャール朝とロシアの間で締結された不平等条約。



トルコの人(トルコマン)はお茶が好きなんですよ、きっと…。



1821 ギリシャ独立戦争



いや、ついに、ギリシャ戦争、始まる。



ダラックマの マンガ・ダジャレ暗記 (語呂とマンガで、アンキ~!)-ギリシャ独立戦争


1821 ~29 オスマン帝国からの独立をめぐり争われた戦争。


1830 の ロンドン議定書 により独立が合意され


1832 コンスタンティノープル条約 で、独立 が承認された!




1823年   モンロー宣言



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いや~ん、お兄さん、モンロー宣言よ!


ダラックマのダジャレ暗記-モンロー宣言


ヨーロッパ諸国によるラテンアメリカ諸国への干渉と


ロシアの南下政策に反対して、米大統領モンローが発した宣言。



モンローと言えば、マリリンで~、


マリリンと言えば、地下鉄の風でスカートふわりのシーンかな?





1814年   ウィーン会議


18  14

いや、意思そろわず、ウィーン会議


ダラックマの マンガ・ダジャレ暗記 (語呂とマンガで、アンキ~!)-ウィーン会議


ナポレオン戦争後の諸問題を処理するためにウィーンで開催された


国際会議。


『会議は踊る、されど進まず』  の図です。



≪ウィーン体制の成立≫


1814から翌年にかけて、トルコを除く全ヨーロッパ諸国の代表が


ウィーンに集まり、フランス革命戦争とナポレオン戦争によって荒らされた


ヨーロッパの国際政治関係を再建するための国際会議、『ウィーン会議』 を開いた。




 会議の主導権  オーストリア


 敗戦国 フランスの代表  


    全てを革命前の状態に復帰させようとする 正統主義 を主張

             

                         ↓

             

               これが、ヨーロッパ再建の指導原理  とされた。


 

 会議は領土問題をめぐって利害が対立したため難航し、


 会議は踊る。されど進まず。と評された。


 が、ナポレオンのエルバ島脱出の報を受け、急いで諸国の妥協がなり、


 1815年、ウィーン議定書が調印された。

              

                  ↓


            『ウィーン体制』  が打ち立てられた。