$マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩


先日、ツイッターで

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私は重病になったら、多くの医者の議論を聞いて多数に従うのではなく、言葉を正しく使う医者を探して、その方に命を預けるつもりです。原発を推進しておられる方々は、揃いも揃って言葉が歪んでいるので、私はあのように不安定で複雑で、悪影響の大きいシステムを預けるのは、危険すぎると判断します。

原発は本質的に何か間違ったシステムなので、関与すると、自分を誤魔化すために、言葉が歪むのだと思います。
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と書いた。書いて、ナルホドな、と自分で思ったので、少し説明しておきたい。

私は医者が嫌いである。医者はもはや患者を診ないどころの騒ぎではない。患者どころか病気も見ていない。診察を受けにいってもこちらを見ようともせず、パソコンを見ている。自分で診ないで、すぐに検査にまわす。しかも検査結果すら診ない。データが何を意味しているのか、自分で理解するのではなく、それが正常値か異常値かを示す「*」しか診ていない。そこから自動的に病名を割り出して、自動的に薬を出す。

こんなアホみたいなことをされて、病気が治るわけがないと私は思う。なぜなら、人間の健康とは非常に複雑な現象であり、それが不調をきたすのが「病気」だからである。「病気」というものを実体化し、抽象化し、数値化してなんとかしようというのは、そもそもおかしい。それは「仕組みづくり」と同じ責任回避の発想である。こういう人が責任をもって診察しろ、と言われると、全ての検査項目を埋めようとするだけで、患者は何にもないのにあらゆる検査を受けさせられることになる。

こういう姿勢で患者に臨んでいれば、やはり言葉遣いがおかしくなる。それゆえ、まともな医者を探すには、その人がどういう言葉遣いをしているかに注目するのが有効だと考える。きちんと患者と対話するなかで、その人の「健康」を感知し、なぜその人がそこから逸脱しているかを見極めようとする医者は、きちんとした誤摩化しのない言葉を使う。

それは工場や機械の運営でも同じことである。きちんと仕事をしていれば、自ずと名が正される。というのも、実態に対してふさわしい「名」を与えてはじめて、人間はまともにコミュニケートし、判断できるようになるからである。「名」を歪めていては、決してまともなことはできない。

本書で述べたように、原子力関係者の言葉は名が歪んでいる。徹底的に歪んでいる。これだけ歪んだ言語体系で、まともに思考することは、絶対にできない。かくして思考はおかしくなり、やることなすことヘマだらけとなり、それゆえ、隠蔽工作に血道を挙げることになり、かくして事故が起きる。こういうことをしていれば、地震がなくとも事故は起きる。地震が起きたら、ひとたまりもない。

原子力安全欺瞞言語を使っている人々に、原発を任せるのは、藪医者に命を任せるのと同じように、危険な行為である。

そしてまた、原発は、必然的に言語を歪ませる。なぜなら、それは非常に大きな無理をしたシステムだからである。そしてまた、それ以上に、「原子力の平和利用」が、「核武装」をカモフラージュするためのものであって、そもそも欺瞞性を含んでいるからである。

そういうわけで、原子力を正しい言語で運営することが、原理的に不可能である以上、やめる以外に方法がない。