私には二人のお姉ちゃんがいます。
四歳、二歳、上のお姉ちゃん。
私は三歳まで色んな事情があって家から少し離れた所に預けられていました。
そこには
「おっちゃん」「おばちゃん」と呼んでいた私の面倒を見て育ててくださった夫婦とその息子が住んでいました。
幼かった私は本当の
「お父さん」「お母さん」
の意味や呼び方、と、
「おっちゃん」「おばちゃん」
の役割、関係などは全く理解をしてなくて、
ただほわ~んと、
私には二つの家と二つの家族がある。
お父さんお母さんが二組いる。
みたいな感覚でした。
ただ、その家にずっといた訳ではなく
実家に帰る時もありました。
預けられてた家では
優しくて甘やかしてくれて何不自由無い生活でした。
でも実家に戻ると、
楽しい事がいっぱいありました。
怒られる事もいっぱいありました。
私は
そのたまに帰れる実家が好きでした。
私には二組の両親と二組の兄弟がいると思ってたけど、
預けられてた先の息子さん、
その頃の私でいうお兄ちゃん。とは、
色々あってここでは書けないんだけど…
遊んだ記憶がありません。
歳が離れていた事も原因の一つかもしれないけど、
幼心に何かを私は感じていたのか、
何なのかはわかりませんが、
その方との記憶はありません。
私のその、家の掛け持ち生活が終了した理由に繋がっていて、
それは何故そうなったのかを知ったのは2ヶ月前なんだけどね^^;
、、ま、それはいいとして、
そんな事もあり、
私は実家に戻ると、お姉ちゃん二人がいて遊んでくれるのがとても楽しかったんです。
ちなみに、まだまだチビだった私の両腕をお姉ちゃん達が引っ張り、
私の肩は抜けたらしいです、、。
それぐらい可愛がってくれました(^^)
夜中私の預け先にお父さんとお母さんが迎えに来てくれて、
朝起きたら実家の家で目覚める時は朝からテンションMAXでした。
迎えに来てくれた時抱っこしてもらうのが嬉しくて、実は起きてるけど寝たフリをしたままの時もありました。
預け先にお姉ちゃん達が遊びに来てくれたり、泊まってくれる時はとても嬉しく、帰る時はとてもさみしかったのを覚えています。
。。実家に住むようになってからもお姉ちゃん達はとても可愛がってくれました。
時に、男の子も顔負けの激しい喧嘩をする時もありました。
一緒に遊んでくれる時、
ままごとの時はお姉ちゃん達はお父さんお母さんの役で、
庭に生えている草などを切れなくなった包丁でちぎり切りし、
ボロボロのお鍋に入れてかき回し、
雑草の水分が出てグチャグチャになったらご飯の完成!
で、私の役は、
お姉ちゃん扮する夫婦の子供役。
だったので、
「雑草のかき回した和え物」
を食べたり、
基本的に家族五人で一緒にせま~い
お風呂に入っていたんですが、
たまに三人でお風呂に入っていた時は
洗面器の中に子供がようやく持ち上げられる程の、
まさに今自分達が浸かっているお風呂のお湯を入れ、
お姉ちゃん達が代わりばんこに洗面器の中のお湯を飲む。
実は飲んでるんじゃなくて、
洗面器を傾けてお湯を流して飲んでるフリなんだけどね、、。
それを見て私だけが
お姉ちゃんすご~い‼
って興奮。
それを見てお姉ちゃん達は爆笑。
「ハイ!ナツミの番‼やってみ!」
と言われ、案の定、
洗面器の中のお湯を一生懸命飲む私。
っていう遊びをしたり。。(^^)
何年か前、実家の大掃除をしたら
一冊のノートが出てきました。
それには
「ナツミの修行」
と書かれていて、
家の裏山で私がどうやってどこまで登れたかを記録していたみたいで、
「忍者になるまでもう少し」
みたいな事も書いてありました(^^)
今の世の中じゃ考えられない遊び、
本人の気持ち次第ではだいぶ凹む遊びの数々(^^)
書ききれない程の沢山の遊びや喧嘩、
全てが大切な思い出です。
喧嘩ができるのも、お姉ちゃん達がいてくれたからだと思います。
上のお姉ちゃんは大学を卒業してからずっと大きな会社に長年勤めていました。
それを辞め、その退職金で看護学校に行き始めました。
自分の人生のうちで手に職を付ける。や、色んな理由はあるんだろうけど
「私は実家に住んでるから、
お父さんとお母さんが突然倒れた時役立つと思うし。。」
って言ってました。
両親が私達の子供の頃二人でスナックを経営してて、いわゆる
お父さんはマスター、
お母さんはママでした。
夜は子供だけで家にいる事がほとんどでした。
私はよく途中でお姉ちゃんの布団の中に入りに行って寝ていました。
小学1年の時、体育の授業で足が痛くなって寝れなかった日の夜、
私はずっと痛い痛いと泣いていました。
お姉ちゃんが「おいで」
って自分の布団に誘ってくれて
まだ自分も小学生なのに眠たい目をこすりながら私の足をずっと撫でていてくれて、私はそのまま寝たのを覚えています。
お姉ちゃんの強さや優しさは子供の頃からで、本物だと思います。
下のお姉ちゃんは今、
私のブログなんかによく登場する
チビの母親です。
子供の頃から頭がよく、
運動神経もよく、
しっかり者で、
自分以外のものを信じないってぐらいの完璧主義者の成功者でした。
独身時代、風天のトラさんの様な時代があった私を自分の家に住ませてくれていました。
そんな時、ある事を発見しました。
お姉ちゃんは料理ができなかったのです。
それを知った時、あのお姉ちゃんにもできない事があったんだと愛おしく、嬉しく思い、かわいいなぁと思いました。
そこからお姉ちゃんとの距離が一層深くなり、悩みなどは全てお姉ちゃんに相談し、色んな事を喋れる友達みたいになれました。
結婚してからも旦那サンの部下の方が家に来られる時は私を呼んで、一緒に料理を作りました。
助けられっぱなしのしっかり者のお姉ちゃんに頼られて力になれた事が嬉しかったです。
今では料理が得意というぐらいになったのがもっと嬉しいしさすがだと思っています。
今お姉ちゃんはチビを産みましたが、それには色んなドラマがありました。
お姉ちゃんはチビができるまでの10年の間に数えきれない程の人工授精、体外受精をしました。
正直、病院の先生も半ば諦めていたんじゃないかなと思う程の回数です。
お姉ちゃんは何回も人工授精を続けていたある日、私に言いました。
「私にはお姉ちゃんもナツミもいる。でも結婚してるのは今は私だけだから孫の顔を早く見たいと言う親の気持ちに応えてあげたい。
旦那サンは一人っ子。
旦那サンの親の為にできるのは私しかいない。
だから私の気持ちはその次や。」
チビが生まれてきてくれたのは奇跡。
なんだろうけど、
奇跡という言葉には色んな意味がある。
なので私はこの事を、
お姉ちゃんの努力と小さなチビの命と大きな出来事。
だと思う。
お姉ちゃんは自分を信じ続けたんだと思う。
完璧主義者のように見えてたお姉ちゃんは、努力の人なんだと思う。
上の姉と喧嘩したら
「妹なんだから…」
と怒られ、私と喧嘩したら
「お姉ちゃんなんだから…」
と怒られていたお姉ちゃん。
お姉ちゃんは私達姉妹の二番目。
ってだけじゃなく、
私達姉妹の軸になる人だと思う。
子供の頃から一本の筋が通ってブレない心を持っていたお姉ちゃん。
私達家族にチビという幸せをくれたお姉ちゃん。
自分の事を全て我慢して旦那サンやチビの為一生懸命愛情を注いでいるお姉ちゃんを私は本当に尊敬します。
。。
この間、家族で話をした。
今チビがいる現実で、かわいいだけじゃなく、大変な事が色々ある。
お父さんとお母さんは私達姉妹、
しかもあまり年齢差の無いやんちゃな三人の子供に対して当時どう思っていたのか?
という話題、、。
お父さんとお母さんは言った。
「やっぱりナツミの事が気になる。
自分達の都合でナツミを預けたし、
ナツミの写真や服は殆ど無かった。
悪い事をしたなぁと思う。
それは今もずっと思ってる。」
って言われた。
直接言ったけど、
私は今大人になって、写真を撮ったり服を買ったり着たりにすごく執着してると思うし、すごく好きな事。
カメラや写真や服が自分でも引くぐらいある。
でもそれが幸せやねん。
それは知らないうちに子供の頃無かった物を今の自分が埋めてるのかもしれん。
でも私はそのおかげやと思ってるし、
むしろそんな機会にラッキーと思ってるから感謝してる。
ありえへん程貧乏な家でも、
一人一人の個性が強い変な家族でも
私にとっては世界で一つの世界で一番大切なチーム。
お父さんは理想の男性で、
お母さんは目標の女性で、
お姉ちゃんは最も近い、尊敬する親友以上の人です。
お父さんとお母さんの子供で生まれ、
二人のお姉ちゃんの妹としている事を本当に嬉しく幸せに思います。
これからも一生私をヨロシクです(^-^)
こんなけ長々書いて…
最後私、、
パンツ丸見えやなぃかっ(゚O゚)\(- -;
ツヘヘ(*´艸`*)
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