杏獣戯画

杏獣戯画

Lv30、アンです。

こんにちは!
だいぶ長いこと放置してしまっていたこのブログ、、。
本日は誰が読むんだろうってくらい長いです。
先に謝っておきます、すみません。笑

その間に、お陰様で病気は無事寛解しました。
そしてそして、3月に元気な男の子を出産いたしました!!!(唐突of唐突

一昨年の初めての妊娠は【胞状奇胎】という病気、つまり異常妊娠でした。
これまで病名は伏せていましたが、胞状奇胎が原因です。
あまり知られていない病気なので説明すると、胎児になるはずだった受精卵が何らかのエラーを起こして無限に分裂を繰り返し、終いにはぶどうの様に異常増殖を繰り返すという病状です。

異常妊娠とはいえしっかりつわりもあるし、通っていたクリニックでも途中までは通常妊娠として扱われていたから、最初は当たり前に産まれてくるもんだと思っていました。
3回目の検診で突然「これは普通の妊娠じゃないね。異常!病気!紹介状書いとくねー」とサラッと言われた時は頭が真っ白になって涙も出なくて。
日を待たずに大きな病院で人生初の手術(しかも全身麻酔)をした28歳の秋でした。
病変を取って終わりならまだしも胞状奇胎の厄介なところは、手術をしても絨毛がんへと発展する可能性があるということ。
胞状奇胎にも”全胞状奇胎”と”部分胞状奇胎”の2種類があり、予後の悪い方が全胞状奇胎なのですが…それも手術して生検にかけてからでないと分からなくて主治医と「せめて部分であってくれ~」と祈りました。笑
次回の診察で全胞状奇胎だったと告げられた時はもう終わったと思って、さすがに落ち込みました。笑
半年間ものあいだ2週間に1度は通院して採血等を行い、癌化していないかチェックを続け無事寛解となりました。
ちなみに癌化する一歩前段階の”侵入奇胎”になる確率は、私の場合20%だと言われていました。
80%に入れたのは不幸中の幸いでした( ^_^ ;)

そんなこんなで、術後あえてすぐに職場復帰して働いていた私。
そうする事で自分をどうにか保っていました。
胞状奇胎の事は家族と職場の上司にしか伝えていなかったので、その件に触れられる事がなかったからまだなんとか表向きは堪えられていたんだと思います。
でもやっぱり本音の部分では、友達や芸能人の妊娠・出産報告を見るのがとても辛くて怖くてSNSを見られなくなったりしたけど、それは少しずつ時間が解決してくれたし泣いたりはしなかった。
でも1回だけ、胞状奇胎の子の出産予定日に偶然目にした友達の赤ちゃんの写真を見て自分でもビックリするくらい嗚咽して、「気持ちを整理した気でいたけど思ったよりしっかりショックだな、そりゃそうだよな」と大泣きしてやっと自分の中で一区切り出来ました。
自分の気持ちに蓋をせずにもっと早く泣いてたら、少し仕事を休んでいたら、と今の頭で冷静に考えたらここまで苦しみを引き伸ばすことも無かったのかなと思いますが、もはや後のfestivalなのでw、それがあの時の自分の最善だった!よく頑張った!と褒めてあげたいと思います。

そのような経緯を経て今回、自身2度目の妊娠で出産に至る事が出来ました。
有難いことにつわりはほぼ無くて、仕事も同僚に安定期まで悟られずに出来ていた位、大きなトラブルもなく。
妊娠初期、何故か2ヶ月間豚肉を受け付けなかった事以外は穏やかな日々でした。豚肉つわり?笑
妊娠前から自分は何となく男の子を産む気がしていて、名前も男の子のものしか考えてなくてw、予想通り男の子でした( '▽' )
ずっと未知の生物がお腹にいる感覚だったのが、性別がわかった途端に現実味を帯びてきて「ヒトを育てているんだ…!」と実感したのを覚えています。
この頃すでに胎動も激しかったけど、イマイチずっと現実感がなかった。笑
胞状奇胎の事もあったので、妊娠したら赤ちゃんは皆当たり前に産まれてくるとは思っていなくて、妊娠した事は家族と職場、後はお腹が大きくなってから実際に会った友達にのみ伝えていました。
順調に産休入りし、かぎ針編みでベビードレスを編んだりして、産まれてくるのを待っていました。
が、妊娠32週を迎えてすぐの妊婦健診中にかなり危険な切迫早産だと診断されそのまま紹介状を貰い大きな病院へ。
確かによくお腹張るな??とは思っていたけど…それが微弱陣痛だなんて初産婦に分かるわけがなく…。
奇しくも紹介先は胞状奇胎の手術をした病院でした。いくつも大きな病院がある中でなんとまぁ、、。
※奇しくもというのは、今回産む予定だったクリニックは胞状奇胎の診断を受けたクリニックとは別だったのです。無痛分娩する気満々で少し遠目のクリニックに通っていました。笑

病院についてすぐお腹が張りすぎて歩けなくなり、内診すると子宮頸管1cmというかなりヤバい状況だったそう。
一歩も歩いては行けないと車椅子で病棟に連れていかれてそのまま入院。
付き添ってくれた夫と母も不安そうでした。
先生に「不安でしたよね。でももう赤ちゃん産むまではお家には帰れないと思ってください(T_T)」と言われて、撃沈ww
正期産の37週まであと入院5週間かぁ。長いなぁ。え、待って、このままだとわたし金髪のお母さんになるのかぁ。それはやだなぁとこの時はまだ悠長に構えてました。
※産休入りしてすぐに人生初の全頭ブリーチをして髪の毛をピンクにした後、色が抜けてプラチナアッシュのショートヘアになっていました。まさかこんな事になるなんて思わず出産前に暗くしようと思っていたのですが…。ミス!笑

切迫民にはお馴染みのリトドリンという張り止め薬を点滴で24時間身体に入れて、更に日本では切迫用としては未認可(高血圧の人向けの薬として使われているそう)の薬も飲んで、副作用がハンパないなか母体が耐えられるギリギリの所で妊娠週数を稼いでいました。
私も頑張っているけれど、小僧(胎児ネームですw)はもっと頑張っている!家族も色々な支援をしてくれている!耐えなきゃ!と自分を鼓舞しました。
が、ある日の朝、血圧が急激に下がって息が吸えなくなり、病院内の検査場を車椅子を押してもらいながら駆けずり回るというレベルまで私が衰弱してしまい、医師チームの判断で減薬となりました。
悔しくて小僧にも家族にも申し訳なかったけど、これ以上やると私まじで死ぬな~~と思うくらい怖かった。
減薬してもなお、お箸が持てないくらい手が震えたり、激しい動悸で眠れなかったりしたし。
病院側も私も瀬戸際で色んな選択をしながら頑張ってきたけど、33週を迎えた夜中に遂に破水、翌午後に出産となりました。
元のクリニックでは無痛分娩を希望していたけど、転院先は行っておらず絶望の極みww
先生も助産師さんも神レベルで素晴らしい方々だったので病院への不満は全くないけど、無痛分娩出来なかったことだけはまじで予想外すぎて本当に絶望したww
しかも何を思ったのか無知な私は、早産=帝王切開だと思っていて自分もほぼほぼ帝王切開なんやろうなぁと勝手に判断しており、、出産当日の朝、ベテラン助産師さんに「普通分娩でいくよー!」と言われて焦り散らした思い出ww

私「え、待ってください今日産まれるんですか?!まだ全く痛くないんですけど…。」(この時午前8:00)
助産師さん「え、このまま行けば早ければ午前中に産まれると思うよ?!夜から思いよったけど痛みに強すぎん?!もう子宮口5cm開いとるよ?!」
私「えww家族に一報入れときますww」
助産師さん「急やけどもう覚悟して頑張ろうね!誕生日は赤ちゃんが決めて出てきてくれるから!赤ちゃんが選んだのが今日!」

小僧がこの日を選んだ…エゴかもしれないけど、早産への罪悪感で押しつぶされそうだった当時の私には助産師さんのこの言葉が本当に救いになりました。
ただ、陣痛は思いのほか我慢できてご飯も完食できた!
痛いのは痛いけど、これは出産余裕なのでは…と子宮口8cm開いても歩いてトイレに行けていた私。
「こんな人見たことないです!」と若い助産師さんに言われてヘラヘラしていたら、急に腰が死ぬほど痛み出す→そこから1~2時間くらいで息子誕生!というお産でした。

↓↓↓保育器の中の息子


赤ちゃんが小さくて肺も発達していないから、泣かないかもしれない。その時はすぐに蘇生するからお母さんに見せることなくNICUに運びますと事前に説明されていました。
痛みがピークの中、「お願い、小僧泣いて!泣いてください!」と祈りながらいきみ、息子が産まれてすぐ大きな声で泣いてくれた時の感情は一生忘れません。
元気に泣いたけど、33週の早産児で体重も思ったより軽い(1800g台)のですぐにNICUへと運ばれたのですが、一瞬だけ私の横に連れてきてくれて写真を撮って貰えました。
[ドナルド・トランプのような髪色でドすっぴんの私×セメントみたいな肌色でフニャフニャなのにしっかりカメラ目線の息子]のツーショは今見ても笑えるww
その後息子は1ヶ月ちょっとNICU・GCUでお世話になり退院、現在生後5ヶ月ですが7kg超えのプリプリ元気赤ちゃんに成長しております( ˆОˆ )♪

名前は公開しませんが、夫婦の共通の趣味である競馬・馬から着想を得て名付けました。
でも馬という漢字を使わないというのが私の拘り。笑
漢字で見ると少し珍しい並びですが、読みは古風。
彼が将来この名前を気に入ってくれると嬉しいなと思います。

こうして書くと、なかなか波乱に満ちた妊娠・出産の道のりだったなぁと。
我が子は可愛いと噂には聞いていましたが、予想の遥か上を行く可愛さでした。笑
小さな愛しい命を大切に大切に育てながら、私も人として成長していきたいと思います。


書いている本人も息切れレベルの長文、最後まで読んでいただいた方はきっといい事があります(?)ありがとうございました。

胞状奇胎のタグで飛んできてくれた方、なんで自分が…って思いますよね。次の妊娠に対する不安もあると思います。

何のアドバイスもできないですが、過去に悲しい出産を経験された先輩から「その経験を共有することで救われる人もいると思う。自分も周りに同じ経験をした人がいないから色んな人のブログを読んで助けられた。」と言われ、時間はかかりましたがようやく記事にしてまとめることが出来ました。

「胞状奇胎を繰り返す確率は限りなく少ないです。今回のことはあなたのせいではないです。誰のせいでもないです。」と言ってくれたかつての主治医の言葉を置いておきます。


早産のタグで飛んできてくれた方、産まれる前も産まれた後も不安が尽きないですよね。でも自分を責めないでください。

私は33w0d、1892gで息子を出産しました。

毎日NICUに通いましたが、面会出来るのは1日1時間。

初めて抱っこしたのは生後2週間が経った頃でした。

ちなみに早産の原因は結局分かりませんでした( ´ ` )

出産した次の日に、NICUでようやく会えた息子は保育器の中で沢山の管に繋がれて眠っていました。その夜、私はとんでもない事をしてしまったとベッドで号泣し、今後の事を思うと怖くて不安で心が折れそうでした。

でも、赤ちゃんの生命力は私達が思う以上に強いです。本能で生きようと必死で頑張ってくれます。

(泣く暇があったら搾乳しなよって今なら本当に思うw)

特に産後はホルモンの関係で情緒が不安定になりやすいです。

NICUにお子さんが入院している間はしっかり眠り、しっかり食べて、いつも元気な姿で面会に行けるようどうか自分の事を大切にしてあげてください。


気が向いたら、また息子の様子など綴っていきます^^

では、また!