邪鬼が人を邪の道に陥れようとニヤニヤしながら漂っているように、
福の神も福をあたえるに相応しい人がいないかどうか探してらっしゃいます。
邪がくるか福がくるか。
結果は雲泥の差ですが、この邪と福には意外な共通点があります。
邪鬼はただ「魔がさす」ようにするだけです。
それに乗るも反るも自分の判断。
福の神もチャンスをくれるだけです。
それに乗るも反るも自分しだい。
人は弱いということを知っている優しい人は、自分のことも大事にします。
邪の深みにはまりません。
一度その深みにはまると引き返せない人の弱さを知っているからです。
ですから悪口、悪事、企みごとには、手を出しません。
私だけは大丈夫と我を張ると、魔がさします。
謙虚な人はチャンスに感謝し、大切に育てます。
自分を買いかぶっている人は、チャンスを逃します。
チャンスなど自分で作るものだなどと言っていると、ではそうしなさいと福の神は去って行くでしょう。
私だけは大丈夫と我を張ると、運を逃すのです。
魔がさすのも、運を逃すのも一瞬ですが、
邪を跳ね除けるのも、運を呼ぶのも、
コツコツとした積み重ねが必要です。
自分を信じ頑張ることはもちろん大切ですが、
心のどこかに他者への感謝の気持ちがちゃんと根付いているかどうかは、もっと大切です。
邪と福。
すべては自分しだいなのも、よく似ているところなのです。
なんだか神々しい光が降り注いでいました。