こんにちは、あんじろうです。
最近はコロナの影響もあり家にいることが多いです。こんな時こそ映画を見るぜ!と考え、映画を見てますが、ほとんどB級映画なので、外れが多く、ストレスがたまる毎日です。ただデッドシティは面白かったです!
さて今回はずっと気になっていたドラゴンクエスト ユア・ストーリーを見たので感想を書きたいと思います。
この映画はドラゴンクエスト5を映画化したもので、原作ゲームをプレイした私としてはとても楽しみにしていました。
映画の見ていると、展開がかなり早いなーと感じたりしていましたが、その理由は最後に分かりました。
展開の話に行く前にどうしても触れなきゃいけないのが最後についてです。この映画の最後については賛否両論あるみたいですが、私も見て、そりゃそうなるわなと感じました。
まず初めにこの映画を見る人の前提として、「ドラクエ5をやっているか、いないか」ということ、「ドラクエの映画に何を求めているか」があるかと思いました。
ドラクエ5をやっている人からしたら、この映画は小さい頃の思い出のゲームを映像化した作品だったり、思い入れのあるゲームの映像化した作品になると思います。
じゃあこういう人がこの映画に何を求めているかと考えると、ファミコンやプレステ、DSでやったゲームを最新の技術で映像化した作品を見たいという気持ちが強いのではないかと思いました。
私自身そういう気持ちがあるからこそ、この映画を見ましたし、どのように戦うシーンや、呪文や、モンスターの動きを表現するのだろうというワクワク感が強かったです。
そしてここで展開の話に戻るのですが、、展開は早いですが、戦うシーンなども頻繁にあり、そこは概ね満足でした。途中感じた違和感としては、やけに主人公や周りの心理描写や動きが端折られているなと感じましたが、これも最後に繋がるんですね。
で、問題の最後ですが、主人公が魔界への門を閉めようとしたときに、急に全ての動きが止まり、真のラスボスともいえるキャラクターが登場します。そこで告げられたのが、主人公は実はこのドラクエ5を仮想空間のようなものでプレイしている、一般人ということです。
そして今回の真のラスボスから、ある言葉を送りつけられ、それを否定し、ラスボスを倒して終わるという流れでした。
このラスボスから送られる言葉が問題でして、それがゲームしている人を全否定するような言葉になってしまっている印象を受けました。
もちろん否定した後に、主人公からのフォローは入るのですが、この急な展開に頭がついていけてない人が主人公のフォローを受け入れられるはずもないと思いました。
ここでこの映画を見る人の前提の話になりますが、この映画に何を求めているかの前提が監督と客でズレが大きすぎたために、叩く人が増えたのかなと感じます。
監督がやりたいこともあることや、ただ映像化するのが嫌な気持ちもなんとなくはわかります。ただ客が望んでいる方向とは真逆の方向で、監督がやりたいことを出してもダメなのかなと思いました。
そもそもこの映画を見ているのはゲームをしている、もしくはしていた人だろうに、そこにこんな意見ぶち込んだら、ただの人格否定なのでは?
この映画を私は家でDVDで見たため、見た後もゆっくり考えることができましたが、これを映画館で見せられた人は、唐突の展開に頭がついていかず、監督がやりたかったことを受け入れる余裕もなくなるかと思いますし、監督やスクエニに憎しみすら抱くのではないかと思います。
話の流れや持って行き方をオチから考えると、すごいと感じる部分はありますが、CMとかでもドラクエの映像化作品であることを謳っており、このような展開だと誰も思いつかなかったところに、このオチを持ってくるのを、平然とやってしまう監督やスクエニに自己満足がすぎないかと思います。
最後に気になったこととして、仮想空間でプレイしている主人公がドラクエ5をプレイする前に、嫁をどちらにするか迷い、いつもビアンカだから、フローラを選ぶようにして欲しいことを、仮想空間の運営に伝えて、プレイします。
結局フローラが潜在的な気持ちを出す薬を主人公に盛ることで、ビアンカを選ばせている描写がありますが、運営側に伝えているのだからフローラが、こうした行動を取ることに、矛盾を感じ、結局は監督の好みを押し付けているのではないかと印象を受けました。
最後の主人公は仮想空間に客として入っているオチがあるからこそ、自分がその時にプレイしたいようにすることが、正しいと思うのですが…
まぁこれはどちら選んでも批判が来るからそうしたのかなとも考えましたが、それならそもそもああいうオチにしないよなぁとも思いモヤモヤしました。
結論としては早くスクエニはSwitchやプレステでドラクエ5の新しいリメイクを作れ!ということですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。