animusist ayumu

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霊(たましい)と向き合い魂で表現する
表現者 / スピリチュアルカウンセラー / パワーストーン

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こんにちは。または、こんばんは。アユムです。
今日は幸せの法則についてお話していきます。
八つの法則の最後で、なおかつ、とても大切な法則です。
ご存知の方も多いと思いますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

全ての霊的な法則は、私たちが『真にの幸せ』になるために働いている

これが、【八つの法則】の8つ目『幸せの法則』です。
「真の幸せ」とは何でしょうか?
そもそも、「幸せ」の価値観も人それぞれですよね。

お金が沢山あることに幸せを感じる人もいれば、お金は無くても好きなことだけをして暮らすことに幸せを感じる人もいます。

 

では、魂の視点、霊界の視点からみた「幸せ」とは何でしょうか?

それは、「霊的真理を深く理解し実践すること」≒「気づき、学び、成長すること」と言い換えることもできます。

 

私たちは、生きているだけで日々様々な困難や問題に出くわします。
お金の問題や職場、恋愛、友人、家族などの人間関係、社会に目を向ければ、戦争や飢餓を始めとした様々な問題が山積しています。

本当に気づくとは、「自分にとって都合が良くない」ことも全て自分の鏡として受け入れた上で「今、自分に何ができるか?」を真摯に考え、感じ、行動すること。

 

シルバー・バーチの霊訓では、「苦しみは魂の誤りから起きる」と言っています。

虚無感や無力感など心の様々な苦しみを感じることなく、自分が関わるあらゆる世界を幸せにできたときに初めて「幸せ=霊的真理の実践と真の理解」ができるのかもしれないですね。

 

僕も「霊的真理の深い理解」には、まだまだ及びませんが、この記事が少しでも誰かのお役に立てれば幸いです。

 

最後までお付き合い頂きありがとうございました🍀

スピリチュアルあれこれ#9【八つの法則 ⑦運命の法則】

 

こんにちは。または、こんばんは。アユムです。
前回の更新から大分間が空いてしまいましたが、今回は【八つの法則 ⑦運命の法則】についてお話していこうと思います。

 『運命』は決まっていない

結論から言うと、『運命』は決まっていません。運命とよく似た言葉に、『宿命』という言葉があります。
これは、国籍や性別、家族、生まれた日時などこの世に生を受けた時に既に決まっている、《変えられない》こと。
対して『運命』は、自分の意思や選択によって《変えられる》ことです。

例えば、日々、どのような言葉を使うかは多くの人は、自分の意思で決められると思います。
そのような、日々の思い、言葉、行動によって自らの運命は自らの力で切り拓いていける、変えていけるということを表しているのが【運命の法則】。
もし、生まれながらにして全てのことが決まっているのであれば、私たちの自由意思は無いことになります。
私たちは、例外なく現世に産まれてくる前に『魂の世界=霊界』で今生のカリキュラムを決めてきます。
しかし、それは、人生の中で経験する大まかな出来事を決めてくる程度のことで、1年365日の出来事、人との出会いを決めてくるようなものではありません。

現世二大法則とも言われる、因果の法則と波長の法則によって『運命を変えていける』

これこそが、運命の法則なのです。

少しでも内観を深め、自分自身を知りながら運命を切り拓いていきたいものですね。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。

こんにちは、またはこんばんは(^^)アユムです。

  さて、今日は、スピリチュアリズム八つの法則の6つ目、【因果の法則】についてお話しようと思います。

因果の法則

  この法則を簡単に言うと、「自分のしたこと、言ったこと、思ったこと(原因)が現実を作っている(結果)」ということ。

  因果の法則については、仏教でも触れられており、仏教では「善因善果 悪因悪果」という言葉と、「因果応報」という言葉などをもって語られています。
 
  キリスト教では、「憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける」とナザレのイエスが言ったと伝えられています。

 また、この法則は個人単位だけではなく、国や地域、家族、会社などあらゆる単位で働きます。

  いまひとつピンと来ないかもしれませんが、例えば、選挙。
  国会議員は国政に携わる国民の代表として選挙で選ばれますが、私たち一人ひとりが「目先の利益だけではなく、本当に日本や世界のためになることは何だろうか?」ということを常に考え、同じ視点で考え行動できる候補者を応援すれば、自然と国政も目先の利益に捕らわれないものに変わるのです。

自分が変われば世界が変わる

  因果の法則は、私たち一人ひとりが自由意志を持って、未来を選択できることを表しています。
  また、過去に起きた出来事などの、悪しきカルマの解消を「今、ここ」から始められるということでもあるのです。

  自分自身の思い・言葉・行動を、「自分勝手・物質中心主義的になっていないか?」を見直し改めることで、少しずつ自分自身が変わっていきます。

  自分自身が変わることによって、周りの人達の反応、起きる現象なども変わってきます。
   時には、試練と思われるようなことも起きるかもしれませんが、何故、そのことが起きているのか?と問いかけ、本質を見つめることで状況は改善していきます。

   スピリチュアルなテクニックやワークなど色々なものがありますが、「気づき」や「腑に落ちる感覚」があると、思い、言葉、行動が本質的に変わってきます。魂のレベルで物事の理解が進むからです。

  「自分自身を愛するように他者を愛し、他者を慈しむように自分自身を慈しむ」

 僕自身は、この言葉が無理なく調和を保ちながら因果の法則を、そして、八つの法則を理解していくキーワードになると感じています 。

最後までお付き合い頂きありがとうございました🍀  

 こんにちは、または、こんばんは。アユムです。
  今回は、【類魂の法則】についてお話しようと思います。

  結論から先に言うと、

全てのたましいは究極的にはひとつである

ということなのです。

  1848年アメリカのハイズビューで起きたフォックス一家事件を発端とする近代スピリチュアリズムや各国の心霊研究などによって明らかにされたところによると、私たち一人ひとりにたましいの故郷とも呼べるグループソウル(類魂)というものがあり、死後、私たちの魂はそのグループソウルに溶け込んでいくということが分かりました。

 

  例えるならば、グループソウルはコップの中の水のようなもので、守護霊や過去世は、このコップの中の水。現世に生きている私たちは、このコップの中の水から出た一雫のようなもの💡

 

 先に、全てのたましいは究極的には一つということを言いましたが、そのことについてもう少し掘り下げてみたいと思います。


  私は「日本」という国に住んでいますが、その中に○○県という小さなグループ、その中の○○市○○町(村)という更に小さなグループという具合に様々にグループ分けすることができると思います。
  また、逆に、アジアや地球という大きな括りでもグループ分けすることができます。

 

  このように一口にグループソウルと言っても、自分とその過去世や守護霊を中心とした狭義のグループソウルと、神我(大霊、グレートスピリット)を中心とした広義のグループソウル二つの意味合いがあります。

  そして、広義のグループソウルという視点から見ると、全てのたましいは神(大霊)の分霊わけみたまなので、全てのたましいはひとつであるということができるのです。

魂の進化

  余談ですが、魂には成長していく上で、おおよ辿たど道程みちのりが決まっています。
  どのような道程かというと、鉱物霊→植物霊→動物霊→人霊へと魂の成長度合いに応じて転生を繰り返していきます。

 

  注意して頂きたいことは、一度、人(人霊)として生まれた魂は、動物霊や植物霊、鉱物霊に生まれ変わることはないということです。

  また、何回転生したら動物霊が人霊へと進むのかなども、そのグループソウルの課題などによっても変わってきます。


  人霊となってからも、何回も転生を繰り返し、グループソウルの課題を克服し、全体の成長を目指して私たちは現世に生まれてきます。

 

  少しでも課題を克服し、未熟な部分を改め、長所に磨きをかけて霊界に帰りたいですね(*^^*)

  最後までお付き合い頂きありがとうございました🍀

父との二人旅は、ある意味、僕の人生という旅の始まりだった。

 

実際に二人で旅した期間は、高校休学の手続きなどの準備期間を入れたとしても4ヶ月に満たない。けれど、その4ヶ月の出来事と、その後、僕と家族に訪れる大きな変化はやはりあの会話から始まったように思う。

 

僕は、 私設の小さな保育園を営む夫婦の4人目の子供、次男坊として、後に、 長姉から末弟まで18歳差5女3男の大家族の一員として、この世に生を受けた。

 

幼い頃から「なぜ生きているのだろうか?」と感じたり、通っていた保育園などで同い年の子供達が楽しそうに遊んでいるのを見て、「何がそんなに楽しいのだろう?」と考えたりする以外は、わがままで甘えん坊な典型的中間子の特徴を持つ子供だった。

 

 

そんな僕の高校2年生への進級決定通知が届いた日の夜のことだった。珍しく父の部屋へと呼ばれ、何事かと怪訝な顔をする僕に、父はこう投げかけた。

 

 「おとん、旅に出ようと思うけどどう思う?」  

 

あまりの唐突さに言葉が出てこなかった。

無言で立ち尽くす僕に、PCのディスプレイを見るように促しながら説明を始める父。

そこには、バックパックを背負い、自転車やヒッチハイクで各地を旅して回る、所謂いわゆるバックパッカーの旅の記録が映し出されていた。

 

父は昔から旅が好きで、GWなどの連休があると家族みんなで大きなワゴン車に乗り、泊まりがけで色々な所に出掛けた。と言っても、我が家にはホテルや旅館に泊まるだけの財政的な余裕は無く、道の駅での車中泊やテントを張れる公園などでのプチキャンプがもっぱらだった。

 

そんな父だから、「旅に出ようと思う」と言われても、正直、「行ってくれば?」くらいにしか思わなかったのだが、次の父の一言で事態は急変する。

「アユムも一緒に行かないか?」
最早もはや、何を言っているのか分からなかった。

 

今まで「学校」という集団に馴染めず、高校生になって、やっと、「自分の居場所」と言えるような仲間たちに出会えたような気もしていた。

テニスという、一生懸命になれるものにも出会えた。

その環境を捨てろと言われているような気がしたのだ。

 

何かは分からないが抗ってはいけないような感覚があった。

僕は、
「少し考える時間が欲しい」
と、やっとの思いで声を振り絞り、パニック状態の頭と心を落ち着かせるために自室へと戻った。

 

その後、ドライブをしながら、

この二人旅にどんな意味があるのか、

父のどのような思いが込められているのか、

僕の人生にとってどのような意味を持つのか、

どのような経験になるかを父は熱く辛抱強く語ってくれた。

 

60kmの道のりを二人で歩くことからはじまった旅は、父の仕事などで中断を挟みながらも約3ヶ月に渡って北は岩手、南は四国に及び、祖父が倒れ、その介護のために旅に出られなくなってからも、喧騒を離れ静かに自分自身を見つめることの大切さや、沢山の人達とのかけがえのないご縁、考え方など沢山の経験と感動を与えてくれた。

 

楽しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、嫌なことも、

これまでに人生で出会った全ての人・もの・事どれひとつが欠けていたとしても、今の僕はないと感じるが、

父からの一緒に旅に出ないか?という一言と、その旅について、僕の人生について、真摯に、そして誠実に向き合ってくれた、あの時の会話がなければ間違いなく今の僕はなく、

両親の離婚やそれにまつわる経済的な状況を乗り越えて来ることは到底できなかったと感じている。

 

親としてでは無く、一人の人として子供と向き合う時、子供の方も一人の人間としての自覚が芽生え、自分自身の人生について、より積極的に考えることができるのだと思う。