ちょっと前、病んでる時に長々と書いた話があったので
アップしちゃぇいっ

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最近病みぎみで…
体調の悪さに気持ちまで持ってかれてました

とゆーわけで…
ぐるぐると考えてたことを
徒然なるままに
書いてみょぅ

今回のあにらびは
▼こっからうさぎ穴

とにかく人の決断の瞬間に立ち会うこの仕事。
だいぶ学ばせて頂いてます。ちょっとその整理を。。
人は
その先に、今以上のものがある時のみ、
一歩、踏み出すことを躊躇する。
恐怖・不安・葛藤を感じる。
俗に言う、「壁」ってヤツ。
怖いもんな。
出来ることなら逃げたいし。
やんなくても死なないじゃん。
今じゃなくちゃダメなの?
めんどくさいー。
失敗したらヤだ。
別に興味ないもん。
やりたい人とか得意な人がやれば。
みんなしてないし。
やりたい気持ちは山々なんだけど現実的に、厳しいよね。
なんかきっかけがないと無理。
きっと自分に合ったもっといい何かがあるはず!
ビビッとくる運命の瞬間を、俺は待つんだ!
などなど。。。
恐怖、不安を感じた人は、
「言い訳」という大荷物を両手に抱え、見せびらかしては、
目の前に立ちはだかる壁を、「いかに自分は登れないか」を滔々と述べたがる。
「そうか。ならば仕方ない。お前は登らなくてよい。よくこれだけの言い訳を述べたな。褒美に、この隠し扉から壁を抜けて先に進みなさい。」
とでも、誰かが言ってくれるのを待ってるのだろうか?
もしくは、別の道が自然と現れるのを?
その言い訳は、
誰への言葉?誰に聞いてもらいたいの?誰からの許しを請うてるの?
他人?ちがう。
自分だ。
自分自身をなんとか納得させるため。守るために発する言葉。
自分は、悪くない。逃げるわけじゃない。臆病なんかじゃない。やろうと思えば出来るんだ。そうだ。間違ってなんかない。これが、正しい選択だ。
そう言い聞かせて…
その場に居続けるため、
現状を維持するため、
安定を手放さないため、
孤立しないため、
道から外れないため、
笑い者にならないため、
失敗しないため…、
その場にしがみついている。
そして、
恐怖も、不安も、全く感じないことだけをやる。
慣れ親しんだことや、既に何度かやったことがあること、上手くやれること、人から認められていること、絶対の自信を持っていること。
これら、なんの刺激も、緊張も、達成感もないことだけを、
ただ黙々とやる。
負荷のない毎日。
そこには…なんの成長も、前進も、展望もない。
だって
今まで通ってきた道を何度も繰り返しなぞってるだけだから。
先に進んでる気になってるのは自分だけ。
時だけが経っていく。
やった後悔よりやらなかった後悔のが重いとかキツイとか
よく言うけど、
やる機会が目の前にあったことにも気付かない
って、
実はめちゃめちゃ恐い。
逆に言えば、
恐怖、不安、苦手意識、緊張、とかいう感情を抱いてる時ってのは
気付けただけラッキー。
要は、チャンスってこと。
当然、恐怖も不安も緊張も、壁を登り始めたからといって、なくならない。
一歩踏み出したからって、なくならない。
全部抱えたまんま
とにかく
やる。
恐くても、やる。
ひるんでも、やる。
不安でも、やる。
頭であれこれ思い悩む前に、「実際やった」ってゆー場数踏んでみて、
やってみて、
「あー思ったとおりダメだった。」
でも
「あーやっぱり恐かった。だからヤだったんだょ。やんなきゃよかった。」
でも
「やってみたら意外と出来たじゃん」
でも
なんでもいいから
想像や人から聞いた話じゃなくて、
自分自身の体験をもって確認出来たんだから、
それは確実に「リアル」を生きた証拠になる。
自ら得た答えじゃん。
初めて自分の力で、壁と向き合えたわけで。
「自分自身の判断」で道、切り開いて進んだわけで。
「やった」事実に変わりなし。
そしたら
あれ?
なんだ。
同じ恐怖が
もぅ恐怖に感じないじゃん。
不思議だな。
戦えば戦うだけ強くなる。
…
!!(゜□゜;)
サイヤ人じゃん!!w
あとは
どーしてもやりたくなくて、やらない言い訳を並べ立てたくなる時こそ、
チャンスが訪れてる時ってこと。
この壁を越えること=今いるステージより一段階上がれるぞってゆー合図。
自分にとっての
「新しい挑戦ですょ」ってゆー
進級試験が突如現れたみたいなもん。
大人になると試験の出てき方が抽象的すぎてわかりにくいわ。
取り組むかどうかも委ねられてるし。
そもそも自己採点だしね。
結局全部、
自分次第か。
…おもろいやん。
まだやれるな。