私は「動物と人間の関係性に関する研究-現状とアート作品を通して考える-」という題目で卒業論文を書きました。
この研究を終えての私の意見をこの場に残しておこうと思います。
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まず、この研究を通して、「人間の生活は数えきれないほど膨大な動物の命の犠牲の上に成り立っている」と断言できるようになりました。
動物管理センターや食肉市場などを取材したり、各省や各機関の統計資料を漁りまくって、それが数字として確実に浮かび上がっていることがわかったからです。
しかし、この研究で明らかになった数字は、人間が動物を管理・利用してきた年月を考慮すると、ほんの一部分にしかすぎません。
ペットへの取扱い方、家畜への取扱い方、実験動物への取扱い方…一様ではないと思います。
私は、それぞれの動物の取扱い方には、人間と比較した場合の心理的な位置付けが関係していると考えます。
どういうことかと言うと、動物福祉の問題として挙げられている家畜の飼育環境を例として見てみます。
家畜に効率的な生産にいそしんでもらうため、近代畜産では目の前に餌をおき、食べた後は寝る生活を保障する飼育方式を開発してきました。そのなかで家畜は異常行動(仲間や自分を傷つけたり、無意味な行動をしたりする)を起こします。これらの奇異な行動は葛藤や欲求不満状態が長期間続くことで出現することから、西欧ではウェルフェア問題ととらえ、飼育環境の複雑化(エンリッチメント)を求めています。異常行動の出現は、ウェルフェアレベルの評価指標のひとつとされています。
うちのわんちゃんは大事に育てるけど、
どうせ食べるんだから、豚はなるべくコストがかからない飼育をした方がいい
これは一例ですが、こういった考え方には、犬より人間の方が上、豚より犬の方が上…という、人間と比べたときの命の重みの順番があると思ったのです。
つまり、人間社会に組み込まれた動物に、人間の制限なしで生きるという選択肢はないのです。だって、人間が一番上だから。
そして、人間生活は膨大な数の動物の犠牲を必要としてきました。
犠牲への需要に依拠して巨大な産業が成り立ってきたのです。
そんな動物の犠牲への必要性を土台にした人間中心社会の中で、なぜ動物の権利が意識されるようになったのか。
私はその根底に、温かみのある生き物同士にしか生まれない、目には見えない「つながり」があると考えています。その生き物としての「つながり」によって、動物の喜びや悲しみ、痛みや苦しみを共感する、つまり、動物主体の世界観を想像するに至ったのではないでしょうか。
実際に、本研究により、動物の福祉に対して問題意識を持っている人々の存在と、それぞれの表現方法で動物の苦しみを取り除こうとしている現状が確認できました。たくさんの人が動物の苦しむ姿を想像して、そんな動物たちのために、みんなの心を動かそうと頑張っています。
しかし、私にはそういう活動をしている一部の人たちに対して言いたいことがあります。
それは、動物の死に直接かかわっている当事者に一方的に動物虐待のレッテルを貼るのは間違っているのではないか、ということです。
実際に人間の為に動物を殺す現場にいる人々の方が、自分たちが動物の命の恩恵に預かっていることを感じています。本当の意味での動物虐待をしているのは、生活する中で動物の犠牲を意識しないまま恩恵を得ている人々ではないでしょうか。
犠牲になってきた命の全てが、無駄なく有意義に利用されてきたとは言えません。
その命を無駄にしてしまう背景のひとつに、犠牲の存在に気付かずに生きている人間がいるということが挙げられると思います。
人間がペットを愛玩し、ペットに癒しを求める一方で、人間の都合により死にゆく動物たちがいる。見世物にされるために、恐怖を覚えながら見知らぬ場所に連れてこられる動物たちがいる。人間に食べられるためだけに、生まれる前から自由を制限されている動物たちがいる。人間がより快適な暮らしをするために、傷を負わされ、殺される動物たちがいる。人間の快楽のために、身を守るための皮を剥がされる動物たちがいる。そして、これらの動物たちの存在を知らずに生きている人間がいる。
考えるべきことに考えが及ばない・無関心でいるのはなぜか。
それは、動物福祉の現状を知識のみで理解し、人間と関わりがないと考えているからだと思います。
つまり、人間以外の動物の生死を心の底から本質的に感じていないことが原因であると私は考えます。
これは、動物の死を取り扱う現場を目の当たりにしたことにより私自身が気づかされた事実でもあります。
考察の結果をまとめます。
動物と人間の関係性がどうあるべきかという問いには、人間社会の現状や人間と動物の倫理を考えると、今すぐに答えが出せるものではありません。
答えは見えないのですが、アニマルウェルフェアという概念が生まれたことからわかるように、今、この問題に人間の方から積極的に歩み寄ることが必要とされているのは明らかです。
本研究で企画した展示会は、動物への問題意識の有無を問わない動員を可能にしました。
アートはある問題に対して人々の関心や注目を集めることに有効であったと言えます。
動物の命の恩恵を受けながら生きている限り、動物の犠牲の存在に意識を持ち、その存在から目を背けずに、一人一人が動物と人間の関係性がどうあるべきかを考え続けることが不可欠である。
その犠牲の存在に気付いていない人間に対するアプローチとして、アートの多様性には無限の可能性が期待できる。
これが、この1年間を通して得られた結論です。
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この考えには、色んな意見が投げかけられると思います。
私の言いたいことがこの文章でちゃんと伝わるのかという不安もあります。
私はまだまだ未熟者なので…。足りないところもたくさんあるかと思います。
でも、今の私の動物の現状に対する意見はこれなんです。
エゴだなんだと言われようがかまいません。私の主観だから。
別にこの考え方が絶対正しいとも言えません。
自分がどういう生活を送ればいいのかもわかりません。
牛さんの解体される様子(食肉センターで見学したので)を思う浮かべながら、お肉食べてるし。
研究始める前に飼ったリアルファーのついたコート、うさぎさんを思いながら大事に着てるし。
一番実感してることは、動物の現状を知って、前より動物の存在をリアルに想像できるようになったことです。
これ、必要だったなって思っています。
これから生きていく上で、私は今回学んだたくさんのことを大切に生きていきたいと思っています。
最初は展示会のことだけが目的だったこのブログも、消さずに続けていこうと思っています。
これもまた縁だと思うからです。
そして、たまたま犬を飼ってて、たまたま犬の彫刻作ろうと思って、それでたまたま動物のことも調べ始めて…
私がこの研究をしようと思ったのは「たまたま」なんです。
だから、犬飼ってなかったら、アニマルウェルフェアのアの字も知らなかったかもしれない。
何が言いたいかというと、この世界の中で問題視すべきことは本当に本当にたくさんあるけど、それを実感できてないことのほうが多いんだと思うんです。
私だってそうです。
さっきから、あーだこーだ言ってるけど、他の考えるべき問題に対して無関心な部分もあると思います。
だから、やっぱり、まずは「知ること」が大事だと思います。
そこから、広がるから。
「知ること」→「考えること」→「意見を持つこと」→「他人と議論すること」→「議論の輪を広めること」
このループが大事なんだと思う。
今考えると、小さいけど、このループを展示会で実践できて、よかったなって思っています。
でも、ここで留まっては、ちっちという人間はこんなもんかって感じです。
まだ「動物と人間のあるべき関係性」という問いに対する答え出てないし!!みたいな笑
ちっちはこんなもんじゃないです。
私はたくさんの人と「議論」がしたいって思ってます。
なので、何か意見を持った人、疑問に思った人、いつでも話しかけて下さい!!!!!
全力でお応えします!!ヾ(@°▽°@)ノ![]()
私はまた何か言いたいことできたら、このブログに追加しますので!!
まとまった…かな?(^▽^;)![]()
文章書くの下手なので…ごめんなさい…(((( ;°Д°))))![]()
それでは、また会う日まで![]()
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2011.2.23 ちっち




アンケート回答者数は121人



そして、かなりアナログな感じですが、真ん中のテーブルに「みんなのつぶやき」パネルへつぶやきを貼るための画用紙が準備されてます





アンケートを見ると、この写真に心を動かされた人が多かったようです。
自由に手に取って閲覧していただきました











お友達かなえちんの妹さんの鳥の絵
同じクラスみっちゃんの絵

先輩・ドンさんのにわとりの絵

石川研の先輩・富松さんの彫刻


石川研の先輩・いけぞーさんの象さん


くらもとの絵
麻生情報ビジネス専門学校 CGクリエータ科 学生作品
研究室の後輩、まちこちゃんの絵




