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2年前の今日を、振り返ってみる。


東京は、早春の陽気に恵まれた、心地のよい週末でした。

段ボールが山積みになった引っ越して間もない部屋で自分は、大阪の現場仕事の前ノリのため、旅立ちの準備をしていました。

「…あれ、揺れとる? 昨夜の酒が、まだ抜けてないのかの?」

その数秒後、かつて経験したことのない、長く、そして強烈な揺れに襲われました。

広さだけで選んだ、築二十数年の古いマンションです。

仕事机横のワイヤーシェルフに掴まりつつ、「ひょっとして、建物が崩壊して、おれは死ぬのかも」と、本気で思ったりしました。

あとでそれを家内に告げると、「ほんと、情けないわね」と呆れられました。

幸い、洗面台に置いた化粧水のボトルが一本転がった程度で、被害はありませんでした。

しかし、テレビに映し出される「いま、日本が直面している現実」に、言葉を失いました。


引っ越したばかりで、食器や食材はまだ段ボールの中に梱包してあったので、夕食は1ブロック北の街道沿いにある中華料理屋で摂ることにしました。

新宿方面から、大勢のひとたちが、寒さに震えつつ、無言で黙々と、西東京方面へ歩いていました。

ふだんは閑古鳥が鳴いている件の中華料理店も満席御礼状態で、店員の中国人女性はてんてこ舞いな感じでした。

食事を終え、コンビニに立ち寄ると、束の間を暖を取るひとたちで、これまた大混雑でした。

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パンやおにぎり、飲料水は、ほぼ売れ切れ状態でした。


翌朝、近所のスーパーに買い物に行って戻ってきた家内は、呆れた顔で、言いました。

「まるで、オイルショックの時の古い映像みたいだったよ。いい歳したおっちゃんおばちゃんが、我先に水とかティッシュ抱えて。東北の親戚とかに送るってんならわかるけど、会話を聞いてると、そんな感じじゃなかったし。アホよね……」

宮城や福島の知人たちと連絡が取れたのは、2日後のこと。

一本の電話やメールで、これほど嬉し涙を流したことは、はじめてかも知れません。


あれから、早いもので2年が経ちました。

今日、テレビは震災関連一色に染まることでしょう。


しかし。

昨年のように、ご注意テロップを付けつつ、津波の映像ばかりを流すのは、勘弁していただきたいものですな。

けして忘れてはならない。

でも、忘れたくても忘れられなくて苦しんでいるひとが、たくさんいるんですから。


いま、どういう状況にあって、今後、それをどうやって解決してゆくか。

そっち方面に全力を注いでいただきたいものです。


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@anikatsu213