新発見はまだまだ限りなく続いているのですね。わくわくします。angowebbot中の人は先日10月20日に新潟に出向いて、坂口安吾生誕祭+115を観てきました。
あいにくの荒れ荒れ空模様で暴風気味であり、午前の部の街歩きはサンザンだったようですが、案内担当(綱男さん!)の機転で、もっぱら屋内にこもって、プロジェクターに映したパソコン動画を通して平穏に街歩きを実施されたようです。といっても、中の人は午前の部の方には赴いていません。主に参加したのは午後の部としてのりゅーとぴあ5階能楽堂にて実施された講演の方であって、街歩きの様子はその講演の部から聞き知ったまでです。平日にも関わらず、遠くは茨城からも来られてたようで、楽しげな好奇心のさまが伝わってきます。
というわけで、予定の13時半から講演はじまり。前半は(もはや恒例とも言える)綱男さんによるトークで、パソコンのプレゼン動画をとおして、ご自身の生い立ちや、父安吾さんにまつわる伝聞を、いろいろと楽しく聞かせてくれます。
しかし、今回のプレゼンでびっくりしたのは、豊山(ぶざん)中学卒業時(1925年)のアルバムが発見されてた件でした。スクリーンにぱっと映し出された安吾さんの肖像写真。着帽して細い鉄縁のメガネを掛けているようです。すごいのは肖像下の氏名欄に「吾安口坂」と印字されていることです。ふつう卒業アルバムって、本名で表示するしか、ないですよね。ということは、安吾さん、その当時、アルバム制作担当相手に頑強に意思を通して”安吾”と印刷させたということでしょうか。「僕は弁論部で”安吾”を名乗っているんだ。だから安吾と言ったら安吾(と刷りなさい)!」「はぁ、わかりました(でも一生残る記念物なのに大丈夫なのかなぁ)」こうして卒業アルバムには初めて安吾名義で活版表示されることになった、なんてね、これで文豪エピソードが出来上がってしまいます。もちろんこれは妄想ですけどね。
講演後半は、浅子教授、七北さん、梨本さんによる対談で、テーマは先年発見されてすでに活字化された新発見生原稿「残酷な遊戯」にまつわることなどなどでした。
ほんとうに謎めいた原稿発見の経緯(そもそももとの所有者様が証したがらなかったようで、経路がまったく不明)。この原稿がいつごろ執筆されたのかを当時創作のために目を通していたとされる「松浦宮物語」を通しての推測。執筆がなぜ中断されたのかの推測。などなどお話の内容はもっぱら推測中心ながら、でも取り巻く世界にはミステリアスな深みがあり、おもしろかったです。
中絶を繰り返しながら素材をかえて、くりかえし執筆されてきたヒロイン「雪子」もの。魅力的な書き出しで清書されながら、けっきょく未完に終わった「残酷な遊戯」。語り手「私」が諸国を放浪していた頃、妹が姉をピストルで撃ち殺す凄惨な事件を提示しておいて、しかし語り手「私」は文面から消えてしまい、そしてストーリー自体も41枚で中断されてしまう。このモヤモヤ感は魅力的ですよね。
そもそも語り手として、自分の理解できないことを、あえてそのまま曖昧なままにしておく。もっともそれをやり続けていると最後には壊れていくしか無いけれども、フィクションの世界は深まってテンションは上がっていく。つまりは煙に巻かれる快感。それが創作物を楽しむ快感なのでは、とこれは対談でも話題になっていました事柄なのですが、これは対談を聴いていた中の人も激しく同感しました。
そのつもりで、先年公刊された「残酷な遊戯・花妖(春陽堂)」をまた読んでみたいと思います。ありがとうございました。
