2014年10月18日(土)新潟市で開催された「坂口安吾生誕祭108」に行ってきました。bot中の人が拝聴したのは、同日14時第2部恩田雅和さんの講演会「落語作家・坂口安吾」です。会場はクロスパルにいがた4階映像ホールでした(ちなみに午前中第1部では、綱男さんによるご案内で安吾さんの生家周りの街歩きツアーが開催されていたもようです)。
さて、この第2部恩田さんの講演会ですが、表題どおり、落語と安吾さんとの、知られざる関連性を指摘する、というものでした。また、講演だけでなく、ところどころ落語と関連するおもしろい部分について、千賀ゆう子さんによる原作朗読も間にはさみながら耳を傾ける、という演出付きでした。今回朗読として取り上げられた作品は「ピエロ伝道者」「風博士」「落語教祖列伝」でした。

以下文面は、bot中の人が恩田さんの講演を客席で聞きながらノートをとり、自分なりに要旨をまとめたものです(本来ならば、講演の話し言葉を忠実に文字起こしするのが理想なわけですが、ICレコーダを客席に持ち込むわけにはいかなかったので、それがかなわなかったことを、ご了承ください)。

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<安吾と落語との出会い>
安吾と「落語」については、これまでほとんど論じられていないので、強調してお話したい。安吾さんと落語との出会いは、まず大正11年、16歳のころ、新潟中学を放校されて、東京の豊山中学に編入したころから始まります。当時から、浅草の寄席通いに出没していたということが、郷里の友人三堀氏あての書簡から確認できます。その書簡には以下のような記載がみられます。
「・・・学校はつまらなく、諸国寺の奥で煙草を吸っている。土曜日には浅草へ寄席を聴きに行った(三堀憲二氏あて書簡)」

<初期作品と落語との類似>
浅草での落語体験が、初期作品「ピエロ伝道者」「風博士」に反映されており、またこれら二つの作品がいずれも、落語の構造に通じるものがあります。とくに書き出しの部分は、どちらも落語でいう「マクラ」なのではなかろうか。まともに読むと、意味がさっぱりわからないけど、本題へ導入してゆくマクラとして読むならば、納得できるように思われます。
「屋根の上で、竹竿を振り回す男がいる。みんなゲラゲラ笑ってそれを眺めている。子供達まであいつは気違いだね、などという。僕も思う。これは笑わない奴の方がよっぽどどうかしている、と。そして我々は、痛快に彼と竹竿とを笑殺しようではないか!(ピエロ伝道者)」
上記引用と併せて、古典落語「宇治の芝船」で使われていたマクラ「三人馬鹿」の一部分を紹介します。
「誰もいないのにこんにちは!道の真ん中で竿を振り回してどないすんねん!屋根に上がり、竿を振り回してお星様を取ろうとする阿呆もおるわ・・・」 
この二つを比べてみると、なるほど相通じるものがあります。意味はさっぱりわからないけれども、落語の本題へと導入していくための「マクラ」なのだと思えば、納得できます。また、竿を振り回す男のことも出てくるので、もしかしたら安吾も浅草の寄席で「三人馬鹿」を聴いていたのではないか、それが「ピエロ伝道者」にも反映されたのではないかとも思われます。

<落語の芸術性>
昭和7年発表「FARCEに就いて」で、安吾さんが古典落語「化物使い」を取り上げています。
「私は時々落語を聴いて感ずるのであるが、おそらくは文学として読むに堪えないであろう愚劣なものが、立派な落語家によって高座で表現されると、勝れた芸術として感銘させられる場合がある(FARCEに就いて )」

<講談の手法>
昭和18年2月に、エッセイ「講談先生」を発表。歴史小説においても講談の手法を取り入れることを創作方法論として安吾さんが強く意識していたようです。
「講談の語り方、私が見てきたことだから信用しなさい、という語り方によると、第一、目が物が本質から離れず、小さなことに意を用いる必要がないという、大変手数の省略があり、この省略は、手数を省くばかりではなく、テーマをはっきりさせる(講談先生)」

<落語教祖列伝と方言のこと>
昭和25年10月~26年には、オール読物に「落語教祖列伝」を4回連載します。安吾さんが44歳の時に執筆したもので、遊び心のある楽しい作品で、作中セリフでは新潟弁が使用されています。
 なぜ、新潟弁なのだろうか? 
 なぜ、「落語」なのだろうか?
ちなみに、安吾さんも当時親しんでいた、東京落語の7割は、上方落語からの移植といわれています。
たとえば江戸の古典落語「時そば」は、明治10年に柳家小さんが上方で10年落語修業をしているときに覚えた「時うどん」を東京に持ち帰って、江戸向けに作り直したものでした。
こうして上方から東京へ噺が移植されると、上方落語オリジナル本来の毒々しさが、内容が省略され、ことばも変わってしまい、何かしら粋な内容の落語に変わってしまう傾向がある。その反面、オリジナルならではの「土着性」「毒々しさ」が消滅してしまいます。
安吾さんも、もしかしたら、江戸落語のこのことに気がついていて、もしも毒々しい土着性を表現するのならが、あえて自分が生まれなじんだ新潟弁で、そして「落語」という形で、何か書き残そうとしたのではないか? その結果の一つが、「落語教祖列伝」だったのでは? と推測できるのではないかと思われます。
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↑以上が、bot中の人が現地で講演を聴きながら、ノートにメモった内容の要約です。要約というのは難しいもので、自己流のフィルターだけに捉え方が偏ってるかもしれませんが、安吾さんと落語との思わぬ関連性が、うまく伝わっていたら幸いです。以下は感想。

<bot中の人による感想>
安吾さんには”ファルス”の実践ともいうべく、ユニークな語り口の作品もかなり多いわけですが、たしかにこの側面について、論じられた例はあまり見かけないし、そもそも書かれた作品そのものが、読んで率直におもしろおかしいことが答えでもありますので、いざ論じようにも、論じようがないきらいもあるように思います。
・・・などという先入観に囚われていたのですが、今回「落語」という視点から改めて作品群をとらえなおすことで、安吾さんならではの創作方法論が、思わぬ形で、するすると解き明かされてきましたように思います。いわれてみれば「桜の森の満開の下」の書き出しもマクラですね。
また、エンターテイメント作家としての楽しいイメージ像をもうまく代弁してくれてもいて、なるほどと思うこともいっぱいでした。思わぬ発見の得られる講演だったなとも思います。
改めて「落語教祖列伝」あたりを読み返してみようと思います。角度がひと味違う安吾の世界を、ありがとうございました。


当日の会場写真一枚を記録としてアップ。舞台上方の力強い題字は「クリエティブランド 晴れ日」の小柳さんの筆によるものです。
恩田さんの講演と千賀さんの朗読の光景写真をアップしたかったのですが、帰宅して気がついてみたら、撮ってませんでした。ただただ申し訳なしです。

おつかれさまでした。