悩み事をよく聞く仕事をしていて思うこと。
いろんな悩みがありますが、
最終的に『私という人は』に行き着く事がよくあります。
自分が思うように。
自分が好きなように。
私らしく。
ありのままで。
それがわからないというところで行き詰まります。
『私』がわかっている人は、長く悩むことがないように思います。
喜怒哀楽を誤魔化しているとわからなくなるのが
『私』です。
喜びと悲しみはわりと自然に出てくる感情ですが、
怒りと楽しみは、モヤがかかりやすいようです。
多分一番多いのは、怒りを大人の仮面、または人目を気にして出さずにいる事などが習慣化してしまい、
それが『偽の私』を作り出してしまい、
末期には、何をしたら自分が楽しいかさえわからなくなってしまう、そんな症状の人の悩みは続いてしまいがちです。
私も経験があります。
まるで迷路です。
私が一番良いと思うのは、『怒り』を素直に出す事です。
怒りを出すというのは、他者にぶつけるという単純な事ではなく、私は今怒っている、その事を認めることでしょう。
怒りを隠すと道が見えなくなります。
怒りを認めると、少なくとも怒りを感じなくてよい道は見えてきます。
大人も、大人っぽい子供でさえも、上手に怒りを感じないようになってしまっています。
本当は怒らなければいけない対象ではなく、
別の対象に怒りをぶつけてしまうと、問題はさらに広がってしまいます。
いつも笑顔でいる人は理想ですが、
いつも笑顔なわけがありません。
なるべくいつも笑顔でいる為には、怒りを正しく感じる事だと思います。
喜怒哀楽、それぞれに、自分を自分と感じる為のパワーがあると思っています。
私の最近は、喜喜怒怒怒哀楽楽です。
いろんな悩みがありますが、
最終的に『私という人は』に行き着く事がよくあります。
自分が思うように。
自分が好きなように。
私らしく。
ありのままで。
それがわからないというところで行き詰まります。
『私』がわかっている人は、長く悩むことがないように思います。
喜怒哀楽を誤魔化しているとわからなくなるのが
『私』です。
喜びと悲しみはわりと自然に出てくる感情ですが、
怒りと楽しみは、モヤがかかりやすいようです。
多分一番多いのは、怒りを大人の仮面、または人目を気にして出さずにいる事などが習慣化してしまい、
それが『偽の私』を作り出してしまい、
末期には、何をしたら自分が楽しいかさえわからなくなってしまう、そんな症状の人の悩みは続いてしまいがちです。
私も経験があります。
まるで迷路です。
私が一番良いと思うのは、『怒り』を素直に出す事です。
怒りを出すというのは、他者にぶつけるという単純な事ではなく、私は今怒っている、その事を認めることでしょう。
怒りを隠すと道が見えなくなります。
怒りを認めると、少なくとも怒りを感じなくてよい道は見えてきます。
大人も、大人っぽい子供でさえも、上手に怒りを感じないようになってしまっています。
本当は怒らなければいけない対象ではなく、
別の対象に怒りをぶつけてしまうと、問題はさらに広がってしまいます。
いつも笑顔でいる人は理想ですが、
いつも笑顔なわけがありません。
なるべくいつも笑顔でいる為には、怒りを正しく感じる事だと思います。
喜怒哀楽、それぞれに、自分を自分と感じる為のパワーがあると思っています。
私の最近は、喜喜怒怒怒哀楽楽です。