「自分の人生デザインは自分で描こう」をモットーにコンテンツプロデューサーをしているおりはらリあです☺

 
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最近では「発達障害」の認知度が上がりましたよね。

 

昔は「個性」で済んでいたことにまで

なんでも診断つけていると憤る人もいれば

「良かった」と安心する人もいます。

 

わたし個人はといいますと、

「ぶっちゃけどうでもいいじゃん」派(笑)

 

「うちの子、発達障害だったらどうしよう?」

と心配するより発達障害の症状を学んで

「こういう子にはこういうアプローチがいい」と

やり方を学べばいい。

 

診断がつくのを嫌がる親御さんもいるけど

もし本当にお子さんが苦しんでいるのなら

診断を受けることで加配の先生を付けてもらえたり

度合いによっては公的に助けてもらえることが

たくさんあります。

 

 

確かに色眼鏡で見る人もいるかもしれません。

でも、お子さんが本当に苦しむのは

そこじゃないんじゃないでしょうか?

 

 

例えば「ADHDです」と言われたとします。

これは実際にわたしが出会った方々の話です。

 

ある親御さんは「そんなはずはない」と

激怒しました。

 

お子さんには「もっとちゃんとしなさい」

「集中しなさい」「忘れ物しないの!」と

育て続けました。

 

進学の際には「わたしの子なんだから

このレベルのが学校くらいにはいかなきゃ」と

人気私立高校に入学させるために

家庭教師や塾で勉強させてました。

 

…お子さん、苦しいだろうなぁ…。

 

実際、その子の担当教師の方とお話しましたが

「現実的にその子にはハードルが高すぎる。

 たとえ入学できたとしてもその後が不安だ」と

仰ってました。

 

自己肯定感下がりそうですよね…。

 

またある親御さんは「うちの子、ADHDなんです」と

関わる人に伝えていました。

 

協力を仰ぐという意味ではいい判断だと思いました。

 

でも、違ったんですよね…。

「ADHDだからできません」

「ADHDだからやれなくても仕方ないんです」

 

いろいろ工夫して社会生活してるADHDの方に

なんて失礼なんだろうと思いました。

 

ADHDに限らず、発達障害があることで

みんなと同じやり方ではできなかったり、

できるようになるのに時間がかかることはあります。

 

でも社会生活をさせたいのであれば

「特別視して下さい」って免罪符にするのは

違うと思います。

 

「発達障害があるから同じようにはできないけど、

 こういう方法でできるように工夫します」とか

 

「発達障害があるからこういうところでは

 フォローお願いできますか?」が

イチバンいいように思います。

 

考えてもみてください。

確かにあなたのお子さんはあなたにとっては

優先順位の高い特別な存在です。

 

でも、ほかのお子さんも同じように

大切で特別な存在です。

あなたのお子さんが快適に生きるための

添え物ではない以上、免罪符なんて存在しないんです。

 

「できないところは助けてもらう」

「でもできるところは助ける」

それが社会生活でしょ?

 

発達障害のある子はほかのことは

違う感性や視点を持っています。

 

その特性を活かすためにも

「困った時はお互いさま」の関係を

作り上げていくのが大切なんじゃないでしょうか?

 

じゃないと事件を起こして「発達障害だから」って

言い訳にしてるのと同じ感じになりません?

 

発達障害を免罪符にするって

全発達障害の人に失礼なことしてますよ。

 

 

 

診断がついたのは「名札」をもらっただけ。

育児書とは違う取説を参考に育てる必要があるだけの

他のお子さんと同じ大切な子供なんです。

 

また、定型発達の子だって育児書通りに育たないように

発達障害の本の通りにお子さんが育つわけでもありません。

 

発達障害の有無にとらわれず、

あなたの目の前にいるお子さんの特性を

ちゃんと見てあげましょうね♡