名前は忘れてるんだけど😅
まずは高校の演劇同好会(当時演劇部がなかったので自分達の世代で立ち上げ、現在は部活として続いてるらしい)の顧問。
大学受験する気でいたのに親との不仲が悪化し、
独り暮らしを始めたので受験させてもらえず(お金の工面がつかず)、
かといってなりたい職業もなくフリーター路線一直線だった私に
『これ、受けてみなよ。多分織原ならいけるから』と某劇団の募集要項を手渡してくれた先生。
その気になって申し込もうと思ったら締め切りすぎてた🤣
そして私は家賃稼いでたバイト先でそのままフリーターになりましたとさ(笑)
でも気持ちが嬉しかったので感謝。
あと、元々バイト禁止の学校だったので『親と別居したいので学校辞めてバイトします』と言ったら『高校は出た方がいい』とうちに来て私が一人暮ししながら学校を卒業できるように親を説得してくれた担任。
あの時担任が親を説得してくれなかったら私は学校辞めて家出同然の生活に突入してたと思う。
感謝。
そしてバイトで休んで単位落としたときに単位とりやすいように補習内容の便宜を図ってくれた教科担任の方々。
友達にも恵まれたけど、先生たちが見守ってくれなかったら留年しまくってたと思います。
感謝。
そして怖い顔した生活指導の先生。
私が遅刻してタクシー登校したり、スクールバッグの指定を無視したりしたときに
『お前を見逃すとみんなを見逃さなきゃいけなくなるから守ってくれよ』と頭ごなしに叱るのではなく、私の事情も考えてくれたことに感謝。
一方的に(親の気分や都合で)叱られて育ってた私にとって、
ちゃんと理由を伝えて私の気持ちを考えながら叱ってくれたことは
私が虐待の連鎖を断ち切るのにおおいに貢献しています。
私の母校は当時もたいして有名でもない
田舎の高校だったし、
(栗貫さんにお会いして学校名聞かれたときに『ああ、あの甲子園で強い高校ね』とありもしない野球部を誉められた😅)
今は偏差値も下がりまくってるみたいで
自慢できる高校でもないけど
当時の先生や友達は誇れると思う。
私が大きく脱線せずに生きてこれたのはあの3年間のお陰です