無意識に自分を可哀想だと思っていたことを自覚する。 | ♡守護天使からの贈り物★

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天国な時間を過ごしています。
誰でも、気づけば、
それは叶う…

何かにつけて、
可哀想、、、

と思うのは、


あなたが

あなたの人生であるいは、前世で、
味わったことが
哀しかったから。


それで

あなたが
あなたを
無意識に
可哀想と感じてしまったから。


哀しい、
可哀想、

と、感じること自体、まったく、悪くありません。


ただ、そうしますと、、、


可哀想のメガネがいつもあなたの目の前についてしまい
なんでも可哀想に感じやすくなってしまいます。




その
辛い経験は
可哀想と言うよりも
本当は
崇高な魂の果敢なテーマ、
チャレンジであるのに

弱く儚く脆く
可哀想に自他を位置づけてしまうのは
勿体無いことです。



みんな、かわいそ


金子みすゞさんの感性と詩は
慈悲深く優しさ深い愛ですが、、、

私たちは
かわいそ、で、終わらせてはならない、
次の進化、
ハッピーになる、ハッピーにしていく、
と言う使命があるのです。

金子みすゞさんは、
何よりも自分が哀しかった。

可哀想な自分を受け入れ、
その不幸を跳ね除ける、
逞しさは持ち合わせていなかったようです。

なんとしてでも、
私の不運、
このままで終わらせない!
とは、できなかったようです。

具体的には、
幼子を遺しての、自死ですが、
本当のところは、
お見合いした結婚相手がかなり遊ぶらしく
そのせいで、淋病を移された苦しみなどがあったようです。

身体の苦しみで、自死するのは、
自死の理由の一位で、ここは理解できますが、
当時も、
淋病などで全員が自死することはありませんでした。

いかに、
その病気が苦しいものなのかは、
調べるとよくわかりますし、
察するに余りあります。

簡単に、
病気になっても、乗り越えろ、
とは、言うつもりはまったくありませんし、
まりあこそ、激痛の病が、いつまでも続くので、
自死をとにかく求めたものでしたから。

それでも、金子みすゞさんは、命に代えて、
その父親から、
子供を守りました。


ただ、

かわいそ、

の、フィルターが強すぎますと、
可哀想の世界が中心となってしまいます。
何を見ても、
もののあはれ、と言う、
平安時代の感性となります。
それは、
野蛮な意識から、高くなった精神意識で素晴らしいのですが、
さらに、
次に移行して、
自他を幸せにしていく、へこたれない、明るい精神意識のほうが
大切となっていきます。


つまり、

かわいそ、の感性が強すぎますと、

その正反対の、

よかったね!
幸せだね!
運がいいね!


のほうが

メインとしてフォーカスしにくくなり、

その世界を構築しにくくなります。


なので、


可哀想と敏感に感じるのは
まだ
あなたがあなたを癒せてなくて
可哀想なわたし、
と定義づけているから。

と、無自覚、無意識にそう感じてたことに
自覚していき、




みんな、
果敢なチャレンジャーなんだな。
可哀想だから
ではなくて
応援する側であろう。なんですね。



前からこれ、
伝えたかったのです。


そしてそれは、
何よりもわたしに。


壮絶な闘病の前も、
どちらかと言うと、
運があまり良くない方でした。
当選するなどは並の人よりも多かったのに、

職場の部署も、
運が悪いな、お前、ここに配属されて。

と、その部署の方から最初に言われたほどでした。


生まれつきの境遇も、然り、です。
数えれば、
よくもまぁ、
運が悪いな、な程でした。


その反面、

ここは運が良かったね、
も、たくさんあるのですが、

大筋がどうもやはり、運が良くなくて、、、



なので、、、

難病以降、
何を見ても、
あれもこれも、可哀想、
と感じやすくなりました。

優しくなった、慈悲心が深くなった、
とは、言えましょうが、
哀しみが強かったんですね。


実に泣きました。
哀しかったんだな、
と、振り返ってもそう思います。

ただ、
当時から、


偉いな、明るいな、まるで、チャレンジャーだな、

とは、思われていたのです。

私は自分を可哀想だなんて、
少しも思ってないと勘違いしていたのです。

無自覚でした。

でも、

クライアント様達を見てきて、

自分が可哀想と思ってるんだろうな、
哀しかったことが乗り越えられてないんだな、
だから、
何かにつけて、同情してしまい、振り回されて、
また、苦労を背負い、また、可哀想な私を作り上げてしまってるな、

と、気がついたのです。

この傾向に気がついたら、
今度は、私は私にどうなのだ?と
無自覚を意識しようとしてみましたら、

やはり、

可哀想と思ってしまうことに、
敏感になってしまっていることに、


ハッとしたのです。



ただ、まりあに関しては、
周りも本人も、不幸を跳ね除ける、強さがあると、
みーんな、見てたんですよ。笑

そして、
大いにそう言う部分はありました。
生きることに、治ることに、
必死だったんです。

笑いが身体にいいと知ってたので、
とにかく面白い感性磨いて、
何を見ても笑いましたし。

もともと面白がりな面もありましたし。
家族で冗談ばっかり言ってます。


この、私でも、まりあでも、

そういう部分は無自覚にあったわけです。

ですから

つい、同情してしまうかたへ、
つい、可哀想になってしまうかたへ、

まずは、

その思考を変えることから、
あなたがあなたの犠牲を払って、
救うのではなくて、
助けるのではなくて、
無理してやるのではなくて、



あの人も、
あの猫も、
あの対象も、
可哀想だから、

ではなくて!!!!



おー、
チャレンジャーなのだな、
よし、ならば、応援しよう、
一緒に幸せになろうぜい!!!!


と言う、意識にシフトして行ってください。


同じことをしていても、

この、意識の差は歴然です。



でね、そうなんです。

まりあは、
性格が面白くても、、、


未消化の悲しみを抱えてはいたんですね。

無意識ですから、
気がついてません。

しかし

それ、、、、

また、
自分以外のことに、
哀しみを感じるようなことを引き寄せてしまうし、
これでもかーなほどに、
哀しいのをまた現実、目で見てしまうことに、
凄くそのメッセージ性に気がついて、、、


可哀想と思うこと自体、
おこがましいからやめよう!

ハッピーにフォーカスします、はい!



と、切り替えてから、、、



そう、

あの時、特に
集中して目にした、

鳩の大怪我、
子猫たちの噛まれたのか瀕死、

げー!!!!と、思うくらいなのを、
目の前で見て、
ひとつは、なんと、わざわざ家の前で!!!!


こ、これ、、、

この世の存在はみな、哀しいね、、、

の、


金子みすゞさんの、、、

世界になりすぎ!!!!


わかりました!
それ、やめなさいってメッセージね!

と、パッと切り替えましら、、、


見なくなりました。





こんな風に
ホント、

潜在意識は
現実化するのを
鮮やかにやってくれちゃいます。

この場合は、
すぐに気がつけた、
潜在意識でしたが、、、



しつこいくらい、繰り返しになりますが、


最近、



可哀想と思うのは、
自分が辛い経験をしたから、
自分が自分のことを無自覚に、
可哀想と思ってるからなんだな、
だから、
すぐ周りの存在も、
可哀想と思っちゃうんだな。


と、自覚しましたし、


可哀想がる人を見てますと、
判明したのです。

本人は明るく跳ね除けていて、
自分のこと、可哀想だなんて思ってないよ!
であろうとも、
逞しく生きてるつもりでも、
本当は、自分のことを可哀想、、、って、
悲しがってるのが視えたのです。

跳ね除けること自体、そうですしね!
可哀想と思ってなかったら、跳ね除けませんしね!

そうなの、
可哀想がるタイプの人にはみんな、
共通点がありました。



だから、
可哀想な人はいない、可哀想な存在はない、
と、心屋さんが言うの、
わかるー、

魂で見たら、
納得!

崇高な魂が敢えてチャレンジしているのに、
失礼だ!!!!


この人も可哀想に、、、
と同情してしまうのは、連鎖し、
さらに、どんどん同情してしまうから、
苦労してしまう。

自分と不調和になってしまうのは、
可哀想がって、同情したら、
運に恵まれないのは、


本当は、
まだ、
過去の自分が哀しくてならないから。
辛くてならないから。
マイナスから来てるから。



本当に乗り越えたなら、

可哀想の代わりに、

おー、ここにも、チャレンジしていく果敢な存在がいるぞー

と、思えるはずなのだ。




まりあ