セッションは続くよ~今度こそ完結編。
さてさて前回は、まるで締め切りに間に合わずに原稿を落としてしまった
作家さんの様な文言で終わってしまいましたが、
今日こそは完結させたいもので御座います。
**************************************************************************
別室から戻ってきた二人に聞かされた、兄の死の背景。
それは・・・
いつ頃からかは、定かではありませんが、
兄は“ちょっと堅気じゃあ無いよ~”的な、
所謂、チンピラ(だと思う)の様な男と関わりを、持ってしまっていたらしい。
兄には昔から多分にしてそういう傾向が有ったようなのですが、
悪い友人から悪い誘いを受けると、断り切れずに引っ張られるという
弱い部分を持ってたのですな。
新しく決まった職場で真面目に働き始めても、色んなちょっかいが入ったり、
何かしらに誘われて、無断欠勤してしまったり。
(無断欠勤は、女性関係のせいもあったみたいですけどね)
何か、弱みでも握られていたんでしょうかね~。
お金もせびられて。
どんどん、せびられ、サラ金に手を出し、それでも回らなくなると
父の家に行って金を取ってこい!と強要され、断っても強引に脅されて。
(このころが、傍目には絶好調の兄貴)
兄の中には、自責の念も有ったことでしょう。
家族に迷惑を掛けているという申し訳なさも有ったようです。
いつまでも続く、長いトンネル。
出口は見えず。
ある夜、兄はついに決心しました。
「・・・・・ 殺そう。」
辛さを紛らわし、自分を誤魔化すために何杯もの酒を呑み、辿り着いた答え。
そのチンピラが自分に関わり続ける限り、自分は一生このままだ、と。
兄は、殺意を抱いて台所にあった包丁を握りしめ、家を出ました。
そして・・・
玄関を出た踊り場から足を滑らせて階段を落ち、後頭部を打ち付け
脳挫傷となり、そのまま帰らぬ人となってしまった。
・・・と、これが霊能者さんの口を借りて兄が語った、背景らしいです。
あぁ、こりゃあ叔母も姉も一撃ノックアウトを喰らいますなぁ。
可哀想の涙を流します。
で、暫く経って私も前回に書いたように
「まぁ、いいか~。」と赦しの気持ちを持てたという次第です。
となると、次に沸いてくる怒りの気持ちの向け先、
それは、兄に金を集り続けたチ・ン・ピ・ラ野郎ですわ。
いや、会ったこともない人間ですが、兄をそう言う状況に追いやり、
しかも現在も、のうのうと暮らしているかと思うと、
非常~に腹立たしくなりましてね。
で、その気持ちを、りんさんに伝えたのですよ。
「じゃぁ、そこの辺りのことをチャネリングしてみましょう。」という事になり
本日チャネリング第一弾が、始まりました。
そこで降りてきたメッセージ、意外にも思えましたが、
次第に納得できるメッセージ。
『宇宙は全て対等というバランスに於いて成り立っていると言うことを、
本当の意味で理解していますか。』
つまりは、そう言うこと。
兄貴と、そのチンピラの関係も対等で有ったと言うこと。
きっと兄は、そいつから金をとられる代わりに違う形で何かを得ていたと、言うことなんですね。
それが、一面から見ただけでは、兄が一方的に被害者に見えてしまうけれども、
実はそうではなく、二人の関係は対等でありバランスがとれていたという事なのです。
叔母達に語った霊能者さんが、兄を被害者寄りにすることで、
叔母達の心は癒されたのです。偶然か必然かは、別にして、ね。
その、全ては対等であるという概念。
大きな感銘を受けてしまいました。
スピっちゃえ!な書籍に時々、書かれている
『ジャッジしちゃダメ、ダメ!』という言葉も、
そこに繋がっているんだな~、などと思い
なんか“原点”の様な気がしましてね。
なので、チ・ン・ピ・ラ野郎に怒りを向ける事は
とてもバカげている事だと答えを見つけたのでした。
「まぁ、いいか~。」と。
で、ここまでで大きな山場を超えた感じなんですが
トントンと、すんなり受け入れが出来たもので
いつものペースより早く進んでいる感じ。
さぁ、ここからはチャネ本番。
「何か、質問は有りますか?」と尋ねられたので
「じゃぁ、この先、夫婦で一緒にする仕事について。」を、テーマに質問。
ふたりの事なのでと、奥さん に電話チェ~ンジ!
突然、受話器を差し出すと、驚きと戸惑いと喜びで
「ひぃえ~、うそぉ~!?わ~い!!」と、嬉々としてセッションに参加。
その後、再び私に代わりチャネリング。
概ね、良好な展望のうえで、それを実現するための幾つかのメッセージを降ろして下さいました。
(内容は?ヒ・ミ・ツ、ですぜ。)
そして最後は、なんと、こうすけにチェンジ!
実は、こうすけに関しても、ちょっと心配なことがあって
電話で話す事で、そこの辺りを読み取って頂いたのですが、
心配は思い過ごしであって、特に心配することも無い様子。
ていうか、りんさんと電話で喋るこうすけって、
あんなリラックスして喋っている彼を見たのは初めてかも?
「なんか、親戚のお姉さんと喋ってるみたいやねぇ。」と
夫婦二人で微笑ましく見守ってました。
言葉から伝わる波動が、とても心地よかったみたいです。
結局、この日は家族全員で、りんさんのセッションを受けた形になった一日でした。
と、言うわけで、当初の、「要点だけを、かいつまんで、簡潔に要領良くまとめよ~っと。」という
目論みが大きく外れ、とっても長編になってしまいました。
まぁ、色々とディープな部分にも触れましたが、
別に隠す事も無いかな~、っと。
(この、こだわりの無さが、私の長所の一つだと、りんさんにも褒められたんですけどね)
セッションを受ける以前は、心に抱える重しなんて無いだろうと思ってましたが、
今回のセッションを通して、結構色々と出てきましたね~。
やはり、今回この時期に受けることには何か大きな意味が有ったのでしょうね。
いやいや、家族揃って、セッションを施して下さったりんさんに
あらためて御礼申し上げましょう!
めでたし、めでたし。
おしまい。
作家さんの様な文言で終わってしまいましたが、
今日こそは完結させたいもので御座います。
**************************************************************************
別室から戻ってきた二人に聞かされた、兄の死の背景。
それは・・・
いつ頃からかは、定かではありませんが、
兄は“ちょっと堅気じゃあ無いよ~”的な、
所謂、チンピラ(だと思う)の様な男と関わりを、持ってしまっていたらしい。
兄には昔から多分にしてそういう傾向が有ったようなのですが、
悪い友人から悪い誘いを受けると、断り切れずに引っ張られるという
弱い部分を持ってたのですな。
新しく決まった職場で真面目に働き始めても、色んなちょっかいが入ったり、
何かしらに誘われて、無断欠勤してしまったり。
(無断欠勤は、女性関係のせいもあったみたいですけどね)
何か、弱みでも握られていたんでしょうかね~。
お金もせびられて。
どんどん、せびられ、サラ金に手を出し、それでも回らなくなると
父の家に行って金を取ってこい!と強要され、断っても強引に脅されて。
(このころが、傍目には絶好調の兄貴)
兄の中には、自責の念も有ったことでしょう。
家族に迷惑を掛けているという申し訳なさも有ったようです。
いつまでも続く、長いトンネル。
出口は見えず。
ある夜、兄はついに決心しました。
「・・・・・ 殺そう。」
辛さを紛らわし、自分を誤魔化すために何杯もの酒を呑み、辿り着いた答え。
そのチンピラが自分に関わり続ける限り、自分は一生このままだ、と。
兄は、殺意を抱いて台所にあった包丁を握りしめ、家を出ました。
そして・・・
玄関を出た踊り場から足を滑らせて階段を落ち、後頭部を打ち付け
脳挫傷となり、そのまま帰らぬ人となってしまった。
・・・と、これが霊能者さんの口を借りて兄が語った、背景らしいです。
あぁ、こりゃあ叔母も姉も一撃ノックアウトを喰らいますなぁ。
可哀想の涙を流します。
で、暫く経って私も前回に書いたように
「まぁ、いいか~。」と赦しの気持ちを持てたという次第です。
となると、次に沸いてくる怒りの気持ちの向け先、
それは、兄に金を集り続けたチ・ン・ピ・ラ野郎ですわ。
いや、会ったこともない人間ですが、兄をそう言う状況に追いやり、
しかも現在も、のうのうと暮らしているかと思うと、
非常~に腹立たしくなりましてね。
で、その気持ちを、りんさんに伝えたのですよ。
「じゃぁ、そこの辺りのことをチャネリングしてみましょう。」という事になり
本日チャネリング第一弾が、始まりました。
そこで降りてきたメッセージ、意外にも思えましたが、
次第に納得できるメッセージ。
『宇宙は全て対等というバランスに於いて成り立っていると言うことを、
本当の意味で理解していますか。』
つまりは、そう言うこと。
兄貴と、そのチンピラの関係も対等で有ったと言うこと。
きっと兄は、そいつから金をとられる代わりに違う形で何かを得ていたと、言うことなんですね。
それが、一面から見ただけでは、兄が一方的に被害者に見えてしまうけれども、
実はそうではなく、二人の関係は対等でありバランスがとれていたという事なのです。
叔母達に語った霊能者さんが、兄を被害者寄りにすることで、
叔母達の心は癒されたのです。偶然か必然かは、別にして、ね。
その、全ては対等であるという概念。
大きな感銘を受けてしまいました。
スピっちゃえ!な書籍に時々、書かれている
『ジャッジしちゃダメ、ダメ!』という言葉も、
そこに繋がっているんだな~、などと思い
なんか“原点”の様な気がしましてね。
なので、チ・ン・ピ・ラ野郎に怒りを向ける事は
とてもバカげている事だと答えを見つけたのでした。
「まぁ、いいか~。」と。
で、ここまでで大きな山場を超えた感じなんですが
トントンと、すんなり受け入れが出来たもので
いつものペースより早く進んでいる感じ。
さぁ、ここからはチャネ本番。
「何か、質問は有りますか?」と尋ねられたので
「じゃぁ、この先、夫婦で一緒にする仕事について。」を、テーマに質問。
ふたりの事なのでと、奥さん に電話チェ~ンジ!
突然、受話器を差し出すと、驚きと戸惑いと喜びで
「ひぃえ~、うそぉ~!?わ~い!!」と、嬉々としてセッションに参加。
その後、再び私に代わりチャネリング。
概ね、良好な展望のうえで、それを実現するための幾つかのメッセージを降ろして下さいました。
(内容は?ヒ・ミ・ツ、ですぜ。)
そして最後は、なんと、こうすけにチェンジ!
実は、こうすけに関しても、ちょっと心配なことがあって
電話で話す事で、そこの辺りを読み取って頂いたのですが、
心配は思い過ごしであって、特に心配することも無い様子。
ていうか、りんさんと電話で喋るこうすけって、
あんなリラックスして喋っている彼を見たのは初めてかも?
「なんか、親戚のお姉さんと喋ってるみたいやねぇ。」と
夫婦二人で微笑ましく見守ってました。
言葉から伝わる波動が、とても心地よかったみたいです。
結局、この日は家族全員で、りんさんのセッションを受けた形になった一日でした。
と、言うわけで、当初の、「要点だけを、かいつまんで、簡潔に要領良くまとめよ~っと。」という
目論みが大きく外れ、とっても長編になってしまいました。
まぁ、色々とディープな部分にも触れましたが、
別に隠す事も無いかな~、っと。
(この、こだわりの無さが、私の長所の一つだと、りんさんにも褒められたんですけどね)
セッションを受ける以前は、心に抱える重しなんて無いだろうと思ってましたが、
今回のセッションを通して、結構色々と出てきましたね~。
やはり、今回この時期に受けることには何か大きな意味が有ったのでしょうね。
いやいや、家族揃って、セッションを施して下さったりんさんに
あらためて御礼申し上げましょう!
めでたし、めでたし。
おしまい。
セッションは続くよ、どこまでも。 ~ ほぼ完結編
さぁ、今回も行ってみよ~!な、ノリで一気に書きます。
(きっと今回も、長~くなりまする。)
今回、セッションのカウンセリング・テーマは大きく分けて3つ。
一つ目は、「祖母の死と自分の関係性」みたいなもので、
祖母の死に関して長年、後悔の念を持ち続けている私。
もう20年以上も以前の話ですが、心のどこかに引っかかりがあったのですね。
で、まぁ結論から言うと“後悔先に立たず”みたいなね。
過ぎたことを、仮定で「あの時、自分がこうしていれば・・・」なんて
幾ら言っても現実は変わらないし、
ひょっとしたら実は何の関係も無いのに、
自分の中で“無理矢理に関係づけ”をして、
自分自身をちょっとした“プチ悲劇のヒロイン”化してしまってる!?みたいな。
この“悲劇のヒロイン”現象、身内を亡くされた方に、結構あるそうです。
自分でも、「過ぎたことを、あれこれ考えても。」というのは持っていましたので、
りんさんの助言に対しても「そうですよね~、うんうん、わかります。」と
すんなり受け入れモードで、トントン拍子に話は進む。
そう言えば、りんさんは物の例えで「私の鼻が、あと1cm高かったら・・・」という
某TVCMの話を膨らませて分かりやすく、お話し下さいました。
「たら・れば」言葉は結局、逃げの言い訳言葉です。
(私の鼻が、あと10cm高かったら、色々な意味で人生変わるよな・・・
なんて、くだらないことを考える私ですが。←天狗やん、それ。)
はい、二つ目~。
これは、勿論、お兄様の事。
端から見ていて、彼の生き様は家族に迷惑を掛け通しの
自分勝手な人生。
前回も書きましたが、かなり大嫌いでした。
でも実は、昨年の秋頃だったかな?
車を運転中、ぼ~っと考え事をする中で、ふと
「まぁ、もういいや~、許してあげよう!
兄貴も好きで、あんな人生を生きた訳や無いやろうし。
きっと辛かった部分もあったんやろなぁ~。」なんて気持ちで、
所謂“赦し?”って言うか“怒りを手放し?”
みたいな気持ちを、持った時が有りまして、
それ以降は本当に、亡き兄に対して心がざわめくことも
少なくなったという感じでした、めでたしめでたし。
(それまでは、遺影を見るのもイヤだった位です)
それはさておき、今世、兄は反面教師になることで
私に色々な気付きを与える役割であったとの事。
ここだけの話、私は今の自分の家族が大好きなんですが、
そういう、家族・家庭を大切に思う強い気持ちを持つことが出来たのも
反面教師となった兄の存在であったり、
また自分が過ごしてきた寂しい少年時代であったり、のおかげなんですね。
ここで、りんさんからの素敵アドバイス。
「お兄さんに、“今、自分が、こんなに家族を大切に思えるのは、
兄貴のお陰。ありがとう。”って言ってみて。
感謝の気持ちを向けた瞬間に、魂は、すぅ~っと上がっていけるものなんです。
きっと、照れながら、上にあがって行かれますよ。」
ほっほぉ~、なるほど。
赦しの気持ちを向けるだけでなく、感謝の気持ちを向ける、かぁ~。
それは、最高の先祖供養ですね。
毎朝、仏壇にお茶を供え、手を合わせていますが
翌朝からは念仏の前に、「ありがとう。」を3回繰り返すようにしました。
照れとるかぁ~?
と、まぁ兄貴のこともクリアした訳なのですが
実はまだ関連して、怒りを向ける先が一つ残っていたのです。
それは、兄が亡くなった背景に関連するもの。
私達家族が、現在の家に引っ越してきた当初の頃。
今みたいに、スピリっちゃう的な知識も関心も皆無の頃です。
この家、中途半端に田舎のお陰で敷地は、やたら広くって
部屋数も多い。そして築年数が35年位。
自分の家ながら、帰ってきたのは約30年ぶり。
奥さんと息子に至っては、盆と正月に日帰りで帰省した程度の
馴染み無い家です。
また、間取りも良く無くって、家の半分は日中と言えども
暗~いんですよ。
そりゃ、ちょっと怖い気持ち、有って然りですよね。
只でさえ、そんななのに、
奥さんが二階に居るとき、誰もいないはずの階下で
子供が走り回るような足音が聞こえたり、
階段を上がってくる気配があったり。
また、仏間の前の縁側のガラス戸を、誰かが叩く音がしたり・・・
怖いっちゅうねん。
当時は、そういった霊的な事象について相談できる先もなく、
辿り着いたのが、私の叔母が20年近くお付き合いしている
霊能者のおばあさん。
この方とは、私も何度か面識が有り、
昔、祖母と住んでいた家で、
目の前でイタコさんのように我が家のご先祖の霊を口寄せし、
およそ、この人が知っているはず無いであろう我が家に関する
昔のことを喋りだしたときには、「すげぇ~。」と驚いたものでした。
その方に、家まで来て頂き(私の叔母&姉も同席)
家の中を見て貰った訳なのですが、
どうやら兄貴の霊が成仏できずに家の中を彷徨っていると。
くどいようですが、当時は何の知識もなかった私達夫婦ですから
「おぉ~、そうなんや~。」と、早速、霊が成仏出来る様に
あれやこれやとして頂きました。
一段落付いた後で、兄の霊を呼び出してあげようと仰る。
私は、まだ兄を赦していないときでしたから、聞きたくないと部屋に残り、
叔母と姉が別室へ行き、兄と話しました。
そこで兄は、父や母に、申し訳ないと泣いて謝っていたと。
そして、死んでしまった無念と、その時の状況を話し始めたのです。
別室から戻ってきた姉と叔母は、涙で顔をくしゃくしゃにしていました。
余りにも無念すぎる、兄の死の背景。
無き兄が語った、その内容とは、
お詫びと訂正。
冒頭、今回は一気に書ききる旨、申しておりましたが
作者急病(眠い)のため、今回はここまでとさせて頂きます。
長文、最後までお読み下さり誠に有り難うございました。
次回にご期待下さいますよう、お願い申し上げます。
(きっと今回も、長~くなりまする。)
今回、セッションのカウンセリング・テーマは大きく分けて3つ。
一つ目は、「祖母の死と自分の関係性」みたいなもので、
祖母の死に関して長年、後悔の念を持ち続けている私。
もう20年以上も以前の話ですが、心のどこかに引っかかりがあったのですね。
で、まぁ結論から言うと“後悔先に立たず”みたいなね。
過ぎたことを、仮定で「あの時、自分がこうしていれば・・・」なんて
幾ら言っても現実は変わらないし、
ひょっとしたら実は何の関係も無いのに、
自分の中で“無理矢理に関係づけ”をして、
自分自身をちょっとした“プチ悲劇のヒロイン”化してしまってる!?みたいな。
この“悲劇のヒロイン”現象、身内を亡くされた方に、結構あるそうです。
自分でも、「過ぎたことを、あれこれ考えても。」というのは持っていましたので、
りんさんの助言に対しても「そうですよね~、うんうん、わかります。」と
すんなり受け入れモードで、トントン拍子に話は進む。
そう言えば、りんさんは物の例えで「私の鼻が、あと1cm高かったら・・・」という
某TVCMの話を膨らませて分かりやすく、お話し下さいました。
「たら・れば」言葉は結局、逃げの言い訳言葉です。
(私の鼻が、あと10cm高かったら、色々な意味で人生変わるよな・・・
なんて、くだらないことを考える私ですが。←天狗やん、それ。)
はい、二つ目~。
これは、勿論、お兄様の事。
端から見ていて、彼の生き様は家族に迷惑を掛け通しの
自分勝手な人生。
前回も書きましたが、かなり大嫌いでした。
でも実は、昨年の秋頃だったかな?
車を運転中、ぼ~っと考え事をする中で、ふと
「まぁ、もういいや~、許してあげよう!
兄貴も好きで、あんな人生を生きた訳や無いやろうし。
きっと辛かった部分もあったんやろなぁ~。」なんて気持ちで、
所謂“赦し?”って言うか“怒りを手放し?”
みたいな気持ちを、持った時が有りまして、
それ以降は本当に、亡き兄に対して心がざわめくことも
少なくなったという感じでした、めでたしめでたし。
(それまでは、遺影を見るのもイヤだった位です)
それはさておき、今世、兄は反面教師になることで
私に色々な気付きを与える役割であったとの事。
ここだけの話、私は今の自分の家族が大好きなんですが、
そういう、家族・家庭を大切に思う強い気持ちを持つことが出来たのも
反面教師となった兄の存在であったり、
また自分が過ごしてきた寂しい少年時代であったり、のおかげなんですね。
ここで、りんさんからの素敵アドバイス。
「お兄さんに、“今、自分が、こんなに家族を大切に思えるのは、
兄貴のお陰。ありがとう。”って言ってみて。
感謝の気持ちを向けた瞬間に、魂は、すぅ~っと上がっていけるものなんです。
きっと、照れながら、上にあがって行かれますよ。」
ほっほぉ~、なるほど。
赦しの気持ちを向けるだけでなく、感謝の気持ちを向ける、かぁ~。
それは、最高の先祖供養ですね。
毎朝、仏壇にお茶を供え、手を合わせていますが
翌朝からは念仏の前に、「ありがとう。」を3回繰り返すようにしました。
照れとるかぁ~?
と、まぁ兄貴のこともクリアした訳なのですが
実はまだ関連して、怒りを向ける先が一つ残っていたのです。
それは、兄が亡くなった背景に関連するもの。
私達家族が、現在の家に引っ越してきた当初の頃。
今みたいに、スピリっちゃう的な知識も関心も皆無の頃です。
この家、中途半端に田舎のお陰で敷地は、やたら広くって
部屋数も多い。そして築年数が35年位。
自分の家ながら、帰ってきたのは約30年ぶり。
奥さんと息子に至っては、盆と正月に日帰りで帰省した程度の
馴染み無い家です。
また、間取りも良く無くって、家の半分は日中と言えども
暗~いんですよ。
そりゃ、ちょっと怖い気持ち、有って然りですよね。
只でさえ、そんななのに、
奥さんが二階に居るとき、誰もいないはずの階下で
子供が走り回るような足音が聞こえたり、
階段を上がってくる気配があったり。
また、仏間の前の縁側のガラス戸を、誰かが叩く音がしたり・・・
怖いっちゅうねん。
当時は、そういった霊的な事象について相談できる先もなく、
辿り着いたのが、私の叔母が20年近くお付き合いしている
霊能者のおばあさん。
この方とは、私も何度か面識が有り、
昔、祖母と住んでいた家で、
目の前でイタコさんのように我が家のご先祖の霊を口寄せし、
およそ、この人が知っているはず無いであろう我が家に関する
昔のことを喋りだしたときには、「すげぇ~。」と驚いたものでした。
その方に、家まで来て頂き(私の叔母&姉も同席)
家の中を見て貰った訳なのですが、
どうやら兄貴の霊が成仏できずに家の中を彷徨っていると。
くどいようですが、当時は何の知識もなかった私達夫婦ですから
「おぉ~、そうなんや~。」と、早速、霊が成仏出来る様に
あれやこれやとして頂きました。
一段落付いた後で、兄の霊を呼び出してあげようと仰る。
私は、まだ兄を赦していないときでしたから、聞きたくないと部屋に残り、
叔母と姉が別室へ行き、兄と話しました。
そこで兄は、父や母に、申し訳ないと泣いて謝っていたと。
そして、死んでしまった無念と、その時の状況を話し始めたのです。
別室から戻ってきた姉と叔母は、涙で顔をくしゃくしゃにしていました。
余りにも無念すぎる、兄の死の背景。
無き兄が語った、その内容とは、
お詫びと訂正。
冒頭、今回は一気に書ききる旨、申しておりましたが
作者急病(眠い)のため、今回はここまでとさせて頂きます。
長文、最後までお読み下さり誠に有り難うございました。
次回にご期待下さいますよう、お願い申し上げます。
せっ、せっ、セッション!!
前回、「えっ、ええぇ~~~!!どうなん~!?」みたいな終わらせ方をして、
思いっきり引っ張ったお陰で、今回はめっちゃ書きにくい。
驚愕の事実って・・・・。
お・お・げ・さ
にも、程がある。
まぁでも、せっかくなので、その辺りも絡めて、
前回の続き、“お気楽ことらの、りんさん’sセッション体験記~旅情編”を
書き進めて参りたいと思います。
当日は、抜けるような青空。
飛行機雲があっちに、こっちに、そっちにも、と
買い物に出掛けた出先で、夫婦揃って口を半開きにしながら、
ずっと空を見上げてしまうような、絶好のセッション日和。
いよいよ、時間になる訳なんですが、考えてみれば
2時間ずっと電話で話するなんて、自分にとっては
とんでもない話で、普段は割と無口、
『ガラスの十代』ならぬ『寡黙な40代』ですので
どうしましょ?な訳ですね。
♪言わないで~言わないで~さよならは間違い~だよ~♪
(実際に大変だったのは、私ではなく、りんさんなのですが)
で、みょ~に緊張してしまったのか、
中途半端なテンションになってしまったまま、
セッションに突入してしまったのでした。
対する、りんさんは素敵テンション、花粉で喉が辛いのに関わらず
こちらの緊張を解きほぐしぃ~の、笑いとりぃ~ので、
ゆるやか~に自然にカウンセリングモードに入っていくのですね。
私がカウンセリングメールに書いた内容について、
細やかな質問を積み重ね、気付きに導いて下さる。
おかげで、すっかりクリア!
トラウマも何もかも全~部、手放しちゃいました~!!
ヒャッホ~!!!
めでたしめでたし。
おしまい。
・・・・・・・って、ぉおおいっ!!
簡潔にも、程があるっちゅうねん。
「あれだけ気を持たせた、普通じゃあない少年時代はどこ行ったの!」
という非難の声が、まるで隣から聞こえてくるような気がしますので、
では、もう暫く、お付き合いを願います・・・。
(めっちゃ、長くなると思う)
まぁ、細々と書いても、きっと読んでいて、だれると思うので
要点を絞って書きますね。
私には“家族団欒”という記憶や思い出といったものが、
あまり無いのですよ。 ←カミングアウト。
夜に車を走らせている時など、
通り沿いの家の窓から漏れる灯りなどを見ると、
「あぁ、あの灯りの中には、きっと家族団欒の暖かさが、あるんやろな~」
などと、勝手に想像してしまう好青年だったわけです。
それが、“何故”なのかは、特に自覚もせず、
追求もしなかったんですが。
私は三人兄弟の末っ子でして、6歳上の姉と4歳上の兄が居りました。
それに父と母、二軒隣に、祖母の家。
そんな家族構成な訳ですが、
多分、私が中学1~2年の頃だったと思います。
母が、パートで働きに出るようになり、
私は“鍵っ子”という、当時の流行語大賞に選ばれるかの如く
流行の最先端に立ってしまったわけで御座います。
学校が終わって、家に帰っても誰もいないので、
仕方なく二軒隣の祖母の家で、
母が帰宅するまで過ごす毎日が続きました。
で、ある日、母は帰ってこなくなりました。
2~3週間位、かな?。
今で言う“不倫 De ウ・ワ・キ”ですね。
まぁ、結局、どういう経緯かは解りませんが
母は、また家に帰ってくるようになったんですけど
夫婦仲は、冷え込むじゃ無いですか。
増えましたね、夫婦喧嘩。
母を二階から、階段を突き落としたりして。
兄貴も、そりゃぁ、ぐれますよ。
まぁ、悪い友達に引っ張られてっていうのもあったんでしょうが、
中学時代、バイクの無免許運転に始まり、色々と悪さをしたみたいで、
高校も、“ドロップアウト”の“アウトサイダー”です。
私が高校に進学するタイミングで、祖母が奈良市内に引っ越すことになり
高校も近くなるので、自分もそこに居候(姉も一緒に)。
母は兄と一緒に、家を出てアパート暮らしを始め、
田舎の大きな家に、父は独りぼっちになっちゃいました。
立派に、ぐれた兄の姿を見ていた私は、そんな兄を反面教師として
「自分は、真面目に。ちゃんとしないと。」
「道を踏み外すことは、したらダメダメ。」
と、無意識に自分に言い聞かせていたみたいです。
私が二十歳を過ぎた頃、祖母は“くも膜下出血”が原因で他界し、
それから暫くして、私は母&兄のアパートで一緒に暮らすことになりました。
大人になった兄は、相変わらず絶好調で、
仕事も一所に落ち着くこともなく、
外泊することもしょっちゅうで(これは、まぁ大人やし、ねぇ)
外泊した翌日は、勤め先を無断欠勤するといった暴挙を繰り返す始末。
そりゃあ、クビにもなるでしょう。
仕事がない間は、昼間から家で酒浸り。
夜は大声で暴れるし、もう、いやいや。
私が結婚して、その家を出てからも
同じような状態が続いたようで
母も大分苦労したようです。
高齢のため、年金生活に入った母。
年金って言っても、僅かな金額です。
少しでも生活費を、と内職をしていたみたいです。
細かなモノを一つ作って1銭、みたいな仕事ですよ。
老眼鏡を掛け、肩こりに辛い思いをしながらも
コツコツと作り続けます。
兄は、家に生活費は入れません。
仕事に就いていても、入れなかったようです。
それどころか、サラリーなローンまで何件も作ってたみたい。
そして勝手に近所の酒屋に、自分の飲む酒を注文し
その支払いは母に廻す始末。
サラリーなローンの返済に困った時には
実家に乗り込み、父に金をせびった事も数知れず、
だったらしい。
私は、兄が大っっっ嫌いでした。
だって、こんなですもん。
一緒に住んでいる頃から、会話もしなくなり
(喋ったら、腹立つし。あ、でも、あまりに酷いときには
怒鳴りつけたことも有ったような・・・)
私の結婚式にも、兄は出席しませんでした。
ですので、ウチの奥さん、
実は私の兄に会ったことが無いのです。(えぇ~、びっくり!)
結婚前に、ウチに電話を掛けて来たときに一度だけ、
たまたま電話口に出た声を聞いたくらい、らしい。
彼女にとっては、ウワサでしか知らない兄弟。
伝説の兄・・・
生活に困窮し、精神的に追いつめられた母は
6年位前に、脳溢血で倒れ、手術するも後遺症が残り
言語障害&半身不随の車椅子。
2年前に他界するまで、ずっと病院と施設暮らしでした。
兄はと言うと、母が倒れてから暫くは更正したかのようにも見えたのですが
やはり、ダメでした。
仕事には就いていたみたいですが、母の見舞いにも来なくなり
4年前の、ある夜、酒に酔って住んでいる団地の階段を踏み外して
頭部打撲、脳挫傷で、帰らぬ人となったのでした。
と、まぁ、読んでいて、あまり楽しくないと思いますが
ざっとこんな感じなのですね。(書いてて、疲れた)
「う~ん、まぁ、特に普通じゃあ無い、とも思わないんですけどね~。」と、私。
実際、世の中、色々な生き方、波瀾万丈な人生を経験されている人が多いと思うし
こんなもの、序の口でしょう!感覚ではあったのですが、
「いえいえ、それって世間一般から見れば、十分、普通じゃ無いですよ。」と、りんさん。
「あっ、そうなんですか~。」みたいな
すっとぼけた、受け答えをしてしまった様な気がします。
さぁ、そんな私の過去に傷ついた心を、
いよいよ、りんさんは癒し始めて下さいました。
すっ、すみません!
今回は、本っ当~に長くなったので(眠いし)
またまた次に、とぅー・びぃー・こんてぃにゅぅ。
思いっきり引っ張ったお陰で、今回はめっちゃ書きにくい。
驚愕の事実って・・・・。
お・お・げ・さ
にも、程がある。まぁでも、せっかくなので、その辺りも絡めて、
前回の続き、“お気楽ことらの、りんさん’sセッション体験記~旅情編”を
書き進めて参りたいと思います。
当日は、抜けるような青空。
飛行機雲があっちに、こっちに、そっちにも、と
買い物に出掛けた出先で、夫婦揃って口を半開きにしながら、
ずっと空を見上げてしまうような、絶好のセッション日和。
いよいよ、時間になる訳なんですが、考えてみれば
2時間ずっと電話で話するなんて、自分にとっては
とんでもない話で、普段は割と無口、
『ガラスの十代』ならぬ『寡黙な40代』ですので
どうしましょ?な訳ですね。
♪言わないで~言わないで~さよならは間違い~だよ~♪
(実際に大変だったのは、私ではなく、りんさんなのですが)
で、みょ~に緊張してしまったのか、
中途半端なテンションになってしまったまま、
セッションに突入してしまったのでした。
対する、りんさんは素敵テンション、花粉で喉が辛いのに関わらず
こちらの緊張を解きほぐしぃ~の、笑いとりぃ~ので、
ゆるやか~に自然にカウンセリングモードに入っていくのですね。
私がカウンセリングメールに書いた内容について、
細やかな質問を積み重ね、気付きに導いて下さる。
おかげで、すっかりクリア!
トラウマも何もかも全~部、手放しちゃいました~!!
ヒャッホ~!!!
めでたしめでたし。
おしまい。
・・・・・・・って、ぉおおいっ!!
簡潔にも、程があるっちゅうねん。
「あれだけ気を持たせた、普通じゃあない少年時代はどこ行ったの!」
という非難の声が、まるで隣から聞こえてくるような気がしますので、
では、もう暫く、お付き合いを願います・・・。
(めっちゃ、長くなると思う)
まぁ、細々と書いても、きっと読んでいて、だれると思うので
要点を絞って書きますね。
私には“家族団欒”という記憶や思い出といったものが、
あまり無いのですよ。 ←カミングアウト。
夜に車を走らせている時など、
通り沿いの家の窓から漏れる灯りなどを見ると、
「あぁ、あの灯りの中には、きっと家族団欒の暖かさが、あるんやろな~」
などと、勝手に想像してしまう好青年だったわけです。
それが、“何故”なのかは、特に自覚もせず、
追求もしなかったんですが。
私は三人兄弟の末っ子でして、6歳上の姉と4歳上の兄が居りました。
それに父と母、二軒隣に、祖母の家。
そんな家族構成な訳ですが、
多分、私が中学1~2年の頃だったと思います。
母が、パートで働きに出るようになり、
私は“鍵っ子”という、当時の流行語大賞に選ばれるかの如く
流行の最先端に立ってしまったわけで御座います。
学校が終わって、家に帰っても誰もいないので、
仕方なく二軒隣の祖母の家で、
母が帰宅するまで過ごす毎日が続きました。
で、ある日、母は帰ってこなくなりました。
2~3週間位、かな?。
今で言う“不倫 De ウ・ワ・キ”ですね。
まぁ、結局、どういう経緯かは解りませんが
母は、また家に帰ってくるようになったんですけど
夫婦仲は、冷え込むじゃ無いですか。
増えましたね、夫婦喧嘩。
母を二階から、階段を突き落としたりして。
兄貴も、そりゃぁ、ぐれますよ。
まぁ、悪い友達に引っ張られてっていうのもあったんでしょうが、
中学時代、バイクの無免許運転に始まり、色々と悪さをしたみたいで、
高校も、“ドロップアウト”の“アウトサイダー”です。
私が高校に進学するタイミングで、祖母が奈良市内に引っ越すことになり
高校も近くなるので、自分もそこに居候(姉も一緒に)。
母は兄と一緒に、家を出てアパート暮らしを始め、
田舎の大きな家に、父は独りぼっちになっちゃいました。
立派に、ぐれた兄の姿を見ていた私は、そんな兄を反面教師として
「自分は、真面目に。ちゃんとしないと。」
「道を踏み外すことは、したらダメダメ。」
と、無意識に自分に言い聞かせていたみたいです。
私が二十歳を過ぎた頃、祖母は“くも膜下出血”が原因で他界し、
それから暫くして、私は母&兄のアパートで一緒に暮らすことになりました。
大人になった兄は、相変わらず絶好調で、
仕事も一所に落ち着くこともなく、
外泊することもしょっちゅうで(これは、まぁ大人やし、ねぇ)
外泊した翌日は、勤め先を無断欠勤するといった暴挙を繰り返す始末。
そりゃあ、クビにもなるでしょう。
仕事がない間は、昼間から家で酒浸り。
夜は大声で暴れるし、もう、いやいや。
私が結婚して、その家を出てからも
同じような状態が続いたようで
母も大分苦労したようです。
高齢のため、年金生活に入った母。
年金って言っても、僅かな金額です。
少しでも生活費を、と内職をしていたみたいです。
細かなモノを一つ作って1銭、みたいな仕事ですよ。
老眼鏡を掛け、肩こりに辛い思いをしながらも
コツコツと作り続けます。
兄は、家に生活費は入れません。
仕事に就いていても、入れなかったようです。
それどころか、サラリーなローンまで何件も作ってたみたい。
そして勝手に近所の酒屋に、自分の飲む酒を注文し
その支払いは母に廻す始末。
サラリーなローンの返済に困った時には
実家に乗り込み、父に金をせびった事も数知れず、
だったらしい。
私は、兄が大っっっ嫌いでした。
だって、こんなですもん。
一緒に住んでいる頃から、会話もしなくなり
(喋ったら、腹立つし。あ、でも、あまりに酷いときには
怒鳴りつけたことも有ったような・・・)
私の結婚式にも、兄は出席しませんでした。
ですので、ウチの奥さん、
実は私の兄に会ったことが無いのです。(えぇ~、びっくり!)
結婚前に、ウチに電話を掛けて来たときに一度だけ、
たまたま電話口に出た声を聞いたくらい、らしい。
彼女にとっては、ウワサでしか知らない兄弟。
伝説の兄・・・
生活に困窮し、精神的に追いつめられた母は
6年位前に、脳溢血で倒れ、手術するも後遺症が残り
言語障害&半身不随の車椅子。
2年前に他界するまで、ずっと病院と施設暮らしでした。
兄はと言うと、母が倒れてから暫くは更正したかのようにも見えたのですが
やはり、ダメでした。
仕事には就いていたみたいですが、母の見舞いにも来なくなり
4年前の、ある夜、酒に酔って住んでいる団地の階段を踏み外して
頭部打撲、脳挫傷で、帰らぬ人となったのでした。
と、まぁ、読んでいて、あまり楽しくないと思いますが
ざっとこんな感じなのですね。(書いてて、疲れた)
「う~ん、まぁ、特に普通じゃあ無い、とも思わないんですけどね~。」と、私。
実際、世の中、色々な生き方、波瀾万丈な人生を経験されている人が多いと思うし
こんなもの、序の口でしょう!感覚ではあったのですが、
「いえいえ、それって世間一般から見れば、十分、普通じゃ無いですよ。」と、りんさん。
「あっ、そうなんですか~。」みたいな
すっとぼけた、受け答えをしてしまった様な気がします。
さぁ、そんな私の過去に傷ついた心を、
いよいよ、りんさんは癒し始めて下さいました。
すっ、すみません!
今回は、本っ当~に長くなったので(眠いし)
またまた次に、とぅー・びぃー・こんてぃにゅぅ。
