お友達のセラピスト山本尚美さんに(HP 月の柱 )
ヒーリング(セラピー)モニターを受けさせてもらってます。昨年7月から月1回継続的に施術してもらってます。
今学んでる 山本美穂子さん の講座や現実に起こってくる出来事、ともリンクしあいながら、
回を増すごとに、わたしは、
深く、やわらかな、繊細な、涙がでてくるような、気持ちのよい場所へと、
導いてもらう。
その道のりには、とても傷みの伴う瞬間もあるけれど、
受け取ったものに、あぁ、これが欲しかったの!とわたしの内側が叫ぶ。
そのプロセスを共に並走し、時に一歩前を歩き導いてくれたり、横にいて励ましてくれたり、後ろから押してもらったり、その時必要に応じて合わせてくれるその存在がありがたい。
委ねられる信頼を持つ自分が嬉しい。
昨日のヒーリングでは、
わたしがずーーーーっと溜め込んできた不要なエネルギーを放出してもらった。
「放出」という言葉がぴったりだと、選択した自分に感心するくらい、
それは、足裏からどどどどーーーーーっと、すっっごい勢いで流れ出ていった。
び、び、び、びっくり!!!
エネルギーなんて感じられない~解らない~
っと言い続けてきたわたしだが、これは判別できた!認知できた!!
ベッドに寝てたけど、ぐらぐら、ゆらゆら、してきて、これにもまたびっくり!
(もう、これからはエネルギーは解らない、は言わないようにしよう。だって、判るもん。)
そして、肘から先の皮膚がかゆくなり、手のひらからももわもわもわ~~っと、
何かがでてた。こちらは、蒸発?してる感じ。
一気に出し終わった足とは違って、ゆるゆると、長い時間続いていた。
おや、わたし、その違いも判ってるんじゃん。(^_^)v
そして、あぁ、、どれだけ溜め込んできたんだ!!!わたし。 自分の許容量にびっくり。
ちょっとお願いしたら、こんなに簡単に流せるものだったの?
だけど、これまでにそれが起こらなかったのは、わたしがそのエネルギーにまだ気づいてなかったから、だろう。
どこまでも、どこまでも、主導権はわたしにあり、プロセスは優しい。
今朝起きたら、むちゃくちゃ身体が重い。
あぁ、わたしってなんて重いんだ!!!(くすっと笑える)
そして、背中上部がかゆい。
かゆい、かゆい、と思いながら、そういうときの不要なエネルギーの出し方を教えてもらったから、
やってみよう~として、止める。
だって、これが皮膚の感触なんだもん。もうちょっと味わってからじゃないともったいない。笑
ずっと、皮膚がなかった。
正確には、皮膚はある。
けど、皮膚による身体の外と内の境界線(バウンダリー)が認識できてなかった。
皮膚がぴりぴりする感覚は、新鮮でちょっと楽しい。笑
皮膚が主張する声を十分に聴いて、これまでごめんね、とありがとう、を伝えよう。
皮膚は、いつもいつもどんなときにも、無条件にわたしを守ってくれていたんだな。
そして、
昨日ナオちゃんと話していて気づいた衝撃の事実。
父の身体が丈夫!だったらしいってこと。
そして、その丈夫さを、どうやらわたしは受け継いでるのかな?という理解。父から受け継いだものだったのか?
ナオちゃんに、
「お父さんに逞しさを感じるよ。」
っと言われて。
えーー?という受け入れがたさの中に、ちょっぴりはにかむような嬉しさを発見。照れるーーー笑
あぁ、やっぱりわたしは父のことが好きだったし、
実はかっこいい(顔が)と思ってたことを、思い出す。運動会で一等で走る姿が誇らしかったことを思い出す。(いや、ほんとは思い出してたけど封印してた。笑)
アル中で働かない父だった。暴れることはあっても、それは逞しさとは無縁だった。
最後は寝たきりで丈夫さとも無縁だった。自堕落でやっかいものだった。
外の世界との接点、社会性などなかった。
(そう、思ってた。)
なんだー、これも幻想だったのか?わたし視点の思い込みだったのか?
いや、父の事実は事実として確かにある。
けど、そこだけがストーリーをまといクローズアップされることで、他のところが見えなくなるのが問題なんだな…
別のところから新しい視点が入ると、また違う目で見ることができるようになる。
あぁ、これが人に尋ねてごらん。相談してごらん。
ってことなのか。ものすごく納得。
相手の抱える問題を、相手と共にいて、一緒にひも解いていこう、と寄り添ってくれる。
アドバイスではなく、時に新しい視点をくれる。新しい体験をくれる。体感をくれる。気づきをくれる。それは、自分の癒しに繋がる。
やっぱり、セラピーっていいな。ヒーリングっていいな。
ヒーリング(セラピー)モニターを受けさせてもらってます。昨年7月から月1回継続的に施術してもらってます。
今学んでる 山本美穂子さん の講座や現実に起こってくる出来事、ともリンクしあいながら、
回を増すごとに、わたしは、
深く、やわらかな、繊細な、涙がでてくるような、気持ちのよい場所へと、
導いてもらう。
その道のりには、とても傷みの伴う瞬間もあるけれど、
受け取ったものに、あぁ、これが欲しかったの!とわたしの内側が叫ぶ。
そのプロセスを共に並走し、時に一歩前を歩き導いてくれたり、横にいて励ましてくれたり、後ろから押してもらったり、その時必要に応じて合わせてくれるその存在がありがたい。
委ねられる信頼を持つ自分が嬉しい。
昨日のヒーリングでは、
わたしがずーーーーっと溜め込んできた不要なエネルギーを放出してもらった。
「放出」という言葉がぴったりだと、選択した自分に感心するくらい、
それは、足裏からどどどどーーーーーっと、すっっごい勢いで流れ出ていった。
び、び、び、びっくり!!!
エネルギーなんて感じられない~解らない~
っと言い続けてきたわたしだが、これは判別できた!認知できた!!
ベッドに寝てたけど、ぐらぐら、ゆらゆら、してきて、これにもまたびっくり!
(もう、これからはエネルギーは解らない、は言わないようにしよう。だって、判るもん。)
そして、肘から先の皮膚がかゆくなり、手のひらからももわもわもわ~~っと、
何かがでてた。こちらは、蒸発?してる感じ。
一気に出し終わった足とは違って、ゆるゆると、長い時間続いていた。
おや、わたし、その違いも判ってるんじゃん。(^_^)v
そして、あぁ、、どれだけ溜め込んできたんだ!!!わたし。 自分の許容量にびっくり。
ちょっとお願いしたら、こんなに簡単に流せるものだったの?
だけど、これまでにそれが起こらなかったのは、わたしがそのエネルギーにまだ気づいてなかったから、だろう。
どこまでも、どこまでも、主導権はわたしにあり、プロセスは優しい。
今朝起きたら、むちゃくちゃ身体が重い。
あぁ、わたしってなんて重いんだ!!!(くすっと笑える)
そして、背中上部がかゆい。
かゆい、かゆい、と思いながら、そういうときの不要なエネルギーの出し方を教えてもらったから、
やってみよう~として、止める。
だって、これが皮膚の感触なんだもん。もうちょっと味わってからじゃないともったいない。笑
ずっと、皮膚がなかった。
正確には、皮膚はある。
けど、皮膚による身体の外と内の境界線(バウンダリー)が認識できてなかった。
皮膚がぴりぴりする感覚は、新鮮でちょっと楽しい。笑
皮膚が主張する声を十分に聴いて、これまでごめんね、とありがとう、を伝えよう。
皮膚は、いつもいつもどんなときにも、無条件にわたしを守ってくれていたんだな。
そして、
昨日ナオちゃんと話していて気づいた衝撃の事実。
父の身体が丈夫!だったらしいってこと。
そして、その丈夫さを、どうやらわたしは受け継いでるのかな?という理解。父から受け継いだものだったのか?
ナオちゃんに、
「お父さんに逞しさを感じるよ。」
っと言われて。
えーー?という受け入れがたさの中に、ちょっぴりはにかむような嬉しさを発見。照れるーーー笑
あぁ、やっぱりわたしは父のことが好きだったし、
実はかっこいい(顔が)と思ってたことを、思い出す。運動会で一等で走る姿が誇らしかったことを思い出す。(いや、ほんとは思い出してたけど封印してた。笑)
アル中で働かない父だった。暴れることはあっても、それは逞しさとは無縁だった。
最後は寝たきりで丈夫さとも無縁だった。自堕落でやっかいものだった。
外の世界との接点、社会性などなかった。
(そう、思ってた。)
なんだー、これも幻想だったのか?わたし視点の思い込みだったのか?
いや、父の事実は事実として確かにある。
けど、そこだけがストーリーをまといクローズアップされることで、他のところが見えなくなるのが問題なんだな…
別のところから新しい視点が入ると、また違う目で見ることができるようになる。
あぁ、これが人に尋ねてごらん。相談してごらん。
ってことなのか。ものすごく納得。
相手の抱える問題を、相手と共にいて、一緒にひも解いていこう、と寄り添ってくれる。
アドバイスではなく、時に新しい視点をくれる。新しい体験をくれる。体感をくれる。気づきをくれる。それは、自分の癒しに繋がる。
やっぱり、セラピーっていいな。ヒーリングっていいな。