20日のレースの結果 2時間4分53秒。悪天候とはいえ残念な結果でした。
敗因は・・・練習不足による筋力の低下とレースに対する執念の欠如。
これにつきます。
マラソンを始めた頃は、米田先生に認められたくて・自分の可能性を知りたくてひたすら走ってた。
3月、自分的には予想以上のタイムを出して少々ドヤ顔になってた。
実力以上の偶然であるのに、まるで走れる人になったかのような錯覚。
フルマラソンも6回を走るといっぱしのランナーになった気がして、ハーフを甘く見てた。

人間そこだよね。

なんでも・・・

ある程度に達したら偉そうになる。

そしてそこから落ちていくケースは多い。

思い起こせば
私は運動神経のない子供だった。
幼稚園の時の運動会の写真はいつもビリ。
中学の時バレーボール部に入ったけど、身長は伸びないし相変わらず鈍臭い。
それでもアタッカーになりたくて、毎晩家の廊下で鴨居をネットに見立てて、ブロックの練習してた。一日に500回も飛んだせいで、床がへこんでしまい障子が外れ易くなって母に叱られたっけ。でもその甲斐あって現役中はずっとアタッカーでいられたっけ。
3年生になってあれだけ愛したバレーボールから去る日
母が弁当を渡しながら言った。

「あんたは努力の人だね。」って・・・・

その時のあの母の一言が、その後の私の人生でどれほど励みになってきたか・・・

それなのに最近調子に乗って努力を怠っていた自分。
振り返ってもう一度初心に戻ろう。

私は「努力の人」だ。

走る才能がある訳でもなし、
優れた筋肉がある訳でもなし、

人の何倍も練習して、
日々怠らずに筋肉を保持して、
そして
どんなに辛くても目標を諦めない気持ちを持つ。

その原点に立ち返ったら
今朝は、言い訳なしに早起きして
速いスピードで10キロ走れた。

マラソンは
「努力すること」を
私に思い出させてくれる最大の人生のコーチだ。

明日も母の言葉をお守りに、目標に向かって走っていこう。
不思議な夢の話です。

10月10日に離婚しました。

その日の夜見た夢

とある飲み会で3年前に亡くなった父が飲んでいました。
もう既にへべれけになっていたので私が父をおぶって帰ることにしました。
元夫はタクシーを呼んでくると言ってその場を離れました。

私は父を背負って歩いて行きました。
背中の父は、案外軽いなと思ったり、バランスを崩して背中から落ちそうになったり・・・
しばらく歩いていると私は父を背負ったまま
オレンジ色の砂丘の上に立っていました。

荒涼とした風景ではあるけれども、砂丘の砂の層は紫からオレンジのグラデーションの美しいマーブルカラー、太陽の光がそのオレンジ色の砂粒にあたってキラキラと輝いていました。
そこへ元夫がやってきて、タクシーが来たから俺が代わると言って
私の背中の父を自分の背中に乗せ変えました。
その時の開放感と言ったら今でもはっきりと思い出せる程です。
ふと、振り返って元夫の背中を見ると、

あっという間に 父は消えて行きました。

私はそこで目覚めました。
今まで見た夢の中で、最も印象深く、美しく、そして悲しい夢でした。

色彩心理学で言うと下記のようです。
《こういうオレンジ色や暖色系の色を見た時には、今まで悩んでいた事などが解決する兆しが見えてきたという意味もあるようです。心配していた事が解決に向かっているのでその後はパワーがみなぎってくるかもしれません。
オレンジ色の印象の強い夢を見た時には精神的に満たされる要素があるので人間関係が改善する事もあるようです。今まで何もできなかったり停滞していたりした事がうまく流れるという意味を持っているわけですね。
なのでこれまで何もする気になれなかったという人でも何か新しい事にチャレンジするには良い時期が来ているという意味を持っているのかもしれません》

私にとっての離婚は夫と夫婦関係を解消するというだけでなく、生まれ育ったこの地と完全に決別することでもあります。
婿養子として入った元夫は協議において墓は自分が守ると宣言しました。
本来なら私が血族の墓ですが、私が自ら出ることを希望したためです。
それにより、ある意味、長きに渡り縛られてきた先祖代々のしがらみから完全に解放されたことにもなりました。

夫と別れるというより、私にとってはむしろこちらの方が重いことだったのかもしれません。

オレンジ色の砂丘は、そんな私の潜在意識が夢に現れたように思います。

そして、この明るい色合いと広大な風景は、新しい人生の幕開けだと解釈していいようですね。

人生後半での離婚。
これからの残り少ない日々を、最後まで鮮やかに生ききっていこう・・・

そんな出発点がこのオレンジ色の砂丘の頂点であるような気がします。
今朝はどういうわけだろう
目覚めた途端、
なぜかエリッククラプトンの【Tears in Heaven】が聴きたくなり、
早朝からituneでダウンロードした。

この曲を初めて聴いた頃は「悲しい歌だな」くらいの感想だったけど
先週末、高尾山中へトレッキングに行った時に出会った事件を思い出したから。。。?

そうあの時は連休で高尾山はいつになく大勢の観光客でごった返しだった。
私達はそんな頂上付近を抜け、人気のない南高雄へ向かった。
しばらく広い林道を進んで、いよいよ山の中に入ろうという時
何が起こったのか、林道にはパトカーやら救急車やらがいて

一瞬、誰かが崖から転落?と思った。

でも、なぜか警官達は慌てている様子でもなく
むしろ不気味なくらい静かで落胆したような表情に見えた。
不審に思いながらも私達は林道をそれ、細い山道を走り始めた。
前方を歩いているハイカーを追い越すため一旦足を止め
「すみません」と声をかけた私達に振り向いた二人のハイカーは

「あ、あんた達も見た?」といきなり問いかけてきた。

「何をですか?」

「ぶらさがってたでしょ」

「え、何が?」

「あそこの鉄塔に・・・人・・・」

「え?」

「向こう向いて・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

ショックで、
走って息も上がっていたので
一瞬吐き気がした。

私は気付かなかったが
その光景が頭に浮かんだ。
あそこは遠く新宿のビル群も見渡せる絶景の場所。
しかも
ちょっと手前までは観光客がごった返しの高尾山頂上。
その人は
どんな風景を最後に見たのだろうか・・・
そしてなぜここで・・・
再び走りながらそんなことが頭から離れなかった。

人が命を絶つ時って
ものすごいエネルギーを使うんだろうな
そんな負のエネルギーが背後から私を襲ってくるような
恐ろしい感覚に包まれて 逃げるように突っ走った。

あの恐ろしい感覚は次の日もその次の日も私の中にあって
あの時から人が死ぬ時のことを考えてしまっていた。

そして今朝
外は雨
昨日からの天気予報で雨とはわかっていたので
今朝はいつものトレーニングは休んでベッドでゆっくり過ごそうと思っていたから
私は静かに目覚めた。
雨の音のに混じって
頭の中で【Tears in Heaven】が流れ始めた。
そういえばじっくりとこの歌の意味を考えたことはなかった。
和訳を検索し
ダウンロードしたクラプトンの声にかぶせて読んでいくと
無性に泣けてきた。
朝から涙が止まらない・・・
あの山の風景がまぶたに浮かび
なぜかわからないけど
今まで出会った人でこの世を去った人達や
夏に亡くした愛犬のことや
いろんなことが心の中から溢れ出し

泣きながら何度も聴いた。

そして
ひとりで納得していた

この歌は【死】を祝福する歌なんだって
祝福することで乗り越えて 生きることに向かい合えるんじゃないかって・・・

それはまるでキリスト教の祈りのようで

見ず知らずの人の死を身近に感じたことで
今自分がここで生きていることをこんなにも強く実感するなんて

あの負のエネルギーを気味悪がり、逃げていた自分を恥じた
あの見ず知らずの人が最後に誰かに伝えたかったこと ・・・

今は私の中でポジティブなエネルギーに代わったよ

この歌のおかげで・・・