胆管がん……闘病覚書 -2ページ目

胆管がん……闘病覚書

胆管癌で亡くなった父(84歳)の記録
2016.1.28発覚から9.5永眠まで

平成28年2月1日(月)、父と母、入院道具一式を車に乗せて、10:30頃病院に到着。


自宅から車で30分ぐらいかかるので、遠いと言えば遠い。
(専門医を尋ねて遠くの病院へかかるというような目的があればいいが、そういうこともなく、単に地方の総合病院で遠いとなるととても不便です…)


このA病院は一般病床が88(うち半分は整形外科)、殆どが個室。
病院の受付で、本日入院する事を告げると、手続きが終了後すぐ病室へと案内された。
3階の一番西北奥、ちょっと小さめの所だが、このA病院のアピールポイントは、豪華な建物と設備という点なので、確かに病室はお洒落。

 

などと、きょろきょろしている間もなく、すぐに主治医に呼ばれた。
(ちなみに、この時点で、私たちは入院の期間はまぁ、一週間程度だろうと思っていた。
何で詰まっているのか分からないが、とにかく胆管の詰まりを取ればすぐ退院できるだろう、それには1週間程度だろうと。)

 

メイン主治医は1/28に説明をしてくれたB医師。
私は初対面。父は二度目。
痩せて背の高い、壮年の男性医師。
(他に院長のC医師、医科大学から来ている若手のD医師の名前が、父の主治医としてベッドヘッドに書かれていた。みな、外科(消化器)の医師)


ナースステーションに、父と共に行くと、早速先日のCT画像を眺めながらの説明が始まった。
開口一番、
「胆管が何かで詰まっている。それで閉塞性黄疸になっている。詰まりはがん細胞だろう。かなりの確率で、胆管がんだと思われます」
と宣言された。
……まぁ、胆管がんと宣告される前にCT画像を見ながらいろいろと説明はあったのだが、全く覚えていない。
がんの大きさは約2cm。

 

事前の父の説明と全く違う。
これは、父の言った事は嘘だったのか……!と、驚愕した。
主治医は更にたたみかけるように、


・まず、すぐにENBDをやって、胆管の詰まりを無くし、そこに管を通す。
・しかし、胆管の詰まりが堅くてENBDでの処置が無理だった場合は、次にPTCDを行う。
 ENBDができなかったらすぐにPTCDをやりたい。状態からみて、PTCDをやる確率の方が高い。

 なので、両方の同意書にサインしてください。

 

と言った。
初めて聞く言葉ばかりだが、すぐにやる!という強い調子だし、なんといっても父の黄疸が無くならない限りはどうしようもないらしいので、一体どういうものだか理解できないままにすぐにサインをする事にした。

 

ぽーっとなったまま、病室に戻ってくる。
病室に待機していた母に説明をする。
二人でぽーっとなる。
母は、「がんの確率が高いってだけで、がんだって言われたわけじゃないからね!」と言った。.
父もそうだと頷いていた。
私もそうだよな、ただの良性の腫瘍かも知れないし、などと思った。

 

とりあえず、黄疸が引かないと命に関わるわけで、まずは詰まりを無くす事が先決。
きっと、癌じゃない…!
よしんば、癌だとしても、父はこんなに元気、年寄りだし、進行も遅いはず、だから、あと数年は大丈夫なはず!
そう思っていた。

 

しかしながら、実際にはそれから7ヶ月と4日後には死亡したわけで、そう考えると、がんの恐ろしさが身に沁みます。

 

入院診療計画書。
これを見ると、入院期間が3週間、あるいはそれ以上と書いてあり、ここにもぎょっとしました。
そんなに長いのか…、と。

 

 

 

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