私は、子どもが好き。
それで短大は幼児教育を選んだ。
たまたま入ったサークルがしょうほけん。
ひらがなで書いてあったので初等教育研究会なのかと勝手に思っていたが、実際は障害児保育研究会だった。
特別他のものに入ろうと思っていなかったので、めっちゃ面白い先輩に惹かれて入部。
これが私の発達障害とのお付き合いの始まり。
かれこれ32年前になるだろうか。
土日は障害児施設へのボランティアや療育に参加。
正直全く遊べないどころか、交通費や食事代も自腹での参加に疑問もあった。
親からの少ない仕送りでバイトも禁止されていたから苦しい生活の中でのボランティアだった。
そんな私の意識を変えたのは、自閉症療育集団と言う集まりに進化して二泊三日の親から離した合宿だった。
私の担当は4歳児の男の子。
全く話さず、噛みつきなどの他害がひどかった。
そこでも、サークルでも専門的なことは教えてもらえなかったから、遊ぶことは出来でも、今ほどの知識も力もなく、若さだけしかない療育とは呼べないものだった。
一つ良いことがあるなら、その二泊三日お母さんに時間が出来たことぐらいだろう。
男の子にとっては、お母さんがいない。場所が新しいところ。勝手がわからず不安でしかなかっただろう。
今なら、声のかけ方から、性質から、対応まで分かるけど、あの頃の私は分からなかった。
ただ目の前のこどもと共にいる事しか出来ていなかった。
そんな私に引き渡しの時に、お母さんが可愛いポーチを用意してくれて、たくさんの感謝の言葉をくれた。
泣きながら。
私にとってたった二泊三日の出来事。
お母さんは一生この生活なのだと思うと苦しくなった。
なんとかしてあげたいと思った。
だから今の私がいる。
私はもう経験も知恵も動く手足がある。
だから悩める親子に手を差し伸べ共に歩む事が出来る。
あの日導いてくれた出逢いに感謝。
今は大人になっているあの子は、もう40近く。
お母さんは元気だろうか。
あの子は元気に働いているだろうか。
あの日見た空は青かった。