《Thailandでの妊婦生活の続き》
予定日の1週間前の3月25日から私の母が、タイに来てくれました。
4/1その日は検診でして、朝の検診の時に子宮口3cm『明日生みたいなら今日は安静にして下さい。』と言われて、病院帰りにランチへ行くと、その時に張りがいつもよりあるような、付け根辺りが引っ張られるようなチクリと痛い感じなどの違和感が気になり、なかなか歩けませんでした。
それに気づかずに主人は先々に歩いていく姿を見て、戻ってきた主人にママが激怒した事を覚えています(^_^;)
この時に住んでいたコンドミニアムは敷地が広いものでEVからかなり距離があり、しかも19階。
パーキングから部屋に戻るのも一苦労(^_^;)
帰宅してから、横になりシャワーして…しばらくしてから『お腹が痛い気がするな…でも大丈夫かな。。。』と私の一言で。。。。
母は『時間測りなさい。それは陣痛だから、病院へ連絡しない。ここからパーキングまでも時間がかかるしEVもなかなかこないのだから計算して早めに行かなきゃよ!』
私は『けどね、そんなに痛くないけど…』なんてのん気だったんですが、母の言う通りコレが陣痛の始まりだったのです(^_^;)
仕事中の主人に電話をして、病院へ伝えてもらうと『直ぐにくるように!』との事で、コンドミニアムに迎えに来てもらい、この日2度目の病院へ。。。
(お昼過ぎに帰宅して、夕方に再度病院)
病院に着くと、車椅子を用意されており…( ゚艸゚;)
私は恥ずかしくて、恥ずかしくて。。。。
歩きました。
すると、看護士さんは英語で主人にどうのこうの。。。。。
兎に角座りなさいとの事で…(^_^;)
無理やり座らされて、あちこち運ばれて、通訳の方が来てくれるまで、何をされるのか意味不明状態でされるがままでした(*´艸`*)
この後の記憶がイマイチ曖昧でして、あちこち連れまわされた感じでしたが、今から思うと、出産準備の為に色々と検査したり点滴や採血がありそのために車椅子に乗るように言われたのでしょう。
一通り落ちつくと、お手洗いに行くように言われて、看護士さんに術着が着替えさせてくれて、横になるように言われてからは、手術室のようなお部屋に移動。
お腹の周りに張りや陣痛が分かる機械みたいな物や、点滴などの出産準備。
喉が渇いたと言うと、水分は一切取ってはいけないと言われ…(ll゚Д゚ノ)ノ
既に喉がカラカラでしたが、兎に角耐えました^_^;
(自然分娩希望でしたが、この時点では、帝王切開になる可能性があったようで、水分は禁止だったそうです
(ll゚Д゚ノ)ノ)
何は元あれこの後は待機。
ここのベッドからは、産後まで起き上がる事はありませんでした(*´∀`*)
手術室に入ると、しばらくして主人とママが側に来てくれました♪
この時点では、お腹が張っている程度でドラマのような『あ~っ!ゔ~ゔっ!』と、なる陣痛はなく、張っている程度。
この時点で、子宮口は5cmでした。
主人は一旦戻りビデオを持参してまた直ぐに戻ってきてくれました。
その間、ママと二人で色んな話をしました。。。
今回、Thailandに来てくれた感謝も心配もまた改めて伝えました。
ママは膠原病や肺の病を持っていたので、飛行機と言うのは、本当に命がけでした。。。きっと、不安で怖かったはずです。
私はまさか、こちらに来るとは思ってませんでした。
フライトの数日前に来る話を聞き…私はあり得ないくらいビックリしました。
勿論、反対しました。
命の危険がある為、ママの病院(京大)と書類のやり取りも大変だったそうです。
そんな思いまでして、こちらに来る事を選択したママの気持ちは…
『今ならまだ行ける。今後は、タイにいる限りあなたにも赤ちゃんにも会えないだろう…会える時に会っておきたいと、思ったの。』
だったそうです。。。
ママは酸素が必要な人でしたから、Thailandの病院でママが到着する前に準備はしてもらっていました。
ママが到着して一週間。ゆっくりお腹の赤ちゃんとも過ごして、残り一週間の所で陣痛。。。
しかも、出産予定日ぴったりの2006年4月1日の陣痛でした(*´艸`*)
息子くんは、お腹にいる時からタイミングが良い子でした❤️
色んな話をしてママとの時間をすごし少しづつ陣痛の間隔が短くなりました。
その後、夜勤明けで帰宅していた担当ドクターがバンコクから病院に戻ってきてくれてから(出産はこのドクターでお願いしていました)、本格的な陣痛が来たのは数時間後。
つづく。。。。
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