私が読んでいる、カラーの吉田麻子さんのメルマガで
お盆の頃、
吉田麻子さんがお母様との会話の中で御先祖様のお話になり、
「お盆の時期にこんな話をするなんてかなり御先祖様からのダイレクトメッセージですね。」
…と書かれてありました。
…そっか、普通はそんな話題でホッコリなお盆を過ごすんだなあ、と思いました。
その次の日位に親の夢を見た私。
…いつものようにうなされる夢でした。
その後起床し、私は普通に家事などしていました。
…ふと、両親が私のことを話している所を想像した私。
父「(ヘラヘラ笑いながら)
兄弟親戚の目もあるし面倒見ない訳には行かないから一応声かけないとな。」
母「(どうでもいいような感じで)
そうね。」
…きっと本当に両親はそんな会話をしていると思います。
小さい頃から親にされてきた数々の嫌な事、
親の怠慢により起きた二次的被害、
言われた数々のショックな言葉、
私の生きようとする心の芽を摘んできた親のあらゆる言動を見てきて、
今までは、
「どうしてこんな親が存在するんだろう
(人間界、生物界に子供の生きようとする心の芽を摘む親は普通いないのに)。
言葉にできない位悲しい。
普通は辛いことや悲しいことがあれば
最後は親の存在が精神的支えになる、
親とはそういう存在であるはずなのに、
私にはその、普通無条件に与えられる「愛や安心できる場所」がない。
子供を愛することのできる親に育てられたかった。
普通の親の元に生まれたかった。」
…と悲痛な心の叫び声をあげていました。
いや、今もそう思っているにはちがいないのですが、
さきほどの、
親の会話を想像して、
向こうはその位にしか私の事を思ってないのに、
(私に対して愛はなく私の気持ちなど全く考えてないのに)、
「普通は無条件に与えられる愛が私にはない!」と、
健気にも悲痛な叫び声をあげている事が、
なんだか馬鹿らしくなって来ました。
馬鹿らしくなって少し気持ちが楽になりました。
馬鹿らしいと思う事が、私の病気の根本的解決に近づいていく事なのか、
遠のいていく事なのかは、
今はわからないけど、
希望や願いを諦める事である意味楽に生きてきた子供時代と、
今また同じ感覚のような、
人生初めての「イヤイヤ期」
(2年程前、初めて親を拒否した…
というか拒否してよい事をカウンセラーの方から学んだ
……気持ちの中では子供の頃からあまり親を求めてはいなかったけど、
5歳位の時母親から「親に何か言われたらいつも、はい、といいなさい。」と言われてから、
「はい」しか言えなくなり、
それまでにも増して絶対服従の関係になった)
を過ごして、
子供の頃とはまた違うステージでの、
「前向きな諦め」のような。。
そんな、
今は良くわからない、宙ぶらりんのような感覚なのですが、
またそのうち突然何か「気づき」があるのかな、と思っています。
今は、焦らず慌てず、
ゆっくり次の気づきを待つことにします。
