今回は1999年の有馬記念について回顧したい。この年熱い視線を送っていたのはスペシャルウィー
ク。名手・武豊の悲願を叶えた馬である。この年彼は良い時もあれば悪い時もある浮き沈みのある1年
だった。天皇賞・春で快勝するが宝塚記念でグラスワンダーに惨敗を喫し、夏の調整をしくじって秋初戦
の京都大賞典を生涯唯一の掲示板外しの屈辱を味わう。しかし白井寿昭調教師をはじめとするスタッフ
の献身的な調整もあり天皇賞・秋では見事鮮やかな復活を遂げる。続くジャパンカップでもエルコンドル
パサーの敵討ちと言わんばかりに、凱旋門賞馬モンジューなどの海外強豪馬を見事に完封してその強
さを世界にアピールした。このレースを見た世界の名騎手マイケル・キネーンに「俺なら来年この馬をキ
ングジョージに連れて行きたい」とある雑誌でコメントさせるほど鮮烈なインパクトを残した。そしてこの時
点でシガーを抜いて当時の世界の賞金王に躍り出た(←今はテイエムオペラオー)。初の秋古馬GⅠ3
連勝をかけて有馬記念に挑む。
この有馬記念には年度代表馬の行方も注目されていた。スペシャルウィークが勝てばエルコンドルパサ
ーとの一騎打ちとなるが、グラスワンダーが勝てば事態は混沌としてくる。またこの年国内では1走もし
てないエルコンドルパサーをどう評価するのかという問題もあった。私はスペシャルウィークは負けたと
してもひどい負け方でなければ年度代表馬になると思っていた。エルコンドルパサーの世界での活躍も
確かに素晴らしいモノ。しかし、国内の競馬を盛り上げたのは明らかにスペシャルウィークだろう。この
年1回も国内で走ってないエルコンドルパサーを年度代表馬にするのはどうかと思った。ただし、誤解さ
せるような書き方をしたかもしれないが、私はエルコンドルパサーも好きだし海外での活躍も評価してる
る。「日本の競馬を盛り上げ、なおかつ実績を残した馬」という基準で年度代表馬を選ぶなら私はスペシ
ャルウィークを選ぶ、ということだ。
るカタチでレースを進める。3コーナー過ぎで手応えよくツルマルツヨシが上がるのと同時にグラスも仕
を分けたのはその差「4cm」、あってないような差だった。「競馬に勝って、勝負に負けた」とは武豊の
敗戦の弁。まさにその通りだった。これで年度代表馬争いが混沌とすることになる。
ら知るところだろう。でもエルコンドルパサーを選出したことには、前述の通り異論はない。「この年は
3頭の偉大なチャンピオンが日本にいた」と私は解釈してる。そして、「1頭だけ年度代表馬を選ばなけ
ればならない」状況でスペシャルを選出しなかったのは「JRAが最も重視してるジャパンカップを軽視し
て、1回も国内で走ったことのない馬を選出し、日本の競馬を低く見た」とも解釈してる。
彼の仔からブエナビスタ、シーザリオ、インティライミなどクラシックを沸かせる馬が出現した。今年もブエ
で+12㎏とやや調整不足が否めない感もあり、一方スペシャルもピークに仕上げたジャパンカップから