私はCPMを学んで、本当に良かった。

 

CPMセッションのおかげで、

自分の思考が始まりなんだと

本当に心から理解し、納得することができた。

 

そして、

今はそのベースを元に、

 

起きてきた現実ではなくて、

それを見て、どう感じるかを見るようになった。

 

 

例えば、CPMオンリーだった頃は、

 

母が病気になれば、

 

自分の出したどの思考が原因で母が病気になってしまったのか、と考えた。

 

 

 

母はなくなってしまったんだけど、

その時、私は、母が死んでしまった理由を考えたりはしなかった。

 

 

CPMは、自分の思考が100パーセント叶って、自分の現実ができているよーと

教えてくれただけで、

 

だから自分を責めなさいなんて、全く言ってなかった。

 

 

思考は現実になったらそこで終わり。

なんの力もない。

 

だから、どうしたいのか決めていけばいいんです って言ってた。

本当にその通りだ。

 

 

だから、どうしたい?

本当はどうしたい?

どんなのがいい?

 

 

それだけなんだ。

 

 

それを、自分責めに使ってしまうようになってはもったいない。

私はそれになかなか気がつけなかったけど。

 

 

そのうち、藤本さきこさんの設定変更に出会って、

だんだんと、理解が変化し、深まってきた。

 

 

 

だから、母が病気になった時も、

亡くなってしまった時も、

 

自分を責めることは全くなかった。

 

ただただ、

 

私はいま何を感じているのかに集中していた。

 

 

 

 

 

母は亡くなってしまった。

 

 

すごく悲しくて悔しかった。

 

なんで?

 

母が大好きだった。

母ともっと共に時間を過ごしたかった。

母に美味しいものをもっと食べさせたかった。

母にもっと素敵な生活をさせてあげたかった。

 

母にもっと幸せになって欲しかった。

 

 

母は幸せじゃなかったと思っている私に気がついた。

それは違うことにも気がついた。

 

母は母なりに幸せだったし、

私には母との楽しきて幸せな時間がたくさんあった。

もっと欲しかったけど、その時間はちゃんとあった。

 

その時間を大切に思ってる。

 

母に会えなくて寂しい。

ただそれだけだ。以上。

 

 

そして、自分は本当はどうしたいのか、

どうしていきたいのかに気がつく。

 

私は、ちゃんと「今」にいたい。

 

いま、ここにある幸せや温もりをちゃんと感じる自分でありたい。

 

 

母の時にもちゃんとあった、温もりや幸せな時間。

もっとちゃんと感じ、放っていたかった。

 

本当に叶えたい世界は、そっちだった。

 

私は、もっともっと や 過去や未来 に囚われて、

その時に確かにあった、楽しさや温もりや幸せを、かなり取りこぼしていたんだ。

 

 

もったいなかったな。そう思う。

 

 

だから、決める。

 

 

 

いま、この瞬間、感じたい温もりや幸せや嬉しさや温かさを感じる。

 

いま、確かにここにある、温かい気持ちを感じる。

 

 

 

母が亡くなった事から学んだのは、

出していた思考の後悔でも、どうしてなのか分析することでもなく、

 

もったいなかったな・・・という後悔と、

これからはどうしたいのか、ということ。だった。

 

 

 

起きてきている現実を見て、自分を責めるのはやめよう。

 

そこで何を感じているのか?

なんでそう感じるのか?

本当はどうしたいのか?

 

 

そして、それはきっと、いま、ここに、ちゃんとある。

 

 

それをちゃんと感じていこう。