両親が重めのアレルギー体質で、

私も幼いころから軽いアレルギーとアトピーがありました。

 

小学校高学年には、家業の焼き肉屋を手伝いはじめたので、

業務用洗剤で洗い物をたくさんすることが多くなっていました。

 

中学生の時には、手がとても荒れて、

手をぎゅっと握ったり、ピンッと開くことも出来ないほどでした。

 

ペンもろくに握れないし、跳び箱でも手をつくことなどできませんでした。

 

ノートには、血やリンパ液がいつもついてしまっていました。

 

そんな私に、両親は手伝いをやめさせることはなく、

むしろ、

 

「慣れれば治る。」

「最近の子は肌も心ももろすぎる」

「怠け者だから肌が荒れるんだ」

 

などと言われ、怒りにも似た悔しい気持ちでいっぱいでした。

 

 

それから30歳過ぎまで、

 

長い長い手湿疹、ステロイド軟こう常用、いつも体のどこかに湿疹、

耳の中はいつも膿でぐちゃぐちゃ

 

という生活でした。

 

 

いま思えば、

手伝うのが嫌だったら、イヤだと言ってやらなければよかった。

 

ただそれだけだったのですが、

 

いつも怒りを心に抱えながら

なぜか店を手伝うことをやめなかったのでした。

 

反抗しながらも、親の言いなり   って感じだったのですね。(笑)。

 

 

ひとり暮らしをしたこともあるし、

留学を2年ほどしたこともあるのですが、

 

その時はやっぱり手湿疹出なかったんですよね。

 

 

そこ、キーポイントですよね!

 

 

留学から戻り、

留学と言っても夢だけを抱えて遊びで行って、

な~んにも資格とか取ってなかったし・・・

 

それまでも、家の手伝いと水商売しかしたことなかったので、

仕方なく実家に戻りました。

 

仕方なくと言っても、

家族も家もお金もない留学生活は楽しかったことばかりではなく、

むしろ苦しみをたくさん感じて帰ってきたので、

実家があるありがたみは感じていました。

 

ただ、留学で、

自分の小ささ、ふがいなさを たっぷり学んできた私は、

留学前より

自己否定感が更にものすごく強くなっていて、

 

・稼げない自分

・親元に帰るしかない自分

・どうやって生きていけばいいのかわからない自分

 

ばかりを強く感じていたので、

自分にはそれしか選択肢がないから、仕方なく実家に帰った、、、

という感じでした。

 

 

 

久々に帰った実家と店は、

薄暗く、お客様も来ていなくて閑古鳥が鳴いている状態。

 

どうにかしなくちゃ!! って思いました。

 

そこで、何の資格もなくても出来るエステの会社に入り、

そこで働いてお金を稼ぎながら、

 

帰りに店により、店を手伝うという生活を始めてしまいました。

 

 

 

ここまで読んで、

ちょっとわかる方には、

私が出している思考が、どんなに苦しい現実を創っていたのか

想像できると思います(笑)

 

 

 

脱ステロイド・手湿疹・アトピー完治した方法②に続く