ネコアートのカフェラテと不良妻 | ❤️大塚ファミリーのゆるらぶワールド❤️ *ANGELIC *

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アンジェリーク&家族愛の奏でる想い…Love&Peace

ココロと身体についた傷は
無かったこととし
見て見ぬ振りし封印。
その記憶に触れるのが怖くて遠回り。

人を心底信じられない自分を
どれだけ責めただろうなぁ。

小さい頃から
表裏の顔を作る大人に 
触れることが多くて
大人というものになりたくなかった。

そう思った子供時代から
結局大人への不信感と恐怖感が
純粋な心を自分で歪めてきた。

子どもながらに歪めることで
どんな状況にも慣れることを知った。

大人の仲間入りすると
一生懸命自分を奮い立たせて
自立できるよう自分磨きに没頭した。

その環境に馴染むための自立であり、
その環境に認められるための自分磨き。

でも世間に作られた
いい大人像になるなんて
そもそもムリがあったんだよね~

本来の自分じゃないんだもの。
生まれたときから自立してるのに
それ以上に自立しようとすることに
ムリが生じる。


繊細で脆く、
傷つきやすい本来の姿は
出してはならぬと言い聞かせる。

過去の辛かった出来事は
今まで無かった事として過ごし
そのまま生きることもできた。

けれどその私を一変させたのが
子どもたちの存在。

私はこんな目にあったから
子どもたちにはさせないなんて
マイナス【被害者意識】の優しさから
向き合いたくなかった。
これこそ、子どもたちにとって
重荷にしかならない。

私はこんな風に育って欲しいとか
これだけはダメだとか
親目線でコントロールするんじゃなく
子がありのまま表現してくれるものを
受け止められる親でありたいだけ。

子どもと向き合うには
過去も未来も何も求めないで
瞬間瞬間に喜怒哀楽の楽しみを
お互いに見出せれば
それだけでいいハズ。

思いっきり喧嘩したり
言いたいしたり
笑いあったり
泣き散らしたり

「さぁ、キモチを切り替えよう!」
…なんて心構えしなくても
感じきったら終わり。
吐ききったら終わり。
いつの間にか自然に切り替わってる。

人目を憚ることなく
子どものようにある。

そのためには私の抱えてる辛さを
手放すことだったのね。

私は真実を伝えることで手放し、
起きた事実を自分が認め
向き合ってる過程。

自分と向き合い、
母と向き合い、
父と向き合い、
最後は私が抱えてた真実を伝える。


だけどこれって
相当の覚悟が必要なことみたい。

どれだけ幼少期だろうが
身体が受けたショックは
忘れたくても忘れられない。

隠してたとき以上に
向き合うことで
そのときの情景や哀しみまで
フラッシュバックする。

そうなると全く関係ない夫と言えど
私の中で異性という同類になるの。
普段なら気にならないことや
相手のテキトーすぎる発言や行動に
苛立ちさえ感じるし、
赦せない感情だって湧き上がる。
でもこれは相手にじゃなく
自分の中にある
手放しきれてない怒りや憤りが
化学反応して起きてるもの。
それを分かってても
どうにもならない、
誰にもぶつけることが出来ないって
もがく自分自身に爆発する。

私の場合の爆発は半日育児放棄。
ヤスくんに任せてひとりの時間を
過ごした昨日の休日。

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おひとりカフェに出てきたのは 
ネコアートのカフェラテ。
私の癒しを知ってるかのようなご褒美。


このときとばかりに8年前から
綴ってる自分へのラブレターブログを
読み返す。
こんな時期は 
こんなことあったなぁ…
私ってこんなだったんだなぁ…
なんて思い出しては
涙したり 
笑ったり
自分の綴る言葉に
気づいたり励まされたり。
まだまだ読み出したばかりだけど…
結論。
自分がちゃんと答え持ってる。
自分が求めてる目的は
何にも変わらなくて
止まったりしながらも歩んできてる。
自問自答したり
頑張りすぎたり
悩み抜いたり
責めたり
爆発したり
立ち止まらなかったり
どれもこれもあったからこそ
今の私がある。
その時そのときの私に私自身が
通信簿なんてつける必要は無い。
湧き上がる感情を
否定しない・責めないことが
本来の自分を知る近道だった。


自問自答することも良し。
頑張りすぎることも良し。
悩むのも良し。
責めるのも良し。
立ち止まらないのも良し。

それが私だから
とことんやってみようってこと。
花【自分】が咲く【手放す】ときって
そこにすら意識がなくて
気づいたら花は咲いてたって
感じなんだろう。
自ら咲かそうとしなくても
花は咲ける時期に咲くことを
知ってるんだもん。
水をやろうとする必要もないし
手入れする必要もない。
ただそこにある存在を
認めてあげるだけ。

私の花を咲かせてくれるフォローは
セッションに来てくれてる
クライアントさんやお客様。
日常、出逢う人たち。
勿論家族との繋がりも然り。

どんな私を生きてきても
寄り添ってくれる人がいる。
私は寄り添ってくれる人たちに
素直に甘え 寄り添っていくことが
自分を赦すことであり
自分を認めるってこと。
そのきっかけとして
私から溢れ出る
言霊のキャッチボール。
この言霊遊びは魂をどんどんクリアーに
してくれる。

自分が綴ったブログの旅をしてると
8年前に継父が送ってくれた言葉が
今、感じてることとLINK。

人は「私への旅」と「私からの旅」を
交互に繰り返していくというけど
千恵ちゃんは人と出逢って
そうしていってるんだね。
それが仕事を通してできるなんて最高!


変えたいけど[願望]変えられない過去[現実]
…にエネルギーを注ぐよりも
自分自身に向き合える私に
巡り会えたことの喜び[今]
めいいっぱい謳歌し
巡り逢えた人たちと
自分へ還る旅を渡航中。

今年に入り、
あまりに変動する出来事の数々は
自分が抱えてた苦しさの大きさを
物語ってるんだろう。


ただ外側で起きてることとは反対に
内側は殆ど空っぽに近い状態で身軽。

フットワークが軽くなるごとに
想いも溢れて
綴るのが追いつかない。

まだまだ始まったばかりの
マイラブレターブログ旅に
私にとって存在が大きい女性から
貰ってた一言。

何も求めることもなく
ただただ伝えていくだけ。
これがちえちゃんの使命だね。


7年目にしてこの言葉が
ストンとハマったよ。

今こうやって
気づかせようともせず 
気づかせてくれる人にも
出逢えてるってことだから
人生はやっぱり面白いニコニコ

人を心底信じられない自分から
そんなことどっちでも良くなってる
自分になってるだけでも
大きな変化なんだよ~虹

夫に子ども任せても安心してるから
不良妻になれる。
いい子ちゃんしなくても
充分楽しめてる。

夜中帰宅したらみんな布団で爆睡。
ひとりじゃない安心感。
結局満たされてる。

こうやってなんでも
ボヤけるようになったことも
私が還ってきた証。

なにやっても赦されてるから
ここにいられる私…ってことだろう。



チャンチャン音譜


千恵子