約一年ぶりの更新です。
昨年10月に、約二年半勤めた会社の派遣契約更新ができず、就職難とい状況と、この年齢ではなかなか事務職がなく、派遣会社から「単発の仕事で事務の仕事が入るまで生計をつないでみてはどうか…」との提案がありました。
「ハローワークに行ってみても同じですよ」と、消極的なことを言われましたが、わずかな希望を持ちつつ、「行ってみるだけ行ってみよう」と思い、年齢というハンディーから正社員なんて無理だろう…パートでもいい…でもパートだと経済的に心配…ダブルワークしようか…
などどいろんなことを考えながらハローワークに行きました。
やはり、行動してみるものですね。
いくつかの事務、正社員募集にエントリーしました。
ハローワークの担当者からは、「Angeさん、どんなに資格やキャリアがあってもこの御時世、採用は難しいです。
最低5枚は履歴書をご準備なさってください。」と言われました。
その通りだろうな…と納得し、帰宅後5枚履歴書と職務経歴書を作成しました。
第一志望は、やはり馴染みのある建設土木関係の会社での事務職でした。
技術部での技術アシスタント兼事務という職種で、CADを使用したり、大量の書類作成に追われるような仕事内容でした。
書類送付し、選考後に面接とスキルチェックの実務と筆記試験、二回目の面接後に結果報告とのシステムでした。
かなり緊張しましたし、自信はありませんでしたが、正社員として採用の報告をいただきました。
この年齢で、私を拾ってくださり、働く環境を与えて下さった常務と部長に本当に心から感謝します。
毎日出勤し、仕事が楽しくて、自分のスキルを活かせることや、新しいことを学ぶ事も喜びです。
直属の上司にも恵まれ、本当にありがたいです。
毎朝上司より早めに出勤し、各デスクの上を拭くのですが、ある日部長のデスクの片隅にクリアファイルに入った書類が目につきました。
明らかに仕事に関係する書類ではありません。
ふと手がとまり、その書類を読んで涙が溢れてきました。
皆さんはご存じでしょうか…
東日本大震災を経験された宮城県気仙沼市の菅原文子さんが、手紙(文章)部門一般の部で、第二回KYOTO KAKIMOTO恋文大賞を受賞されました。
とても心を打つお手紙です。
「あなたへ」
ひぐらしがうるさい位鳴いています
今日は八月二十一日日曜日
お盆を過ぎて街は静かになりました
あなたが突然いなくなって五か月と十日
もう五か月 まだ五か月ととても複雑です
あの日忘れようにも忘れられない東日本大震災が起きました
あなたは迎えに行った私と手を取り合った瞬間凄まじい勢いで波にのまれ私の目の前から消えました
いったい何処へ行ってしまいまいましたか
あの時から私の心はコンクリート詰めになり、山々が新緑に覆われても桜が咲いても何も感じることができず、声を上げて泣くことすらもできずにおります
そして息子たちも私も語りつくせぬほどの様々の事があってこん日に至ります
突然いなくなったあなたに伝えたい事、聞いて貰いたいことが山ほどあって心の整理もつかないけれど手紙を書くことにしました
お店のこと心配していますか
お店はたくさんの方々の応援をいただいて四月二十三日仮店舗をオープンしました
十三坪のプレハブ テントをひと張り、混乱の中で息子たちは本当によく頑張りました
そのお店の向かいには一軒家も借りることができ、家族五人でくらしています
全国のみなさんからはたくさんのご支援をいただいてその上素晴らしい方々とも出会うことができました
又、私が書いたお酒の<負げねぇぞ気仙沼>のラベルがとても好評で多くの方々に買って頂いています
ある方に「これは旦那様が書かせてくれたのよ」と言われました
私もきっとそうだと思っています
何も言えずに別れてしまったから、ありがとうと伝えたくて切なくて悲しくてどうしようもないけれど
三十八年間一緒にいてくれて仲良くしてくれて本当にありがとう
感謝しています
これからはあなたが必死で守ってきたお店ののれんは私が息子たちと守ります
大丈夫です
あなたはきっと何処かで私たちのこと見守ってくれているのでしょう
季節のめぐりは早く間もなくすず風が吹いて秋がやってきます
願わくは寒くなる前に雪の季節が来る前にお帰り下さい
何としても帰ってきて下さい
家族みんなで待っています
只々ひたすら
あなたのお帰り待っています
平成二十三年八月二十一日
菅原 文子
菅原 豊和様へ
夫婦愛の強さを感じました。