今年、私の通う教会に新しい命が加わりました。


彼女の信仰の証しを、愛する兄弟姉妹と共に分かち合いたいと思い、ここに記載させて頂きます。




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無知だった私


私は、仏教の家で生まれ育ち、24年という長い間、神様に背いて生きてきました。「神社にいるのは神様じゃない」とか考えた事もなく、小さい頃から墓参りや初詣に行き、家の神棚に手を合わせて祈ったりしていました。



また、友達と有名な寺へ行っては交通安全や学問、縁結びのお守りを買ったりもしていました。

しかし、これらのことに何も疑問を感じたことがなく、あたりまえで正しいと思って過ごしてきました。



18歳で大学に入ってからは、バイトをして自分でお金を稼ぎ、車の免許を取ったことによって、自分勝手で好きなように生活するようになりました。



私の通っていた大学はキリスト教系の学校で、キリスト教の授業や礼拝の時間がありました。


初めて福音を聞いたのはこの時が初めてだったと思います。



しかし、その時の事はまったく覚えておらず、礼拝も大学4年間で1、2回しか行ったことがなかったほどです。


社会人になってからは、飲み会に参加しては、吐くまでお酒を飲んで騒いだり、髪の毛は明るい茶髪、服装は夏でも冬でも短パンをはいて、どこにでもいるギャルと同じ感じで生活していました。


家にいない時間も多く、お手伝いは殆どせず、もちろん何のために、何に感謝して生きるのかも考えておらず、自分のために生き、自分が楽しいと思うことを、好きなようにしていました。





真実との出会い


2008年の夏にクリスチャンと出会いました。そのことがきっかけとなり、家の押入れの中を探したら、大学時代に使っていた聖書と賛美歌が出てきました。



大学を卒業してから、いらない本や教科書は捨てたので、聖書は家に残っていないだろうと思っていましたが、好き勝手に過ごしていた私が、なぜ聖書を残しておこうと思ったのかはわかりません。


それから、聖書を時々読むようになりましたが、意味は分からず、物語を読んでいるようでした。



2009年になり、ある日、「人が作った神社や、火事や地震で壊れるようなところに神様がいると思う?」と質問されて、「確かに。そんなところには神様はいないかも。全国にたくさん神社はいっぱいあるのに、その数だけ神様がいるっておかしい」とやっと気づきました。


他の日には、「もし、あなたが神様だったとして、あなたがこびとを作って、そのこびとが、あなたを無視して好き勝手に生活していたら、どう思う?」と聞かれ、「私が作ったのに、こびとが私を無視して生活していたらムカつく」と答えました。


「それが、神様と一緒だよ」と言われ、真の神様によって私は造られたのに、その神様を無視して生きていたことにも気づかされました。


それから真剣に聖書を読むようになり、イエス様が私のために十字架にかかって死んでくださったことや罪のことなどがわかるようになりました。


イエス様のことを信じた私でしたが、自分が救われているのか確信が持てず、もやもやした日々を送っていました。





救いの確信


そして、2009年6月27日。また福音を聞く機会があり、み言葉を聞いていたら、悲しくないのに自然と涙があふれてきて、「私は神様に愛されているんだ、イエス様は私のために死んでくださったんだ」と確信できたことを今でも覚えています。


私は毎日、日記をつけていますが、その日は、「救われてるって確信できなかったけど、今日自然と涙がたくさん出て来て、みことばに出てくる『あなた』という言葉が私のことだと実感し、すごく心に入ってきて救われた気がした。私は神様のために生きていきたい。今日はすごくいい日になった」と書いてありました。


そして、秋頃から仕事が休みの日曜日は教会に行くようになり、12月からは牧師夫妻と個人的な聖書の学びもするようになりました。


最初の人、アダムから罪が入り、その子孫として、私は神でないものを拝んだり、うそをついたり、悪口をいったり、その他にもいろいろと神様に背いて生活をしてきた罪人でした。



神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)



とあるように、神様のほうから働きかけてくださり、私たちを愛して、罪人のために救いの計画をしてくださいまいした。


イエス様は神の御姿であるお方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられ、地上での生活を歩まれました。


ののしられたり、ムチ打たれたり、どんなにひどいことをされても、「私の願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」と進んで十字架にかかられ、そして3日目によみがえられて、今も生きておられます。



イエス様は、私が受けるはずの罰をかわりに受けてくださり、私のために、また全ての人のために十字架にかかってくださいました。


イエス様を救い主と信じることができ、イエス様によって、罪の赦しと永遠のいのちが与えられ、神様と和解ができ、神の子として扱われていることを感謝します。




神様の恵みと奇跡


今までの生活を振り返ったとき、「神様にずっと背いていたのに、どうして私を救ってくれたんやろう?たくさんいるそこらへんの人たちと同じように生活していたのに、なんで私なんやろう?」と思います。

神様は今まで忍耐しておられ、私をあわれんで、豊かな恵みによって、こんな私にイエスさまを救い主と信じることができるよう、信仰を与えてくださったことは本当に奇跡です。



キリストは、私たちのために、ご自分の命をお捨てになりました。

それによって私たちに愛がわかったのです。(Ⅰヨハネ3:16)



人がその友のためにいのちをすてるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません(ヨハネ15:13)



神様が私たちを愛してくださっていること、感謝です。

また、神様の御霊がいつも私の中にいてくださり、とりなし、導いて助けてくださることにも感謝です。




変えられた私


イエス様を信じてから、いろんな変化がありました。



「あなたがたには、あすのことはわからないのです。

あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。

あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。

むしろ、あなたがたはこう言うべきです。

『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう』」(ヤコブ4:14-15)



というみ言葉を読んで、私は自分の力で生きているのではなく、神様によって生かされているのだとよくわかりました。明日のことは全くわかりません。

もし自分で生きているなら、自分の寿命も決めることができ、何でも自分の思い通りにできるはずです。


食べものは神様からの恵みで、それを食べて生かされているともわかりました。

生きていく上で、自分ではいろいろできないのに私は高ぶっていました。


寝る前のお祈りでは、「今日も一日を与えられたことを感謝します。主のみこころならば、明日も生かしてください」と祈るようになりました。


イエス様を信じてからは、目に映るものの見方も変わりました。

今まで深く考えたことがなかったけれど、神様がすべてのものをお造りになったんだという事を知って、きれいな景色を見ては、「神様はすごいな」って思い、太陽をみて、「今日も地球を動かしているんだなぁ」って思ったら、また「すごいなぁ」って思ったりして、今まであたりまえに感じたり、思ったりしていたことが、全部神様のなさっていたことなんだとわかって「ホントにすごいなぁ」って思うばかりです。



仕事においては、お世話をしている認知症の人が思いがけない行動をしたり、何回も何回も同じことを言ったり、やったりして、怒ったらダメだけど、時にはイラっとして言葉がきつくなったり、介護が粗くなったりしてしまいます。


「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」や「いっさいのことを愛をもって行いなさい」というみことばを思い出し、守ろうとすることによって、イエス様を信じてからは、前よりも優しく、丁寧に介護ができるようになり、掃除やおむつ交換とか、他の人が嫌がる仕事、誰も見ていない仕事でも、人から褒めてもらいたいとか人の評価ではなく、神様はちゃんと見ていてくれるからと頑張れるようになりました。



何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。(コロサイ3:23)



このみことばを仕事中に思い出すとき、「今おじいちゃんやおばあちゃんに対してやっていることが、もしイエス様にする介護だとしたら、同じようにやっているかな…」と思いとどまるようにもなりました。


毎日聖書を読んでいる今も、罪の性質を持っている私は、自分の感情に流されてしまう時もまだあって、優しくなかったり、いい介護をしていると思えないときもあります。


でも、本当に以前よりはいい介護ができるようになりました。


人の死については、あの人は優しい人だったからとか、いい人だったから天国にいって安らかに眠っている、殺人犯や悪い人でなければ誰でも天国に行くんだと思っていました。




人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。(ヘブル9:27)




とあるように、誰でも天国に行けるのではなく、神様は正しい裁きをするお方だと知りました。


真の神様を知らない人々や、イエス様の福音に従わない人々は主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受ける、地獄へ行ってしまうと知り、神様をおそれました。



主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(使徒16:31)



神様があわれんでくださり、家族も救ってくださるように祈り続けていきたいと思います。

また、すべての人が救われることを望んでおられるように、一人でも多く、永遠のいのちへと救われるように、友達や職場でも証ししていきたいです。


そして、自分の思いや考えで生きるのではなく、神様が喜ばれる、神様がほめたたえられるように、主に信頼して歩んでいきたいです。



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とても感動し、涙なしでは聞けない愛する姉妹の証しでした。


主よ、感謝します。