この3月に息子が大学を卒業しました。
決して順調とはいえなかった彼の大学生活でしたが、なんとか卒業できたことを本当に喜んでいます。
残念ながら、友達が一人もできませんでしたが、それは仕方ありません。
それでも、学生相談の先生とは信頼関係を築くことができました。
息子は卒業後の進路が決まった際に、自ら相談の先生に電話で報告し、卒業式の後には、お礼の挨拶をするために相談室に立ち寄ってきたと言いました。
本当にこの先生を信頼していたのだと感動しました。
息子に寄り添い、理解しようとしてくれた人が、少なくとも一人ここにいて下さったことを心から感謝します。
息子は相談の先生を「人生の恩人」とまで言っていました。
彼は心を開くことが苦手なので、こう表現すること自体、とても珍しいことです。

そしてこの4月、彼はまた別の大学に入学します。
やりたいことが見つかってからの、ある意味、やり直しの2つ目の大学です。
息子は一から受験勉強をして、見事志望校に合格しました。

彼は興味のあること以外は苦手で不器用だけれど、やりたいことのために苦手なことをなんとか乗り越えようと頑張りました。

実は受験勉強も大の苦手なことの一つです。
理由は興味がないことには注意欠陥状態になるという特性のせいです。
(逆に興味のあることには過集中状態になります。)
だから、1つ目の大学は受験勉強をしなくても入れる大学を選ばざるを得ませんでした。
この時、行きたいと思える大学を見つけることができず、だからといって、進学以外の選択肢はもっと見つけられなかったので仕方なかったのです。
結局、入学後に不適応を起こして不登校となり、休学までしました。
退学することも考えましたが、やりたいこともみつからないまま退学すれば、余計にどうすればいいかがわからなくなるので休学に止まり、とりあえず卒業を目指して復学したのです。
そうこうしているうちに、おかげさまで、やりたいことが見つかりました。
それを形にするためにどうすればいいかを考え、彼が一から学ぶ道を選んだ結果、今回また大学に入ることになった訳です。

好きなこと、興味のあることが、どれ程生きる力の原動力になるのかを息子の生きる様から学びました。
本来なら、自分自身の経験から学ぶことかもしれませんが、私自身は息子に比べて器用な方(普通の人)なので、好きでも何でもないことでも、多少目をつぶってやれなくはないのです。
ある意味、適応能力があると言えば聞こえがいいですが、これって自分に対してやさしくないように思います。(だって、自分の気持ちを無視してるから。)
ということは、他者に対してもやさしくないということになりますが、それは置いといて、とにかく、自分の好きなことをあきらめないでいることは大事なことなのだと息子から学びました。
それが聖霊の声に耳を傾けるということかもしれません。
正しい心を選び続けることがとても大事です。

息子が聖霊の声(好きなこと)に耳を傾けた結果、導かれるように彼の希望にピッタリの大学が見つかり、入学できることになりました。

大学は地方にあるため、一人暮らしになりますが、これも脚本通りだと感じて、私はウキウキワクワクと彼の引っ越しを手伝いました。

コロナ禍になって1年以上自宅に引きこもり状態でいた彼が、家を出て一人暮らしをすることが、すごく不思議ではありますが、彼がどんどん幸せになっていく未来しか思い描けない今、親としては嬉しくて仕方ありません。
「またお金がいっぱいかかって大変よ〜♪」
と言いながら、幸せオーラ全開で事にあたっています。

という訳で、3月は息子の卒業と入学準備で大騒ぎでした。
奇跡講座の学びも滞りがちになりましたが、それでも感謝の気持ちいっぱいに日々過ごすことができたのは、これまでの学びの成果だと感じています。

好きなこと、興味のあることを学び続け、どんな状況でもあきらめないことが、聖霊と共にいることだと感じる今日この頃です。
自分にも兄弟にもやさしくありたいと思います。

T-7.Ⅹ.3:8-11
聖霊に従いなさい。そうすれば、あなたは自我を手放すことになる。しかし、あなたは何も犠牲にしない。それどころか、あなたは一切を得ることになる。あなたがこれを信じていたなら、葛藤はないはずである。