コース(奇跡講座/ACIM)の話をすることが好きです。
だから、コース学習者のお仲間とコースについてワイワイおしゃべりすることは、本当に心から楽しい!と感じています。

ところが、あらためて勉強会ともなると赦しネタに困ったりします。(これって、もしかして“コース学習者あるある”かもしれませんが... 。)
毎日テキストを読み、ワークブックをやり、マニュアルやコース関連本なども読んで、聖霊に導かれる日々を送っていると、日常がそれなりに平穏だったりするので、あらためてみんなにぜひ聞いてもらいたいと思うようなドラマの捏造をしなくなります。
赦しが静かに自然に起きて出来事そのものを忘れたりします。
なので、勉強会で何を話せばよいのか、個人としての「私」にはわからなくなります。

とはいえ、しっかりこの世界の夢は見ているので、赦しのネタはあるはずです。
思いつかないということは、上手に隠蔽している証拠ではないかと思います。
自分一人ではこの隠蔽に気づけないので、聖霊に委ねたり、勉強会で何でもいいからなんとなく話すことで隠蔽を暴いて、結果それが赦しのネタになっているように思います。
何事も自分一人でやろうとはせず(自我を選ばない)、聖霊に導いてもらう(聖霊を選ぶ)ことが一番大事だと感じています。

先日参加したコース勉強会での話です。
話す順番が一番目だったので、それこそ本当に話すことがないなと思いながら、その時その場で思いつくことをなんやかんや話してみました。

以前、薬局長さんが上司としての仕事をしないという悩みをこのブログでも何度か書きましたが、実は、先月位からとてもよく働いて下さるようになりました。
おかげで、薬局長さんに対するストレスがすっかりなくなりました。
まさかこんな日が来るとは思ってもいなかったので、まさに奇跡の反映だと感謝しています。

ところが、今度はパート薬剤師のAさんが気になる人物として急浮上してきました。
「あっちが良くなれば、こっちが悪くなる」と薬局へ来られる患者さんがよく言っておられれますが、まさにそんな感じです。
今までは薬局長さんの方が気になっていたので、Aさんの言動をさほど気にしていなかったのです。

このAさんはパートでありながら、職場では勤続年数が一番長い古株さんです。
週4日、1日3時間程度しか薬局にいないのですが、その割には仕事の指示はガンガンしてくるし、備品を勝手に注文するしで、やりたい放題、言いたい放題です。
Aさんが薬局長ならそれでも構わないのですが、実際はパートの立場なのに、常勤の私に仕事の指示をしてくる意味がわかりません。
それに、彼女が言ってくることは、責任者が最終的に判断しなければいけないことばかりで、例えば、分包機の処分とか、加湿器付き空気清浄機の購入とか、薬袋の購入先の変更とかなので、ヒラ薬剤師の私に言ってきたところで、どうしようもないことばかりです。

彼女が私に何かを言ってくるたび、
「薬局長さんにもお話しになって頂けませんか」
と返すのですが、彼女は薬局長さんには話さないのです。
結局、私から薬局長さんに進言して欲しいということなのでしょうが、彼女の言うことの中には、私が納得できず進言したくないものもあるのです。
もちろん、賛同できることであれば当然進言してきました。
いずれにせよ、彼女がしたいことなのだから、彼女が上司に進言し、責任を持って行動すればいいと思うのです。
彼女はアイデアを話すだけ話して、あとは私にやらせようとする点が、私には面白くありません。
なぜなら私は彼女の部下ではないし、私が担当している仕事はそれなりに多いのに、これ以上、仕事を増やされて嬉しいはずもありません。

勉強会で上記のような話をして、これについてコースのお仲間さん達からなんだかんだご意見や感想などを頂くうちに、『権威の問題』というフレーズがフッと降りてきました。(聖霊の声)
そう、これは完全に単なる『権威の問題』だったのです。
これに気づいた途端、このことがすっかりどうでもよくなり、思わず笑ってしまいました。

T-3.VI.8:2−4
あなたに権威の問題があるとき、その理由は常に、自分は自分の作者だと信じて、自分の妄想を他人に投影しているからである。その後あなたはその状況を、作者としてのあなたの立場を奪おうとする他者が、文字通りあなたと戦っている状況として知覚することになる。これが、神の力を横領したと信じている全ての者たちの根本的な誤りである。

勉強会の翌日、職場でAさんと一緒に仕事をしましたが、私は彼女のことが全く気になりませんでした。
平安そのものです。
彼女は相変わらず、いろいろ私に言ってきましたが、私は心よく話しを聞き、必要なことは薬局長さんに進言し、賛同できないものはその場で賛同できない理由を穏やかに説明して、その仕事を断りました。
以前Aさんは私が断ると不機嫌になって、しばらく口をきかないという態度をとっていましたが、今はそういうことがなく、とても感じよくなりました。
(奇跡の反映)

今回は特に赦しを意識的にした訳ではなかったのですが、『権威の問題』という聖霊の声をすぐに受け入れたことで、一瞬にして平安が得られたように思いました。

確かに、聖霊の邪魔さえしなければ、平安は自然な状態なのだと本当によくわかりました。

T-16.I.3:7−12
静かに脇へ退いて、癒しがあなたのために為されるに任せなさい。たとえ、自分で状況判断をして、その判断に基づいて自分の応答を決めてしまいたいと、どれほど強く思ったとしても、ただ一つの考えを心に留め、それを見失ってはならない。あなたの心を次のことだけに集中させなさい。

私はひとりではない。だから、私が招いた賓客に、過去を押しつけない。

私が彼を招いたので、彼はここにいる。

邪魔にならないようにする以外に、私は何もしなくてよい。