数日前、新型コロナウィルスにまつわる様々な問題について、職場のお仲間の一人が、
「どうしてこんなことになっちゃったんだろうね」
とつぶやきました。
私は『神からの分離を信じたから』と心でつぶやきましたが、それはさて置き、
「そりゃあ、中国でコウモリのコロナウィルスの研究なんかしてたからじゃないの⁈」
と言っていました。
(もっとちゃんと言えば、ウィルス研究をしてもいいし、100歩譲って外部に出ちゃったり、感染者が出たことも仕方がないけど、そのことを早く言わんかい!ヘタに隠蔽するから、パンデミックになっちゃったじゃないの!←もちろん赦します。)
職場の人は答えが欲しかった訳ではなく、単に先が見えない不安を口にしていただけなのに、私は自我で反応して、
『私達をこんな風に不安と恐怖に陥れたのは、中国政府よ!』
と言いたくなりました。
少なくとも自分のせいじゃないと言いたかったのです。
おそらく、多くの方がこんなこと(パンデミック)になったのは、少なくとも自分のせいじゃないと思っているのではないでしょうか?
(↑これが罠なんですけど。)
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先日、オンラインのACIM勉強会があって、私がそこで思わず熱く語ってしまったことは、
「ウィルスをばら撒いた中国政府に責任を取ってもらいたい!」
ということでした。
この主張について、私はトランプ大統領と同じ意見なのです。
今までトランプ大統領に対する共感はありませんでしたが、まさかコロナの責任問題で意見が一致するなんて、驚きです。
(いやいや、この時点で、私、結構やばいのかも⁈と気づくべきでした。)
どうも無責任な人や状況をみるとかなり引っかかるという癖が私にはあります。
それで、その勉強会でタオさん(https://ameblo.jp/taohouse/entry-12592802709.html)から一言、
「要するに、自分の責任じゃないって言っている訳ね」
と言われて、思わず大爆笑しました。
いや〜わたくし自ら、「自分には責任がない」(無責任)を主張していた訳です。
全く面目ありません。
それまで、コロナ問題の責任を中国政府に取らせたいと息巻いていた私でしたが、タオさんのこの一言(聖霊の声)で、見事に雲散霧消。
今はすっかりおとなしくなり、心穏やかな日々を送らせて頂いています。
いつものことながら、コースは容赦ないですね。
自我と同一化している私は、何か問題が起きると、とにかく誰かや何かのせいにして、
「あんたのせいだ〜。責任取れ〜」
とやりますが、これを続けている限り、実は問題(世界)が存続し続けます。
そんなことは、もう何年も学び続けているのに、まだやっていたかと気づいて、もうホント笑うしかありませんでした。
いつもなら、ここで反省モードとなるのですが、今回は違いました。
大笑いして、きれいさっぱり終わったのです。
もう本当に“自分を含めて誰のせいでもない”ので、“誰かや何かや自分さえも責める必要なし”ということを心底実感しました。
いや〜、清々しい。
W-pI.159.4:4
キリストは誰の中にもいかなる罪も見ない。
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ここからはオマケの話です。
2月末頃、Amazonを通じて中国企業にマスクを注文しました。
中国企業から3月6日に発送したという連絡が来ましたが、一向に到着しませんでした。
注文時に4月5日までのお届けとなっていて、コロナの関係で物流がスムーズではないことも理解していたので、のんびり待っていましたが、やっぱり4月5日までに到着しませんでした。
なので、その3日後Amazonを通じて、発注先に問い合わせたところ、
「こちらは発送したけれど、今、輸送状況がよくないのと途中で荷物が紛失したりもしているので、届かないのだろう。私たちは詐欺ではないから、通報しないで下さい」
と返事がきました。
遅れる分には構わないけれど、紛失していたら、結果、詐欺に遭ったようなものです。
いつまでもマスクが届かないという問題とコロナ責任問題がリンクして(どっちも中国絡みだし)、私の中で大きくなりました。
それで、
「中国政府はコロナ問題の責任を取れ〜。全世界に慰謝料を払え〜」
と言いはじめたのです。
結局、コロナの責任問題は前述の通り、大笑いのうちに終わり、心穏やかに過ごしていたら、自然とマスク問題の方も解決しました。
こっちは商品が昨日到着したのです。
幻想のレベルでの解決ではありますが、中国に対しての印象はだいぶ良くなり、おかげでよい気分でこのブログが書けました。
ありがとうございました。
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さて参考までに、よかったら下記の動画をご覧下さいませ。
私には大変助けになりました。
V#42: 新型ウイルス – JACIM
http://www.jacim.com/jcm/?p=6761
05:07
ですから、新型インフルエンザの問題に対する『奇跡講座』のアプローチは、他のすべての問題と同じように、「自分の心を癒すための手段としてそれを使う」ということです。
05:14
そして、心が癒された時には、外にあるかに見える何ものにも損なわれることのない平安があります。