隊士は山内を巡邏し、娘を警護せよ!
ひさびさのミッション。
昨年引退したが、剣の腕をはたまた拳の腕を買われて御声がかかる。
今回は同じく昨年に現役を退いたタッキーと、プレジデントとして活躍中のテッチャンとの3人編成。
タッキ―とは京都、高松、福島と各地を転戦した。テッチャンは今年、シンガポール、大阪と忙しく立ち回ってる。
16:00 集合。 山内の東屋にて落ち合う。 その後控えの間へ。
16:30 ミッションに備え制服に着替える。
実行部隊はテッチャンと俺。
ちなみにテッチャンも空手の心得があり徒手でもイケる。
タッキ―は哨戒、レコード、検分としてつかずはなれずたちまわる。
なので撮影は今回全てタッキ―。
17:00 食事。お弁当を支給される。
食後。控えの間より五重塔を望む。
作戦開始。
拙者は紅葉の乙女の警護。
ミッション中。
五重の塔でテッチャン部隊と合流。
無事であったか。
合流の後に参道へ移動。
ぐわぁー。腕なんか組んで恥ずかしいY(>_<、)Y
下の写真a と b 正しいのはどちらでしょう?
ポイントは立ち位置。
クライアント保護の観点からは被保護者側に傘を持つのは鉄則。
なぜなら襲撃者に対して傘で反応できるから、傘で防御するあるいは被保護者を隠すことができる。
場合によっては傘を投げつればよい。
でもって、aの悪いところは右手で傘を持っている。
これでは剣が抜けない。
ポンと傘をなげるか、あるいは素早く剣と傘を持ち替えなければならない。
一瞬のようだが手練の者ならその間にこちらは斬り殺される。
ここは ターゲット発見。 即、抜刀して応戦。斬り伏せて制圧といくところ。
傘での防御、遮蔽、投げつけなど当然合わせ技でいきたい。
クライアントを保護すればよいのだから、何も斬らなくても、、、、。
と思うかもしれないが、こちらはしっかり斬りますよ! というところを見せ我への襲撃にはリスクが伴うということを印象つける。結果。襲撃自体が減る。
なので答えはb。
右に位置して、襲撃者へ「む、む、できる。今回は撤退しよう」。となるのが正解。
そう。斬り合い自体を起こさせないことが一番のポイント。
各班と合流し任務終了。
互いの無事を喜ぶ。記念に全員で撮影。
なにかと物騒な年末年始。
釵(サイ)、双節棍(ヌンチャク)、トンファー、そして刀。
依頼があれば目的に応じた武器をもって対応します。
萬燈会
今、山内は菊で彩られている。
それぞれ腕によりを掛けて育てた菊が出展されている。
稽古の帰り。
声をかけられた。「萬燈会。宜しく。」。
おぉ そうであった。そうであった。
こないだタッキ―からメールがきてた。
曰く。今年も例年のごとく萬燈絵がとりおこなわれる。
女性陣は○○女子短大和装研究会に出張ってもらう。ついては男性陣の一翼を担っていただけないだろうか。と。
短大生と一緒だからとか、その後の短大生との打ち上げを期待してではなく、あくまで純粋にかつての同志タッキ―たっての依頼とあって快く引き受けると答えた。
萬燈会とは、、、。
山内、五重塔、参道を燈籠でかざるのだ。
こんな感じだ。
タッキ―は新撰組祭 の時、刀係りとして働いた時の自分の姿を思いだして声をかけてくれたようだ。
でも。
いったいどうすればよいのだろう。
なので、菊を出店してた人達にきいた。
よくわからないけど和装してウロウロしてればいいらしい。
稽古着くらいしかもってないと言うと新撰組隊士セット一式を準備するとのこと、、、、。
ちょっと恥ずかしい。
まぁ。そうとあらばYouTUBEで抜刀術の一つでも覚えておくか。と思ったが、まだ左手第四指第一関節は折れたまま、、、、。 練習できない、、、、。
まぁ抜くのは危ないからしないほうが、かえっていいのか。
新井地区センター
コレポンも空手をはじめた。コレポンと言っても元部下じゃない。
海外との通信をする人をコレスポンディング。一般的にはコレポンと言う。
そっちのコレポンじゃなくて掃除のコレポンだ。 そう一緒に早朝の掃除をはじめたコレポン。
自分は仕事でできなくなったが彼は続けてる。
いろいろ縁があって今ではうちの道場の人も月に一度の掃除に参加してる。
普段は仕事でそちらには参加できないが、今日は行ってみた。
会場は新井地区センター。Xmas会以来だろう。
地区センターはなんかいろんなとこにあった。自分達がよくいったのは下田地区センターと新井地区センター。
なのでなんとかセンターとかいうと、なんか人があつまったりする場所のように感じる。
英語の中心とかとはちょっとニュアンスがちがうような、、、。
でも広東語ではそのまんま。たとえばアスレチックセンターであれば体育中心。
さらにちなみにじゃセントラルはと言うと中環となる。
Xmas会と言っても去年のクリスマスじゃない。
小学校の時の子供会のクリスマス会だ。
それに大きくなってからはあまりクリスマス会はなく、忘年会かXmasパーティーだ。
子供会とはその地区の子供の会。
キャンプやバーベキューや、お祭りや盆踊りなどに参加した。
建物はそれほどボロじゃないので立て直したのだろう。場所はそのまんまだ!
とても懐かしい。
道路をはさんだ塀と門が立派な家はキューの家だ。キューは隆と言う名前だが、苗字がそこらで多い苗字だったので名札に○○タと書かれていた○○が姓でタはタカシのタ。そのタがマジックの書き加減で数字の9に読めたのでキューというあだ名になった。
その隣は土方歳三の生家。
休みの日に洗車をしてると土方歳三の家はどこですかと聞かれ、よく道案内した。
長年住んでたけど自分は上がったことない。
そして歳三の家が道が交差してるとこがキタダヤだ。
たしか北田屋だと思う。
子供の頃はまだコンビニが無いどころか、セブンイレブンもまだ日本に上陸してなかった。
なのでお使いはヒガシかキタダヤに行った。ヒガシも正確には斎藤商店。ヒガシは屋号だ。
ジロウんちはアブラヤ、うちはタタミヤと呼ばれていた。
さすがにセブイレブンも日本に上陸し、コンビニも駅の前などにはできはじめたが、自分が高校の時は近所にそんなもんはなく、コンビニが無い時代だから携帯電話なんか当然無い。
高校生の時、意中の女性に電話をかけるにはこのキタダヤまで10円硬貨を握りしめチャリをとばした。
あまり夕方早い時間だと、まだバイトかな?と思って時間を潰し。あまり遅いと親が出て失礼と思われるかもしれないし、頃合いをみて寒いなかドキドキ電話をすると今、入浴中ですと言われ引き返したりたもんである。
自分が魚や刺身を食べないのはキタダヤの存在がある。
ここはもともと旅館だか、料亭をやっていた。なので魚がとてもおいしかった。
だから子供の時は刺身好きだった。
が、高校生くらいの時近くにスーパーができて買い物はそこがメインとなった。
そこの刺身がまずくてびっくり。大学の時に入った居酒屋の刺身の不味さときたらあったもんじゃない。気持ち悪くなった。それから好んで魚は食べなくなってしまった。
野菜を食わないのも同じ理由。
当時はうちの周りにお百姓さんが多く、また家も畑があったなのいつも新鮮な野菜を食べれた。
やはり居酒屋のサラダかなんか喰って。魚のように気持ち悪くなるほどじゃないが、水分のなさ、味の無さ、でもって青くさくきらいになった。
なのでここらの人はみんな知っている。
こちらは知らなくても自転車であっち、こっち走りまわってたので、利発でなかなか愛想のよかったアネモ少年はここら近所の大人たちの覚えも良かったのである。
壊合
週末。骨折してから3週間たったのでくっついたかどうかの確認を含めて病院にいった。
先生が来る前にレントゲンの像を見てしまった。まだ隙間がある。
先生はいいねー。と言っていた。経過がいいということらしいがつながってなくてがっくし。
審査は受けられないかも。後、来週の大会は出るのよそう。折れたままじゃあぶない。それに痛いと思いきって動けない。
刀が折られれば、脇差で、脇差も折れれば、素手で、そして片腕が切り落とされれば、残った片腕で戦うのが普通だけれども、まぁ単なる試合なんでそこまでしない。
午後に全国熟練者大会を見に行こうかなと思っていたが、なんとなく診察の結果でしょんぼりしてしまい。
指固定されたままで運転は危ないな。ちょっと疲れてるし家ですごそうと思った。
稽古はできないけど練習にいった。
すると、なんとミツコ先生は熟練者大会にエントリーしてたのこと!
しかも、なんと組手では3位入賞。ヽ(゜▽、゜)ノ
おめでとうございます。くーぅっ。応援に行っておけばよかった。
今日は市民大会。
でないけど仲間がでるので行くことに。
ビデオ撮ったりなんなり少しは役にたてるかも。
会場につくと、いろいろな人にあった。
まだ一回か二回位しかあってないのに、みんな覚えててくれてびっくり。
夫婦で出てる人はもう帯の色が変わったのかと聞いてきた。
今度、組手したいと思ってたお祭りであった人。なかなかフォームが決まってて実際に戦ったらなかなか手ごわそうだった。
前に僕に勝った人。優勝してた。
みんな共通してたのは、骨折をしると、「残念ですね。今度は一緒にやりましょう」と言ってくれた。
なんだかうれしかった。
驚いたのは階段であったイトウチャン。
いや、実際はイトウチャンなど言ってないし、本人を目前にしては絶対そんな事言えない人。
なんてったってイトウチャンは高校時代、我がラグビー部の顧問を御勤めになられた御方である。
ただしイトウチャンはラブビーの経験は全くなく、もともと空手をやっていたので当初は空手部の顧問であった。
僕が2年になった時から空手部とラグビー部の顧問を兼任された。
階段ですれちがった時に挨拶すると、とても驚いていた。
以前、お会いした時に空手を習い始めたと伝えたことを覚えていてくれていた。
今日はエントリーしてたけど、骨折のため出場取りやめたというと、そんなの関係ないから出ればよかったのにと言われた。相変わらずである。まぁそんなだからラグビー部顧問が務まったのかもしれないけど。
黄山
埒があかないので工場行くことに。
でも、間に入ってるおじさんは香港の人。大陸で落ち合おうと思うのだが広大すぎてよくわからず。
その頃よくしてもらってた旅行代理店の人に相談。日本語で読みは同じでも杭州、広州ふたつある。たとえば恵州のように省都じゃなくても州のつく地名あるかもだしで無い時間を惜しみながらも一度香港へよる。
そっからKCRで空港へ深玔か白雲かどっちか忘れた。
チェックインで知らない人にこのバッグキャリーオーバーだから運んでと言われたけど、中になにが入ってるかわかんないものは運べない。それよりこっちは納期で頭がいっぱい。
一緒のおじさんとは席が離れてほっとする。
となりは純朴そうな学生風。
機内食はコッペパンみたいなのと切ったリンゴとジュース。
昼飯というよりおやつ。手でコッペパンみたいのをかじってると、となりの純朴そうな彼はプラスチックのナイフとフォークでコッペパンみたいのやリンゴを上品に切って食べている。
バスが移動手段の主役の中、飛行機を利用するこの若者は良家の子弟かもしれない。
しばらく行くと眼下河が。
でもどのくらいの高度かわからないので大きいか、小さいかわからない。
良家の子弟とおぼしき彼はカメラを取り出し席を代わってほしいと身振りでうったえる。
ので、かわると写真をパチパチとった。
有名な河かもしれない。
まぁ南から北上してるから長江かもしれない。または淮河かも。はたまた黄山を目指してるかた黄河かも。飛行機の上からだと前知識がないとあまりありがたみを感じない。
無事着陸。
タラップも建物につく可動式のあれもなく滑走路わきを熱いなか建物に向けて歩く。
これは普段できない経験で楽しかった。
工場での悶着はさておき。
皆との食事も終え一人の時間。広大なホテルの敷地を散策。
なにやらBARみたいのがあり潜入。
席に案内される。中国語がわからずお店の男の子達は僕が外国人とわかったらしい。
向う側でかたまってこちらをちらちらみてる。
とりあえずビールをたのむ。
うーん。予想していたがぬるい。
男の子達はあいかわらず向うでこちらをチラチラみてる。
やがてそのうちの一人がこちらむかって歩いてきた。
オーダーを取りにきたのだろうか?
と思っているとこちらをみて、ちょっとはにかんだ感じで「こんばんは」と言ってきた。
こちらも今晩は!と返す。 彼は満面の笑みを残して皆のほうへもどっていった。
向うでは今晩はと言ったかれはまるで英雄を見るような目で他の男の子たちからの注目を浴びていた。
聞こえないし、聞こえてもなんと言っているかわからないが、「おまえすごいな! なんつったの?」という感じだった。
おぉ!とみな彼に尊敬のまなざしをむけると、その中の一人がこちらを見ている。
やがて意を決したように、そいつも僕のテーブルにきた。
彼もまた僕にむかって「こんばんは」と言った。なので同じく今晩は。と返した。
すると彼は向うの仲間のことをどうだ!という感じで見た。
向うの仲間はおぉ!という感じで彼をみていた。
なんというか小さい時に、ここからは飛び降りれないでしょう。ってとこをまず第一番に飛び下りた奴とその仲間的な感じだった。
彼の日本語(こんばんは)が通じたのをみて皆、チャレンジしたくなったようだ。
その後は順番にかわるがわる僕の席に来てみな一言「今晩は」とだけ言い。
僕が今晩は!と答えるととても満足そうにカウンターに帰っていった。
禁煙300日目
ついに禁煙してから」300日を越えた。
もうちょっとで一年だ。
半年経過後くらいからは禁煙をしたことを忘れたくらい、吸わないことが普通だった。
けど。
10月の値上げでなにかと煙草のこと、禁煙のこと、喫煙のことが話題になりちょっと意識してしまい気持ちが少しぐらついた。
意外にもかの日を境に禁煙に挑戦したひとの禁煙の失敗が3割とは驚いた。
もっと多くの人ができないと思ったが、続いた人多いようだ。
値上げということなのでいくらセイブできたか計算してみよう。
まず1月、3月、5月、7月、8月、10月が31日だから6×31で186日。
4月、6月、9月が30日で3×30で90日。
2月が28日で昨年禁煙をはじめたのが12月29日だから28たす2で30日。計306だけどまぁ300日とする。
吸ってたのはフィリップモリススーパーライト。購入は一日2~3箱。@300
少なく見積もって@300×2箱×269日=161,400たす@410×2箱×31日=25,420で計186,820円。
まぁ実際買うのが一日に2箱だけということはなく(吸わなくても予備でかったり、失くしちゃったりすのるので)、ライターや携帯灰皿も無くしたり、忘れるし、吸いたいが為にドトールに入ることもないので18万は目に見える最低の金額で実際は20万以上はういたろうな。
じゃ、その分何かを失ったかというとそれはなく、(禁煙するまえは楽しみや、気分の落ち着きや、気分転換、食後の一服を含めた食事の楽しみ、お酒の楽しみなどなにかを失うだろうと思っていた。)逆に精神の安定や体の健康などを手にいれた。
吸わない人からみればこの場合の逆にはなんのことかわからないかもしんないけど。
まずは当面の1年を目指してもうちっと頑張ろう!
つか、がんばんなくてもいけると思うけど。
昨日のつづき
金曜未明の流出とはとても絶妙だと思った。
本当のところはわからないけど、いろいろ言われてるUPの意図はだいたい次の3つが多いみたい。
1 関係者が義憤にかられて。
2 野党、及び与党内で管内閣転覆を狙う者の陰謀。
3 外国人学校無償化決定のためのスケープゴート。
どれも本当っぽけど、それぞれ真っ向対立の立場にいるところが興味深い。
彼の国の人の反応。
報道でよく聞くのはだいたい以下。ま。これも本当のことはよくわかんない。
中国船がぶつかってるみたい。悪いことはみとめよう。
加工された画像。
領海内でのこと。ぶつけたとしても悪くない。
本当にぶつけてる。よくやった。
違和感を覚えた日本人の発言。
なぜ、こんなこと(流出)が起きてしまったか中国にきちんと説明して、理解してもらいたい。
いろいろ出回ってる話で、それ本当?と思う話は。
乗り込もうとした海保の人が銛で刺された。
ネットとかで気になる発言としては中国、共産党、人民をいっしょくたんにしてること。
一緒ちゃぁ一緒かもしんないけど、やっぱ違う。ここんとこは冷静になんないと。
と思う。
自分が思うこと。
よくあの船に乗り込んだ。(逮捕したんだから乗り込んでる)。
どんな武器もってるかわかんないし、何してくるかもわかんないし、まさに命がけだったと思う。
sengoku38
日本で大人気のアイドルグループエンジェルガール
。
結局、彼女達のファンや彼女たちをみることができなかった。
日本でAKBの20倍も写真集が売れてると、中国では言われてるのに。
この度のビデオについて彼女達の発言が気になる。
フードコートでの攻防
先日、お酒を買おうとスーパーに行った。
以前、海の帰りにビールを買おうと行ってコンビニに寄ろうとしたら、後輩にコンビニで酒なんか買っちゃだめっすよぉ。スーパーで買ったほうが断然お得っすよぉ。と言われた。
ちなみに広東語でスーパーマーケットは超級市場。そのまんまである。
そんなこともあり、スーパーで酒を買った。
レジで会計をすます。スーパーは地下にあるので*1帰るにはエスカレーターで地上一階に上がる。
エスカレーター脇はちょっとフードコートみたくなってていろいろな食べもの屋さんがある。
ちなみに学生の頃やっていたバイトではエスカレーターはレータ。エレベーターはベータと言っていた。
その食べもの屋さんでエスカレーターの近くにクレープ屋さんがあった。
普段、クレープにはほとんど興味を示さないのだが通り道ということもありちょっと触手がうごいた。
クレープ。と言っても、酒とつまみを買いに来ていたので甘いもの系じゃなく、ハムとかツナとかそういうのが頭に浮かんでいた。
ガラスケースの中にいろいろと陳列されている。ハムとかチーズあるかなぁ。
と思いつつ近づくと、女性の声で元気よく「いらっしゃいませ!!」と聞こえた。
その声にこちらはギクリと驚き、瞬間的にエスカレーター脇の柱に退いた。
やばい。どうしよう。今思うと全然やばくないのだがその時はヤバイと思った。
恐る恐る顔をあげてみる。するとおねえさんがこちらを見てニコニコしながらもう一度「いっらしゃいませ!!」と
言ってきた!! 柱に隠れたつもりだが全然死角に入っておらず向うから、こっちは丸見えだった!!
後ずさって、おそるおそる顔をあげてクレープを見てるなんて。危ない人と思われるかも!!
今度こそ本当にヤバイぞ!!
僕は急いでベータを駆け上がり家に逃げ帰った。
無事に家について人心地が着くと何故逃げ帰らなければならなかったのか不思議に思った。
後日、体調を万全に整えてまたそのスーパーに行った。
またお酒を買い。レジで会計をすます。エレベーターの先のフードコートを目指す。
この時点ではまだ、相手はこちらがクレープ屋を目指してるとは思うまい。
さらに歩を進める。相手は僕の目標がクレープ屋だと気付いたらしく前回のように「いらっしゃいませ!!」と声をカウター越しにかけてくる。
前回は思わぬ不意打ちをくらったが、今回は心の準備はできている。
カツーン、カツーンとさらにちかづく。
「いらっしゃいませ!! ただ今の時間ガラスケース内の品、全品135円です!!」とさらに攻め立てる。
前回はガラスケースの中さえみえなかったが、今回はよく見える。見るる400円台のものもある、135円は確かにお得だ。顔をケースの一点に見据えたまますばやく目だけでハムとツナを探す。
あった!ハムアンドチーズ!まさに今の自分にぴったりだ!
相手はさらにつづける「いらっしゃいませ!」
フ フ フ フ。わかっている。ただいまの時間ケース内全品135円だろ。
こちとらお見とおしなんだよ!
ドドーン!ついにこちらはケースの真正面にたどり着いた!!
若干、歩幅を広めにとり拳を握りしめながらゆっくりと顔を上げて言った。
ハムアンドチーズください。
気力を使いきってしまったのか。最後の台詞はボソボソと小声になってしまった。
*1 イトーヨーカドーなどのようにスーパーは独立したビルのイメージだが、ここはファッションビルの地下一階のある一角にスーパーがテナントとしてはいっている。
ハロウィンの思い出。
あ。無くはなくて外国やインターナショナルスクールではもちろんあっただろう。
その存在自体は子供の頃から知ってた。
ゲゲゲの女房のはるか以前から水木しげるが好きで。
あ。水木しげるが好き、つーより妖怪が好きだった。
妖怪の事は書くととまらなくなるのでやめておくが、水木しげるの「日本の妖怪」みたいなタイトルの本があって年がら年中みてたら文章ごと全て暗記してしまった。
友達とクイズをやって「昔、四国の」で、「はい! 子泣き爺!」と全問、超ウルトライントロ顔負けの回答をして級友に妖怪好きとしてその名を知らしめたほどである。
まぁ。そんなことはどうでもよくて。日本の妖怪の続編みたいのがあって、それが世界の妖怪とかなんとかいう本だった。
じゃ。アメリカにも妖怪いるのかよ!って話になるが、そんなことはどうでもよいのが水木氏であり私であった。
その中にジャックアランタンだかジャックアランターンだったかがいてハロゥインに出るとあって知っていた。当時は英語わからなかったけど、今、思えばJack a lanternなんだろう。
で、思い出ってーのはこの話じゃなくて、最初に戻ると子供の頃は今のようなイベント的なハローウィンはなくて、大学くらいから浸透してきたと思う。
当時クラブやディスコでイヴェントとして仮装してどうのこうのだった。
ガンペキとかはスーパーマンの衣装やなんかででかけてたな。
自分はないと思う。
ただ当時マーケイつーのがこっちに来てて、マーケイの誕生日がここらあたりでバースデイとハエロウィンを一緒にやっちゃおうみたいな感じでやった。
マーケイはあのキャッツ・アイを歌ってる人のバックダンサーでLAからきてた。モーリー(日本人)はロスに行った時にマーケイの家に居候してたっけ。
で、自分はたしかアメフトの格好(よくわかんないけど急に決まってなんの衣装もないからアメフトやってた友達に借りた)でいったら本物のサイトーがなんかメジャーリーグかなんかの野球に衣装に顔面ペイントかなんかでいた。となりの部屋では宅八郎が女性とデートしていて驚いた。
本物のサイトーと言うのは同級生でたしか紺のポロシャツ(青ではない)を着ていてドラちゃん(ドラえもんのこと)と呼ばれた。そのうちドラをサイトーと言っていて紛らわしいので人間のほうを本物のサイトーと呼ぶようになった。
みんな元気だろうか?