阪神淡路大震災から29年。
当時わたしは幼かったこともあり
揺れも状況も覚えてない。
唯一覚えているのは
寝ている私に母が必死に
覆いかぶさっていたこと
危機迫る、その気迫が
こわいと感じたくらいに必死だった。

2024年1月1日に地震があって
石川県に住んでいることもあり
沢山の方に連絡いただきました。
心を寄せてくださって
ありがとうございます赤薔薇感謝。



そしていま近くで関わっている方が
自分にできることを。と
祈りの場をつくってくださったり
現地の声を聞き支援物資を届ける活動を
してくださっていることにも感謝します。
私が住んでいる地域は
倒壊や断水もなく、物も倒れることもなく
今までとかわらない日々を
過ごさせてもらっています。

一昨年の9月から12月まで
珠洲市、能登町、羽咋、七尾に
ずっと滞在していました。
ニュースにうつる映像には
知ってる場所がいくつもありました。






当時、娘を抱っこしながら
夫と仕事をしていて
沢山の現地の方とお話していた





能登のおばあちゃん。
早くに旦那さんが亡くなっていて
でも靴を残されていて、玄関にあった。
それが大きなサイズで
そこからおじいちゃんの話を聞かせてくれて
お家にもあげてもらって
仏壇にご挨拶もさせてもらった。
とても立派で綺麗にされていたな〜
柔道の先生をしていて
手も足もおっきかったんだよー!と
写真を見ながら聞かせてもらった。

能登の海沿いのおじいちゃん。
子どもが大好きでお孫さんや
曾孫さんの写真を嬉しそうに見せてくれた。
お米を作りながら国鉄で
働いていた話をしてくれて
奥様への感謝、
女性へのリスペクトをすごくされていた。
食べきれないから
お米を一袋もらってくれないか?と
言ってくれて頂いた。
こっちがもらってるのに
嬉しい〜ありがとうって言ってくださって
帰りの段差も娘を抱えてる私に
手を添えてくださって
優しい手だった。
民宿をされてるご夫婦の宿。
お母さんは働きもので
ちょうど洗濯場で一緒になってお話してくれた
私は外に働きに行ってたのに
帰ってきたら勝手にお父さんが
民宿するって契約してたのよ!と
私がみる限りお父さんは
何も働いてなかったけど(笑)
お母さんと娘さんで
テキパキ食堂をまわしている姿が素敵だった。
親戚のように接してくれて
帰りも〝またおいでね〟と

ニュースをみると心配はつきないけど
いま出来ることは

出逢ってきた人たち
その周りの方達が
笑顔で温かくすごせていると祈り願うこと。

そして信頼できる方への寄付。
周知のための声かけ。
そんな事で力になれたら。


みなさんが笑顔でありますように花束
また会いにいきます*

写真は私が小さい時に
遊んでいたシルバニアうさぎガーベラ
珠洲市の5歳の子が
クリスマスプレゼントが手元に戻らないと
悲しんでいる声をシェアしてくださって
送らせてもらうことに。
年末年始にたまたま母がだしてくれていて
母も私も、娘も甥っ子も
みんなで遊んでから珠洲市へ渡ることに。
とてもいい流れで渡せた気がした。

その子の元で沢山また思い出つくってねふたご座ラブラブ