ひとりの人に全てを求めるよりも

ちょっとづつよい感じをチョイスしながら

自分のささやかな幸せを築いていきたい。


年に一、二回しか会えないけど

自分の弱い部分をさらけだせる人。

バリバリなキャリアウーマンで刺激を受ける人。


職場で、仕事の悩みや意見交換出来る人。


そんな友達とは別にお気に入りの人達がいる。




身体の不調を和らげてくれる整体師の先生。

通勤途中の横断歩道で交通整理をしている地域のおじさま。




整体師の先生は聞き上手、話し上手。

映画や小説、人間関係の距離の取り方など
話題豊富な頭の良い方で

身体も気持ちも癒してくれる。



交通整理のおじさまは、いつも笑顔で

かなり大人な私にも

『行ってらっしゃい』と声をかけてくれる。



もうひとり、手押し車を押しながら

朝早くゴミを拾ってまわるおばあさま。


『おはようございます』


と声をかけたら


『気をつけて行ってらっしゃい』


と逆にいわれ

これまた嬉しい気分になった。



緩い絆





ひとりひとりのちょっとした好意が、抱きしめられるくらい集まったら


きっと生きていく力になりうる。



私には

誰も頼れない
自分が頑張るしかない

と張り詰めていた時期があった。


そんな時

先ほど書いたおじさまが


横断歩道を渡れるようにわざわざ旗で車を止めてくれ(…自分で出来る事なのに)


『行ってらっしゃい』と言ってくれた。


ただ笑顔の一言に

守ってもらえてる

そんな感じがしてほんとに嬉しかったから。





若かりし昔、

今日よりも明日
幸せになってやる!

と誓った日があったけれど



これからは

今日よりも明日
色々な人に声をかけよう!


こういうモチベーションで生きていきたい。

ちょっとした勇気がいるけれど


それはなんて簡単なことでしょう!




『 絆 』の大切さ

絆って色々種類があると思うんだ。


楽しさを共有するランチやお茶友達。


刺激を受ける勉強仲間や仕事仲間。


地域や子どもの学校関係の知り合い。


もちろん、何よりも大切な家族との絆。




絆はガチガチに縛りあうものではなく


緩いゴム編みみたいな方がいい気がしてた。



今もそう思うんだけど、

人を想うアンテナだけは

つねに立てていなきゃと思う出来事があった。









同級生が亡くなった。






自殺かもしれない。








救命救急に携わる人だったから、

辛い思いに共感しすぎて

しんどかったのかもしれない。




いつか、悩める人を助けれるような事務所を立ち上げたい…


友達とそう語っていた姿は、

私にはすごく眩しかったのに…







スロースターターながら


消費生活相談員や行政書士の勉強を始めたのは


いつか、その仲間に入りたかったからなのに…








『 絆 』


楽しさで簡単に人は繋がるけれど


そこに苦しみが入ると関係性が変わる。



でも本当は


キズから絆は出来て


哀しみを一緒に乗り越えてこそ出来るのだと思う。




血液は

赤血球だけなく

白血球や血症板などが役割を果たす事で

生きた血が流れるように



人間関係も


近い人だけが頑張るのではなくて


もっとゆっくりとした大きな関係性で


色々な人から声をかけられながら


キズを治していける社会であれば



きっと温かい世界になるだろう。



それを求めるのでなく



作っていく事が



私達に残された義務なのだ。





不思議と

10年前におぼろげに考えていた事が

今、形になっている事があります。


○○ちゃんのお母さん

○○さんの奥さん


こう呼ばれるのが

イヤでイヤで、たまらなかった専業主婦時代。



今では、仕事にPTAに


○○さん家の…ではなく

ちゃんと個人として生きている実感があります。




さて、あと10年後の私は


法律に関わる事を

最後の仕事にしつつ


地域の中に深く根差しながら

色々な人と繋がり

生きていきたいですブーケ1