少女は呆然とその光景を見つめた。
声も出せず、ただじっとそうしている。
燃えているのは、彼女が産まれ育った家と村。
もはやそこに生命はない。
炎は容赦なく、全てを飲み込んで行く。
熱に灼かれた右目は朱に染まっている。
残った左目から滂沱の涙が溢れていた。(その1より抜粋)



「あんたが………『パンドラ』を追ってるって聞いたんだ」

 過労で療養中だったジルコニアを訪ねて来た青年ワッツ。
青年と言っても、ジルコニアよりもまだ若く、少年と言っても差し支えない年齢だ。
だが、彼の目は普通の少年では持ち得ないほどの哀しみに満ちていた。
その理由を訊いても、苦い表情をするばかりで語ろうとはしない。
秘匿したい…というより、口にするのも憚られるほど嫌悪しているようにも見受けられる。
瞳に浮かぶ苦痛と憎悪が気になって、ジルコニアは彼の同行を拒否する気にはなれなかった。

 何よりも、ジルコニアの興味を引いたのは、彼が『パンドラ』という組織を追っているという事。
それは、自分にとっても何よりも知りたい事だった。

「貴方が…知っている事を話して下さいます?それと引き替えに、アタシたちの調査の内容もお教えしてもよろしくてよ?」

ハッと顔をあげた青年は、ゴクリと喉を鳴らし、ゆっくりと頷いた。



「そ…れは…、事実…ですの?」

 声が震えないようにするだけで精一杯だった。
ワッツはジルコニアの動揺には気づかぬようで、言葉を続けた。


 彼は、条約所領のマンスールの出身だと言う。
尤も、連合最西のひなびた漁村の住民で、日々漁をして生計を立てており、戦に参加した事はない。
彼の兄たちや村の若者の多くは傭兵としてマンスールやキルヒスに従軍しているそうだ。
彼もそういう年頃にはなっていたが、年老いた両親を残すのも憚られたし、何よりも自身が戦を好きではなかった。
だから、彼は村に残り、漁の手伝いをして暮らしていた。

 その生活が一変したのは半年ほど前の事。
妙な一団が村にやってきた。
彼らは、アカデミーの調査団というふれこみだったが、何を調査しているかは曖昧に口を濁す。
尤も、村人たちは、アカデミーの事だから市井の者には理解できない高尚な調査だろうと、それ以上追求はしなかった。

 彼らの中には魔法師だけでなく、数名の邪紋使いも同行していた。
尤も、乱世に於いて、護衛という存在が必要な事も解らないではない。
だから村人たちは、彼らに宿を提供し、僅かな蓄えから食事を提供し、便宜を図ったのである。

 そして悲劇は起きた。

 調査団が来て一週間ほど過ぎた頃、村に残った健康な大人たちが一人、また一人と姿を消した。
困惑した老人たちは、調査団を頼みとするが、彼らは調査の方が重要だと言って相手にしない。
急いで臨時の自警団を結成して夜ごと村を見張るものの、被害を食い止める事はできなかった。

 やがて、その災いはワッツにも伸びた。
ある朝、目が醒めると、そこは見知らぬ場所。
薄暗い小さな部屋に転がされ、しばらく自分の置かれた状況が理解できなかった。

 そこで彼らは知る事となる。
自分たちは実験台として拉致されたのだという事実を。
いや、実験ならまだマシだったかも知れない。
それどころか、自分たちは強化された邪紋使いの生きた的として捕らえられたのだ。

 引き出された広場でワッツは恐怖した
人々が抵抗虚しく邪紋使いに惨殺される様を。
続いて、近所の小父が、何人もの村人が…いや、彼らの村以外からも連れて来られた人々が…。
邪紋使いの身体から伸びた無数の触手。
次にそれがワッツに届こうとした瞬間、何かが彼を押し倒した。

『逃げて、ワッツ!』

 触手に貫かれながら叫んだのは母だった。
その口から血を吐き、もはや助からない事は明白。
ワッツは無我夢中で走り出す。
母を助けるために。
だが、その前に立ちはだかる者が居た。

『逃げろ、ワッツ!お前だけでも逃げるんだ!』

 父だった。
年老いたとはいえ、漁で灼けた肌はワッツから見ても逞しかった。
何か言おうとして、ワッツは更に押しやられる。
その瞬間、父の身体を邪紋が貫くのを見た。
声にならない悲鳴をあげ、パニック状態でワッツは駆け出していた。


 どうやって逃げたか、それすらも覚えてはいない。
気づいた時には波間に漂う倒木に掴まっていた。
振り返ったそこに遠く島影が見える。
あそこから逃げて来たのか。

 辿り着いた浜辺で、通り掛かった商人に助けられた。
ワッツが逃げて来たのは連合領エストレイアの南にある小島。
地元の者たちはあの島を『焦土の島』と呼んているそうだ。
島は一面の焼け野原となり、今は誰も住む者はいないらしい。

 17~8年前、あの島は海賊に襲われ、僅かな住民は皆殺しに遭ったのだという。
殺される前、住民たちは自ら島に火を放ち、海賊たちを道連れにしたらしい。
劫火におののき、辛くも逃げのびた海賊の手下たちは、あそこには炎の化け物が居るのだと吹聴して廻ったという。

 だが、ワッツは知ってしまった。
あの島には、今は人が住んでいる。
心に狂気を宿した忌まわしい者たちが…。

 『パンドラ』という名前は、島に居る時に、彼らが口にしていた名前だった。
彼らは各地で辺境に住む人たちを密かに連れ去り、実験台にしているのだ。
ワッツのように何の力も持たない身では、どうする事もできない大きな組織。
必死になって調べるうちに『パンドラ』に対抗するために彼らを追っている者が居ると知った。
その中でも、辺境を廻って情報を集めているジルコニアに辿り着いたのだという。


「助けてくれた商人さんたちに条約領まで送って貰ったけど、俺の村はもう誰も残っていなかったし…、どうする事もできなかった」

 胸に秘めていた事を一気に話し尽くして、ワッツは大きく息をついた。
ジルコニアの手が魔法杖を握ったまま小さく震えている事には気づかない。

「お願いだ!父さんや母さんの仇を…!」

 ジルコニアはじっと目を閉じ、何かを考え込んでいるようだった。
しばらくして顔をあげると、ワッツにそっと微笑み駆ける。

「辛い事を話させてごめんなさい。よく…解りましたの。今すぐに…とは参りませんが、必ず貴方の願いを叶えてみせますわ」
「本当に!?本当に仇をとってくれるんだね!?」
「ええ、お約束します。『パンドラ』に人生を踏みにじられたのは…貴方ばかりではありませんし…」
「あんな島、あっちゃいけないんだ!いっその事、島ごとあいつらを…!お願いします!本当、お願いします!」


 ワッツに今日は休むように言って部屋を下がらせる。
自分ももう休むからと、部下たちに告げて、ジルコニアは扉を閉めた。

 ずるずる…ペタン。
扉を背にして、そのまま床に座り込む。

「『焦土の島』………、いいえ、違う。違いますの…」

 涙が溢れた。
何てこと…。

「島の…名前は…フルーレシア…。四季の花が…咲き乱れる…平和で…美しくて………」

 嗚咽が漏れた。
そうではないのだ。
火を放ったのは村人でも海賊でもない。

「父ちゃま…、母ちゃま…」

 呼びかけに応える声はない。
ただ、涙が止まらなかった。



 まだジルコニアがただの少女だった頃。
彼女の双眸は蒼銀で、髪もやや茶色がかった黒だった。
辺境の小さな島で、戦乱の事も知らず、無邪気に駆け回る。
小さな村で一番歳若い彼女を大人たちは可愛がってくれた。

 そんなささやかな幸せを奪ったのは、突然やってきた海賊たち。
南方遠征の際の足がかりにしようと企んだらしい。
夜陰に紛れ、彼らは島に上陸。
手当たり次第に住民を殺戮して廻った。

 ジルコニア自身も、海賊たちに追い回され、重傷を負う。
そんな彼女を庇おうとした両親をも、海賊たちは容赦なく切り刻んだ。

『父ちゃま!?母ちゃま!?ダメ!やめてぇぇぇぇぇっ!!』

 怒りと衝撃がジルコニアの中の何かを刺激した。
双眸が白銀に輝き、業炎が生み出されたのはその時。
業炎は海賊たちと周囲を容赦なく焼き尽くした。

 だが幼い彼女はその力を制御する術を知らず、力は暴走。
炎は彼女自身にも襲いかかり、右目は灼かれ、左目もよく見えない。
必死に炎が治まるように祈り続け、恐怖の夜が明ける頃、ようやく炎は虚空へと消える。
だがその時、もはや島の全ては灰燼に帰していた。

『え…?あ…?』

 見回すが、いずこにも生ある者の姿はない。
海賊たちも、村人たちも等しく息をしておらず、大半が炎に灼かれ無残な姿となっていた。

『いやぁぁぁぁぁっ!!』

 アカデミーのヴェイス師らが駆け付けた時、彼女は焼け落ちた村の中で呆然と座り込んで居た。
言葉を発する事も身じろぎする事もできず、ただじっと虚空を見つめるばかり。
右目の視力は失われ、かつての蒼銀の瞳は血の紫に。
濃茶の髪は老婆のように白銀と化し、傷ついた背中を覆っていた。



「故郷…ですの。例えどんなに…変わり果てて…いようとも…。アタシの…大事な…」

 呆然と呟き続けるジルコニア。
その脳裏には、まだ美しかった頃のフルーレシアが浮かんでいた。

 島を襲った海賊を焚きつけたのは、ノルド候だと推察される。
だが、その候を唆し、あんな辺鄙な島を襲うよう誘導したのは一体誰か?
答えは…言う迄もない。

「許せ…ません、『パンドラ』。アタシから…両親を奪い、義父を奪い…、この上故郷まで蹂躙するつもりですの?」

 『パンドラ』を追ううち、幾度も妨害に遭った。
刺客に襲われ、調査を邪魔され、資料を盗まれかけた事もある。
それでも追う事はやめない。

 島滅亡の責を問う人はいないだろう。
当時まだ5歳か6歳で悲劇に見舞われ、たった独り生き残ったた少女を責める謂われはないからだ。
しかし、当の本人はずっと自分を責め続けていた。
故郷を人の住めない姿にしたのは自分だ。
だから取り戻したい。
あの島を忌まわしい陰謀の拠点になどされたくない。

「絶対に…あの島を…」


 ジルコニアの前で、更にもう一人が生命を落とす。
パンドラに襲われた彼女を庇ってしたのは、エルフの青年。
ワッツから島の現状を聞かされてから、僅か10日後の事だった。
 あれは邪魔だ
いかに個々の能力が優れた魔法師の集団と言っても、統率する者が居なければ烏合の衆に過ぎぬ
たかが野良魔法師のよせ集め、捨て置いても他愛ない存在
そのはずだった

 だが、あの娘が予測を裏切った
的確な指示で魔法師をまとめ上げ、機動力を鍛え、戦場のいずこへでも臆する事なく現れた
絶対的な防御力を備え、敵の攻撃を着実に阻む
自らの魔力を放つのではなく、味方の魔力を集積し、縒り、練り上げ、数倍の威力に高めて放つなど尋常ではない

 我らの存在に気づいたあの魔法師が育てた娘
あの時一緒に葬ってしまえばよかった
いや、まだ遅くはない
今からでも息の根を止めてしまおう
やつは我らの存在に気づき、執拗に追ってくる
捨て置けばいずれ禍根となろう
滅せよ
滅せよ
汝、戦場の露と消え果てよ


 男は戦場に居た
目指す先は前線やや後方の小高い丘
そこは盟主テオの本陣ほとではないが、前線を見渡す事が出来る位置
前線を目指す吶喊タイプのロードが陣を敷くには理想的だろう

 しかし、今そこに居るのは、戦いに向いた姿の者ではない
一様にローブに身を包み、手には魔法杖を握っている
通常、戦場に集団で居る事のない存在
連合にも同盟にも存在しない、魔法師のみで編成された部隊
彼らは一心に詠唱を続けている
その中心に立つ女性が力の方向性を決め、炎熱、礫、凍気、猛風を操っていた

 魔法の素養がある者が視れば、部下の魔力が彼女に向かって放たれている事に気づくだろう
部隊は常時8名で構成され、それぞれが得意分野を持っている
いずれの力をも最大限引き出し、増幅し、敵に放つためには、彼女自身が強大な力の受け皿としての器をもたねばならない
彼女自身が内包する魔力を行使する所を見た者は殆ど居ない
よほどの事がなければ、彼女はその力を揮おうとしなかった
揮う事を控えているのか、それとも怖れているのか…

 だが今はそんな事を検証するのが目的ではない
いや、検証する暇さえ与えるつもりはないのだ
何しろ今日、彼女は死ぬのだから…


 危 険 怖 い 危 険 黒 い 危 険 恐 ろ し い 危 険 危 険 危 険 逃 げ て …

 その気配に気づいたのは、広い戦場でただ一人だけだった
魔力を帯びた剣を揮い、魔法師たちに近づく敵を打ち倒す美貌の剣士
人とは違う感覚を持ち、人に見えぬものを見る目を持った異種族の青年
森に棲むエルフと呼ばれる彼は人ならざる身で戦場に身を投じた
彼がその身を寄せる先に選んだのは、彼と同じく精霊を視る事のできる娘の元

 アストワースは、精霊が何かを訴えている事に気づく
その指し示す先には、彼の仕える精霊に愛された娘が居た
その少し手前で何かが蠢いていた
黒く渦巻く靄のような何か
いや、それ自体は『人』と呼ばれる存在であるが、その纏う気配は忌避すべきものであった
血に飢え、常に危険と戦場を求める邪紋使いのウィルバットですら、これほどの悪意は持たない

「いけない…!」


 大規模な防御魔法を展開し、ジルコニアは新たな詠唱にかかる
持続的に効果の続く魔法なら一度唱えてしまえば、しばらくはかけ直す必要がない
そうではない一時的な防御壁や、変化する風などは、連続的に詠唱をしなければすぐに効果を失ってしまう
仲間を護ると心に誓う身として、詠唱を途切れさせる事はできない
部下たちの魔力を紡ぎあげながら、ジルコニアは戦場に意識を集中させる

「え…?」

 魔法の焔に灼かれ、視力を失った右目
紫に染まったその目に何かが映った
それが何かを教えてくれたのは、エルフのアストワース
彼は、それを『精霊』だと言った
人でも生物でもないそれらは、何かを訴えかけているように感じる

「(何?何を言ってますの?アタシは貴方たちの声を聞く事はできませんの。一体何が…)」

 ジルコニアの集中が切れかけた瞬間、視界の隅から何かが飛び出して来るのに気づく
精霊に気を取られ、集中と解いていなければ気づく事さえ出来なかっただろう
瞬時に見極めた相手は、全身に邪紋を刻んだ見知らぬ男だった
その手には燦めく何かが握られて居た
刃物だと気づくには多少の時間を要したが、咄嗟に身を退く
だが、明らかに相手の方が速い

 物理的な防御に乏しいのが魔法遊撃隊の弱味
それゆえに傭兵として、邪紋使いのウィルバットと魔法剣士のアストワースが着いて居たのだが…
丘に近づく兵を牽制するため、今二人は丘を下っていた
故に、ジルコニアらの近くには戦闘巧者は居ない
否、彼らはおびき出されたのだ
この機を得るために…

 閃く刃に対してジルコニアには身を退く以外に出来る事はなかった
異変に気づいた部下たちも、咄嗟に庇うには距離がありすぎた

 ザクリ…

 肉に刃がめり込む鈍い音
だがそれは、ジルコニアらのものではない
アストワースの魔法剣が邪紋使いを薙ぎ払った音

「アスト…!」
「私の雇い主を殺させはしません!」

 だが、薙ぎ払ったはずの相手は、切り裂かれながらもニヤリと笑った
彼は、死せる者だったのだ
「…まさかアンデッド!?」
「いけない!」

 引こうとした魔法剣がピクリとも動かない
邪紋使いの肉体が剣を取り込む勢いで増殖し、傷を塞ごこうとしていた
しかも、彼はまだジルコニアを諦めていない
彼は本来なら有り得ない体勢で、再びナイフを揮う

「…っ!!」

 周囲の音が消える
視界を覆われ、呆然とするジルコニアの目に、何かキラキラとしたものが降りかかった
自らの銀髪と相対的な陽の光を映したような金髪
小柄なジルコニアを包み込むようにして、アストワースが立って居た

「…アスト?」
「貴様ぁぁぁぁぁぁっ!!」

 駆け付けたウィルバットがその腕を刃に変え、男に襲いかかる
応戦しようとした男は何かに気づいた様子で顔色を変えた

「私の…魔法剣を取り込んだのが…運の尽きでしたね。その剣は…混沌を…喰うのですよ…」
「ぐ…はっ!?」

 身を変形させて回復を図るが、思うようにいかない
明らかに邪紋が剣に食われている

「う…嘘だ…そんな…、俺は…死なな…………あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 ウィルバットに切り刻まれ、男は息絶えた
死ぬはずがないと信じて居た自らの力を失い、モノ言わぬ骸と化して…

「助かり…ましたわ、アストワース。怪我はなくて?」

 案じるジルコニアの表情が曇る
彼女の右目には、それが視えてしまったから
アストワースの身体から、生命力が失われていく様が…
ゆっくりと彼の長身が地面に崩れ落ちていく
背中には深々と邪紋使いのナイフが突き立っている
忌まわしき黒に染まった刀身は、その根本までアストワースの身体を貫いていた

「アスト…ッ!!誰か…、回復魔法を…急いで!」
「もう…間に合いません…よ…。解って…おいででしょう?」
「いけません!諦めてはダメ!まだ…、まだ貴方の望みは何も叶っていないではありませんの!」
「詠唱…続けて…下さい。貴方の…援護を…必要とす…る人……たくさ…ん…」


 アストワースは静かに目を閉じる
一生、森で過ごすと思っていた幼い日々
戦乱により混沌が頻発し、森が汚染されるのを嘆き、忌避していた人との接触を持つ
彼らは自分の知る人間たちとどこか違っている
魔法師という特殊な人間には興味を覚えたが、所詮は人とエルフ
本来のところでは解りあえないと思っていた
戦争を早く終わらせ、森に帰る事を夢見る日々

 ただ、人には見えぬはずの精霊を視る女性には、甚だしく好奇心をそそられた
彼女は精霊を知らなかったが、自分の話す精霊の存在を素直に受け入れる
次第に、彼女の傍で戦う事に意味があるのだと思えるようになっていった
自分はエルフ
彼らよりも長く生きる事を運命づけられた存在
いつか、森に帰ったら、人と言う存在が決して卑小なものではないと子供たちに話して聞かせようと思っていた

「アストワースッ!お願い、目を開けて下さいまし!」

 この人の往く末を見届けたかった
けれど…

 ジルコニアにとって、その人は新たにみつけた師であった
幼い日、あの地獄のような島から救い出し、居場所と寝床を与え、力の意味と使い方を教えてくれた義父
その義父ですら教えてくれなかった事を教えてくれたのはエルフの青年
彼はジルコニアの知らない世界の事を厭う事なく話してくれた
森のこと、エルフのこと、精霊のこと
混沌から仲間を救いたいという彼の願いは、ジルコニアの信条とも合致した

 部下の治癒魔法の効果も芳しくない
彼の生命そのものの力が尽きかけているのだ
ジルコニアの腕の中で、静かに、だが確実に生命が消えようとしている
義父の時と同じように…

「いやあぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 鎮痛の面持ちでモノ言わぬ姿となったアストワースを見つめる部隊の者たち
誰もが言葉を失っていた
決して長いとは言えないつきあいだが、彼は間違いなく自分たちの仲間だった


 戦場の仲間たちも異変に気づいた
常に戦況を把握して的確な防御魔法を展開していたはずの遊撃隊
彼らの魔法がふいに途切れたのだ
永続的な効果のある魔法は切れてはいない
それに他の魔法師たちからの支援は届いている
だのに、臨機応変に展開されていたあの部隊からの魔法だけが途絶えている
まさか…、彼らに何か…

 しかし、様子を見に戻る事は出来ない
そんな事をすれば敵に背を向ける事になってしまう
無事であってくれ
そう願いながら、皆は目の前の戦いに意識を戻した


「………いつまでも座り込んでんじゃねぇよ、主」

 ふいにウィルバットが口を開いた
驚いて顔をあげるジルコニアに、彼はいつもの不敵な笑みを浮かべる
「アストが言ってただろうが。詠唱に戻れ。まだ、戦は終わってねぇ」
「あ………」
「仲間を護る、それが部隊の信条だろうが。ここで止めちまうつもりか?そんなこっちゃこいつがあんたを護ったのが無駄になるぞ」

 涙はまだ止まらない
しかし、ギリッと音がするほど唇を噛みしめ、ジルコニアはアストワースの亡骸を見つめる
その姿を目に焼き付けるかのように…

 ふと、視界に不思議なものが在る事に気づく
人でもなく生物でもなく、さりとてこれまでのようにボンヤリした存在でもなく…
あぁ…と、ジルコニアは息をついた
これがアストワースの視ていた世界なのか
彼らが悲しんでいるのが解る
親しき森の住人が生命を終えた事を理解しているのか

 アストワースを静かに地面に横たわらせ、ジルコニアはゆっくりと立ち上がる
彼がジルコニアの元を訪れた日の事は、昨日の事のように思い出せた
一日も早く戦を終わらせ、混沌を鎮め、精霊や森の住人たちの穏やかな暮らしを取り戻したい
彼はそう言って、部隊に加わったのだ

 グイと涙を拭い、モノクルをかけなおし、ジルコニアは丘の突端に立つ
戦場では仲間たちが生命賭けで戦っている
泣いて居る訳にはいかない
タクトを握りなおし、正面に構える
背後では、部下たちも詠唱の準備にかかる
ジルコニアが戦線に復帰するのなら、それに従うのが自分たちの勤めなのだから…

「風よ氷よ…」

 いつもの詠唱を始めようとして、違和感を覚えた
そうじゃない
自分の魔法はもっと………

「…大気の精霊よ、水の精霊よ、その力を貸して…。アタシの大事な人たちを炎や刃から護ってあげて…」

 戦場を風が吹き抜ける
氷片を含んだ護りの風
それがジルコニアの魔法だと気づいて安堵した仲間は少なくない
ただ、風の匂いが、その護りの力が、今までとは違う事に気づいた者はどれほど居るだろうか

「貴方たちのお友達…死なせてしまってごめんなさい。でも…、彼の願いはアタシが…、アタシが必ず叶えてみせますわ」
 治安の悪いスラムになど、本当は行きたくない
だが、ここに手掛かりがあるという噂を聞き込んだ
不確実性は高いが『パンドラ』に迫るための情報は喉から手が出るほど欲しい


 散々歩き回ったが、それらしい情報は聞こえて来ないまま
陽も落ちようかという頃になっても、手掛かりらしいものは何もない
「ガセネタを掴まされたか?主、あんまり深入りすんな。本来、アンタみたいに育ちのいいお嬢が来るような街じゃねぇ」
「…アタシは決して育ちがいい訳でもお嬢でもありませんわ。いい加減、その認識を改めて下さいまし」
「俺から見りゃあアカデミー育ちなんざ、いいとこのお嬢と大差ねぇ」

 ウィルバットに反論しようとした瞬間、周囲の様子がおかしい事に気づく
周囲を妙に目つきの鋭い男たちが取り囲んでいた
「あん?何だ、手前ぇら?」
剣呑な気配を振りまくウィルバットに怯まない時点で、ただの民間人ではなさそうだ
スラムにたむろって居るゴロツキなのだが、どうも様子がおかしい
「どうやら偽情報だったらしいぜ、主」
「そういう…事のよう…ですわね」

 情報を持って来た男は酷く怯えていた
あれはどうやら、ジルコニアを陥れる事への罪悪感故だったようだ
『パンドラ』は、自らを嗅ぎ廻る相手を排除にかかったらしい

 唇をペロリと舐め、ウィルバットがジルコニアを背に庇う
「手前ぇら、退くんなら今のうちだぜ?俺にゃあ勝てねぇよ」
「…見たところ、戦士ではないようですわ。出来れば生命までは…」
「確約はしねぇ」
「本当に…仕方のない方ですわね」
「俺は主に危害を加えるやつを叩きのめす。その代わり主は俺に戦場を与えてくれる。そういう契約だ」

 彼はとにかく『危険』が好きなのだ
それは決して気負いでも強がりでもない
危機に身をさらす事によってより強くなる事だけを純粋に求めている
ジルコニアは溜息をつきながら、小さく詠唱を始める

「風よ氷よ、盾となりて我が身を護れ。火炎よ、ウィルバットに更なる力を授けよ」

 風がジルコニアを包み込み、ウィルバットの手元に炎が生まれた
ザワリ…
彼の身を覆う邪紋が蠢き、炎を纏った禍々しい刃となって顕現
「忠告はしてやった。後悔はあの世でしな」
彼の足が地を蹴った後、決着がつくまでさほど時間は要しなかった
「先生!?先生、どうなさったんですの!?」

 ある朝、研究室を訪れたジルコニアが目にしたのは、血の海に横たわるヴェイスの姿であった。
慌てて駆け寄るも、流れた血の量は少なくない。
既に青ざめ、生気の感じられぬ師の姿にジルコニアは悲鳴をあげる。

「先生!!ヴェイス先生!!」

必死で揺り起こすが、意識が戻る気配はない。
床に流れ出る血は、腹部の傷からだ。
鋭利な刃物で
傷は決して浅くはなく、放っておけば死が目前に迫っている事は明らか。
急いで救命魔法を唱える。
「天地応現、血よ、肉よ、傷を癒やせ!先生っ、しっかりなさって!」

 ピクリ。

 微かにヴェイスの指が動き、ゆっくりと腕があがった。
「先生っ!?」
指先が頬に触れた瞬間、ジルコニアはその手を握りしめる。
冷たい、力のない手だった。
海賊の襲撃で両親を奪われ、自らの力の制御ができず、生まれた村さえも失ったジルコニア。
絶望に沈む彼女を地獄から連れ出してくれたのがヴェイス師だった。
アカデミーに連れ帰り、自らの養女として生活の場と力を制御する方法を教えてくれた恩人。
今のジルコニアにとって、唯一の家族。

「イヤです、先生!死なないで!お願い、お義父様っ!!」
「……………ジル………ア…、気をつ……パ…ン………ラ」
「お義父様っ!?」
「………奴…ら………この………を………裏…で………」
「ダメですの!アタシを独りにしないで下さいまし!」
「お前………の……力は……ぐっ…ふっ!」
「お義父様っ!?」
ヒューヒューと喉が鳴った。
今にも途絶えそうな息を必死に吐き出して、ヴェイスは何かを言おうとする。
だが、時間は残されていなかった。

 コトリと落ちた手。
そこに生命はなく、ジルコニアの腕の中でヴェイスの身体は冷たくなっていく。
「そ…んな…、お義父様……………お義父様ぁーっ!!」

 アカデミーの魔法師たちが駆け付けた時、ジルコニアはヴェイスを抱きしめたまま、ただ座り込んでいた。
かつて、焼け落ちた村の中でヴェイスに見いだされた時と同じように…。


 事件からほどなく、ジルコニアは協会を辞す。
新たな養父の元で研鑽を積むようにと言われたが、それは断った。
彼女の背中を押したのは義父の最後の言葉。

”ジルコニア、気をつけるのだ、パンドラという組織に。
奴らはこのアカデミーを裏で利用しようとしている。
お前の力を悪用されてはならない。
逃げなさい、ジルコニア”

 声にはならなかった。
だが、魔法師には声を出さずに会話をする方法がある。
師は最後の力を振り絞って、魔法による心話でジルコニアに危機を告げたのだ。

 そして、密かに調査をするに連れ、このままアカデミーに居てはいけないと感じた。
また、師が集めた資料を見つけだし、衝撃の事実を知る。
自分の故郷を襲った海賊たちも、パンドラの息がかかっていたという事を。
師は、ジルコニアの故郷を襲った災いについて調べるうちに、パンドラという組織に行き着いたらしい。
その事に気づかれて、口を封じられた可能性が高いのだ。

「アタシが必ずや連中の尻尾を掴んでみせますわ」

 ジルコニアは唇を噛みしめる。
その手には、師の形見となった魔法杖が握り締められていた。
自分から全てを奪い去った者を許す事などできない。
師の無念は自分の手で晴らしてみせる。

「お義父様、見て居て下さいまし」
 友人の邪紋使いヴェーダが、なんと戦場で100人斬りを達成したという。
これには敵味方双方から驚愕と感嘆の声があがった。

 前線に居てその戦果を目にしたジルコニアらも、その獅子奮迅の活躍ぶりに賞賛の声を漏らす。
「ヴェーダ殿…、凄い…ですわ」
「いやはや…敵に回したくない方ですな」
唯一、ウィルバットだけが不満そうに鼻を鳴らした。
「ふん、結構やるじゃねぇか」

 そこへ、まだ戦いの昂奮冷めやらぬ、人型の獣が近寄ってきた。
飢えた瞳には先程までの殺戮の余韻がありありと浮かんでいる。
聞き覚えのある声の主に凶暴な笑みを向けた。
「…っは!敵にって、オレだってあんたらを敵には回したくないね!本気以上の力でやり会わなくちゃならないしな!」

 ヴェーダを支配する狂喜に、さしものジルコニアも少々たじろぐ。
だが、次の瞬間、眉根を寄せるとツカツカと傍に歩み寄り、その腕をグイと掴んだ。

「ヴェーダ殿、こちらへ…!」
「えっ……って、ジルコニア!?待て、ちょっ…」

 思いがけない行為に、ヴェーダの顔に困惑の色が浮かぶ。
しかし、ジルコニアは手を放さず、彼をぐいぐいと引っ張って行く。
小柄な身体のどこにそんな力があるのかと思うくらいだ。

 戸惑うヴェーダであったが、その手を振り払う事には躊躇する。
自分が本気になれば、こんなもの振り切れぬはずはないのだが…。
彼女の真剣な表情に気圧されたらしい。

「昂ぶっておられるのは解りますが、御身をよくご覧なさいまし。このまま戦い続けるには看過できない傷ですわよ」

 どうやら、乱戦で負った傷を見咎めたらしい。
確かに、100人も斬り伏せたヴェーダの身体は、多くの傷を負っていた。
纏わり付く血飛沫の大半は敵のものであったが、いくらかは彼自身のものも混じっている。
即座に部下たちが応急処置の用意を始め、有無を言わさぬ勢いで、ジルコニアは彼らの傍へとヴェーダを誘った。

「分かった、わかったってば!それよりも…汚れるっ!!」
「汚れる?今更ですわ」

 その様子を見ながら、ウィルバットがクックッと喉の奥で笑う。
「違ぇねぇ。なにせこいつら、砂埃やら傷だらけの魔法師らしからぬ風体だしな」
確かに、ジルコニアを始め、部下たちもみな砂埃や血飛沫で汚れていた。
「まぁ、我々は問答無用で前線まで行ってしまいますからね」
ヴェーダの傷を清拭しながら、部下の一人が笑いながら同意した。
彼らは後方支援職であるはずの魔法師だというのに、最前線まで突出してでも仲間を護る事に奔走する部隊。
なるほど、これ以上汚れたところで大差はない。
周囲を警戒しながら様子を窺っていたエルフの青年も苦笑を漏らす。
「お陰で、私の”人”への認識は日々書き換えられておりますよ」

 毒気を抜かれ、ヴェーダは少し落ち着きを取り戻す。
「アンタには敵わないなぁ…」
そして、困ったように微笑むと、遠慮がちに自分の手をジルコニアのそれに重ねる。
暗に、掴まれた手を外してくれと言いたいらしい。
「その…、いいから、その応急処置の薬やら何やらはアンタの仲間に使ってくれよ。こんな事して貰っても、オレ、何返したら良いか分からないからさぁ?」

 だが、その言葉はピシャリと遮られる。
「いけません。お忘れかも知れませんが、我々は魔法師ですのよ?」
「へ?」
「大丈夫、すぐ済みます」
そう言うと、ジルコニアはヴェーダの傷に手をかざす。
彼女の傍にはヒーラーの素養を持つ部下が立ち、治癒の詠唱を始めていた。
「天地応現、滅菌領域。ヴェーダの血よ肉よ、全ての傷を疾く癒やせ…」
治癒魔法がジルコニアに集約され、ヴェーダの傷に注ぎ込まれていく。
ジワリとむず痒さを伴いつつ癒えていく傷。
ヴェーダは思わず目を見張った。
もはや抵抗する意味はない。
強張っていた身体から軽く力を抜いて、されるに任せる。

 やがて、治療を終えて顔をあげたジルコニアは、穏やかに微笑んで見せた。
「ヴェーダ殿、貸しを作ったつもりなど毛頭ございませんわ。それに、何を返して頂くよりも、アタシたちには、貴方が生きて帰って来て下さる事が何よりですのよ?」

 目をしぱたたかせ、ヴェーダはしばし唖然とする。
だが、小さな声で"やっぱ、アンタには敵わないなぁ"と呟いた。
「生きて帰ってくる…か。そうだな、帰りたい場所があるから、まだ生きて行かなきゃな…。でも、やっぱこれは借りにしといてくれよ、ジルコニア。いつか…返すからさ」
先程までとは違って、少しはにかんだ様子のヴェーダに、ジルコニアはひとつ頷いてみせる。
「借り…という事は、生きて戻って返して頂く事前提ですわね。さぁ、もうよろしいですわよ」
そう言うと、にっこり笑って、ようやくヴェーダの腕を放した。

 癒えた腕を確認するように2度、3度動かしてから、溜息をつく。
「…やっぱアンタ凄いよ」
小憎らしいほど完璧に治っている。
残っている傷もほどなく塞がってしまう事だろう。
治療の力について、彼女は部下たちの力を集めて駆使しているに過ぎない。
だが、その力を集約して自由に使いこなすという事は、それだけの器を持っているという事に他ならない。
邪紋という異質な力を身に宿すヴェーダには、その難しさをよく理解できていた。

 立ち上がると、ゆっくりと遊撃隊の面々に視線を送る。
「生きて帰って…来るさ。その…、いくらでも借りを返すからアンタ達も生きて戻ってきてくれよ?」
懇願…というよりは、むしろ希望。
戦場に於いて、希望的観測…というものに意味はないと解っている。
だが、それに対して彼らは穏やかな笑みを返した。
「大丈夫、我々は死にませんよ」
部下ιと呼ばれる彼は、チラとジルを見て苦笑する。
「なにしろそこの心配性が、先に死ぬ事を許してくれませんからね」
「俺がお前より先にくたばるかょ。俺はまだ戦い足りねぇんだよ」
「少なくとも、まだ死ぬ気はありませんね。私には目的がありますから」

 彼らの言葉を聞きながら、ジルコニアがヴェーダの顔を覗き込んだ。
「いいですこと?貸しはちゃんと覚えておきます。ですから、返しに来ないと…許しませんわよ?」
面食らった様子で、ヴェーダはしばらく眼を丸くしていたが、やがて小さくうなずき薄い笑みを返す。
「アンタやっぱつえーな。分かった、生きて戻って借りを返す。……あんがと…な」
その瞬間、ジルコニアの顔に浮かんだ満足げな笑みが、しばらくの間ヴェーダの眼に焼き付いていた。
「ありがとう、みんな。来てくれると信じてたぜ」

 自らの些細な判断ミスで敵に捕らわれる事になった双剣の戦士ザックス。
とるものもとりあえず駆け付け救出に当たった仲間たちの前で、
彼は深々と頭を下げていた。

「すまない、正直慢心してたみたいだ。魔法具の力に頼って暴れ廻っていい気になってたツケかもな。俺なんてみんなが一緒じゃなきゃ大したことできないんだって再確認したよ」

 幾度も詫びの言葉を連ねようとするザックスを遮ったのは友人である
魔法師ジルコニアだった。
同世代でありながら頭ひとつふたつ小さい彼女だが、その口調は大人びている。
「すまない…ですって?何を仰ってますの、ザックス殿?アタシたち仲間じゃありませんか。仲間が困っていたら助ける。その事に何を謝って頂く必要がありますかしら?」
ジルコニアが微笑みながら、少し窘めるように囁く。
大凡予想していた通りの言葉に、ザックスはちょっと肩を竦めてみせた。
「君はそう言うと思ったよ。だから、助けられたことに関しては謝ってないって。謝ったのはあくまで己への過信についてだ――」
そこまで言って、まだジルコニアが自分を睨んで居る事に気がついた。
周囲の仲間たちも、ちょっと苦笑を浮かべて居る。
ほどなく、自分がまだ少し考え違いをしている事に思い至った。
「あれ、それについて謝るのもやっぱ水臭いのか?まぁ、こういう時は『ありがとう』以外不要ってことだな」
剣士はバツが悪そうにはにかんだ。
素直に訂正するザックスに、ジルコニアは嬉しそうに微笑む。
「そういう事ですわ。ザックス殿には解っていただけると思っておりましたの。失敗は生きて取り返せばいいだけの事。ご自身の反省材料になさるのは大事ですが、アタシたちに謝る必要などございませんことよ」
「そうか、そうだな。ジルコニアは難しいことを解り易く言ってくれるから助かる」
ちょっと説教じみてしまったかなと、ジルコニアは苦笑を浮かべた。
「日頃、難しい呪文や面倒な書類と向き合ってますので、その反動で出来るだけ解り易く話そうとしてしまうのかも知れません…わね」
「いいことじゃないか。副産物っていうか、呪文の勉強や書類仕事を頑張ったご褒美ってことだろう」
ふむ…と、ザックスの意見を反芻してみる。
「ご褒美…ですの?そう言って頂けると、何だかそう思えてきましたわ。難しい事を難しいままにする…よりはいい事かなとは思いますし、なるほど、堅苦しいばかりでは気が滅入ってしまいますものね。うん、嬉しいご褒美ですわ」

 横で聞いていたアルフレッドは、二人の会話を笑いをかみ殺しつつ見ていたが、遂に黙っていられなくなったらしい。
「くくっ、ザックスの旦那は尻に敷かれるな、こりゃ。さぁて、旦那も臭ぇとこにぶちこまれてりゃぁ、水臭くもなっちまうだろうし、景気づけに一杯ひっかけようぜ」
パンと肩を叩いて、笑いかける友人に、二人はキョトンとする。
二人とも、こと、男女間の事に関しては超絶に疎い。
お互いを異性として意識した事もないのだから、何を言われているのか理解できていなかった。
「あ…あぁ、そうだな。みんなに助けて貰った礼をしなければ…」
「アルフレッド殿?アタシ、別に尻に敷いたつもりはございませんわ…というか、それは夫婦や恋人同士に言う言葉ではありませんこと?まぁ、呑みに行くお誘いなら、喜んでご一緒させて頂きますけど…」

 超恋愛音痴の二人の反応に、アルフレッドは顔を掌で一度覆ってからわざと肩をすくめて見せた。
これは今のところ脈無し…と判断するべきか。
「お~お~、若いっていいねぇ」
だが、そこを煽るのも一興かも知れない。
ジルコニアを微笑ましげに見つめてから、ザックスに向けてワザと声を潜めて囁いた。
「旦那も大事にしてやりなよ。じゃないと後が…おっと、食器を投げつけられない内に逃げるとしますか。先に行ってるぜ」
ウィンクをして2人から離れ、酒場の方へと先に歩き出す。
その背中に、見当外れの声をあげたのはジルコニア。
「こ…こう見えても20歳は超えておりますのよ!?あ、逃げますの!?お待ちなさいませっ!アルフレッド殿っ!」

 幼い頃から魔法を操る事を学ぶべく研鑽してきて、更に、遊撃部隊でも最年少のため、周囲から妹のように扱われて箱入り娘状態のジルコニアは、本当に恋愛沙汰に疎い。
そして、これまでの人生の大半を戦いの中で生きて来たザックスも同種だ。
果たして、二人がアルフレッドの意図に気づく日は巡って来るのだろうか?
それは、誰にも解らない。
「アンタなら俺を限界まで戦わせてくれそうだ。魔法師ばかりに囲まれて楽しいか?俺は役にたつぜ?」

 そんな風に言われて、機嫌を損ねないはずがない。
キッと睨み付けたジルコニアにその男は更に凶暴そうな笑みを浮かべた。
サメを思わせるどう猛な笑み、衣類のそこかしこから覗く全身に及ぶ邪紋。
背もさほど高くはなく痩せぎすなのに大きく感じるのは、邪紋のせいばかりではなさそうだ。

「アタシが魔法師だと解っていて仰ってるのなら、随分と失礼な言い草ですわね」
「間違った事は言っちゃいねぇ。アンタなら解るはずだ」

 モノクルの奥の銀瞳が訝しげに男を窺う。
胡乱な男だが、えてして邪紋使いは危険な雰囲気を纏うモノだ。
そしてジルコニアは徐に見えている銀瞳を瞑る。
残されたのは殆ど視力を持たない右の紫瞳。
その瞳には、人に見えない物が映る。

 邪紋に覆われた彼の中に、どこかジルコニアの抱える孤独に近い光があった。
それが何に由来するモノなのかまでは解らない。
ただ、不安は感じられなかった。

「隊長…、どうなさいますか?」

 αが返事を促す。
無礼な邪紋使いを胡散臭いと思っている態度を隠そうとしないのは、彼の意思表示。
勿論、最終的な判断をするのはジルコニアであり、自分ではないという事も承知の上だ。

 強力な魔法を駆使する遊撃隊だが、確かに、魔法師ばかりの部隊は、不測の事態に弱い。
可能な限りの事態を想定し、万全の備えはしているつもりだ。
だが、この世に”絶対”のモノなどありはしないのは確か。
現に、生命の危険に曝された事は一度や二度ではない。

「今のままでは…、どこかで破綻する…と言う事ですわね」
「隊長…」
部下の顔を一通り眺めた後、ジルコニアは再び邪紋使いに視線を戻す。
「よろしいでしょう。貴方を雇う事にいたしますわ」
「ほぉ…、話が解るじゃねぇか」
「但し、我々はアクマで魔法師が中心の部隊です。何事にもアタシの指揮に従って頂きますわ」

 邪紋使いは不敵な笑みを見せる。
従える所までは従うが、それを超えた所で大人しくするかどうかは保証しない…とでも言いたげだ。

「その事を…貴方の邪紋に賭けて誓って頂きましょう。出来ないのならば、話はそこまでですわ」
「う…っ!」

 思わず邪紋使いは呻いた。
身体中に刻まれた邪紋は、即ち自分そのものと言っていい。
それに賭けて何かを誓うという事は、自らの生命と引き替えに…という事だ。
驚くと同時に、愉快そうな笑みが浮かんで来た。
この女、邪紋使いの事をよく理解している。
ただの頭でっかちな魔法師だと思っていたが、そうではないらしい。
魔法師しか使えないのではなく、単に魔法師しか使うつもりがなかっただけ。
しかし、必要とあらば、相手が君主だろうと邪紋使いだろうと、使えるモノは使う意志がある…と言う事か。
面白い。
自分が見込んだ相手は、想像以上に自分を楽しませてくれそうだ。
「いいだろう。俺のこの邪紋に賭けて…あんたに従うと誓おう」
重々しく告げる邪紋使いにジルコニアは穏やかな笑みを見せた。

「そういえば…まだ名前を聞いていませんでしたわね」
「名前なぞとうに忘れた…が、強いて名乗るなら、風…か」
「風?」
「俺は誰よりも速い。そして…俺の邪魔をするモノは全て吹き散らす」
「風…では少々勝手が悪いですわね。今日から貴方を”ウィルバット”と呼ぶ事にいたしますわ」
「うぃるばっと…だと?」
「ええ。アタシの生まれた地方の言葉で"疾風迅雷"という意味ですの。お気に召しまして?」

 ヒュゥ…。

 口笛を吹いて、彼はジルコニアの前に膝を着いた。
まったく、心得た女だ。
「ウィルバット…か。ふん、悪くねぇ。たった今から俺はあんたの牙となり爪となる。存分に使ってくれ」
「よろしくお願いしますわ、ウィルバット」


「それにしても…、いきなり現れた邪紋使いを雇うとは、思いきった事をなさいますね」

 ウィルバットが部屋を出たところで、αがボソリと呟いた。
決定事項は覆らない。
隊長であるジルコニアが決めた事は絶対。
しかし、補佐官としては、苦言を呈したいところだ。 
「あら、面白いじゃありませんの。使えるモノは何でも使いますわよ。それに…、ウィルバットは裏切りませんわ」
「随分と…自信満々…ですね?」
「アタシの目が信じられませんの?」
「そういう訳で…は…、いえ………………解りました」
渋々と云った風情のαにジルコニアは微笑む。
「我々には魔法以外に身を護る術が殆どない。不測の事態の時に、貴方たちを護る者が必要だと思いましたの」
「私…たちを?」
「アタシの遊撃隊は貴方たちが居て初めて機能するのですもの。アタシにとって何より大事ですわ」

 αは息を呑んだ。
遊撃隊の要は言う迄もなくジルコニアだ。
だが、その彼女が自分たちを「何より大事」と言った。
驚くと同時に、こみ上げてくる喜びを顔に出さない事に苦心する。
尤も、当のジルコニアは、さほど重要な事を言ったと思っていない様子。
「邪紋使いがいれば、万が一の場合でも防御魔法の詠唱時間くらいは稼いでくれますわ。そう思わなくて?」
「隊長の決定であれば、我々は反対はしませんよ。例えその判断が間違っていて、もし貴方に何かあったとしら、その時は身を呈してでもお護りし…」
「いけません!」

 ピシャリと言葉を遮られ、αは面食らう。
それほどジルコニアの語調は厳しかった。
「そんな事は絶対に許しませんわ!身を呈してだなんて、口が裂けても言わないで下さいまし!」
「ジ………隊長?」
ジルコニアの表情はいつになく険しい。
「いいこと!?アタシを庇ったりしたら…、例えそれで生命が助かったとしてもアタシは感謝なんていたしませんわよ!絶対の絶対に許しませんの!この事はしっかり覚えていらっしゃい!」
「は…はいっ!」
あまりの剣幕に思わず返事をしてしまっていた。
その時、ジルコニアの目が潤んでいる事に気づく。
しまった。

 元素魔法を暴走させてしまったアカデミーでの事件。
魔法の行使者であるαに襲いかかった炎を止めてくれたのは、他ならぬジルコニアだった。
事が収まった後、力一杯平手を喰らったのだが…。

 あの時の彼女が今の彼女に重なる。
目にいっぱい涙を溜めて、魔法を甘く見るなと怒鳴りつけたジルコニア。
まだ彼女の過去を知らなかったαは、その怒りの意味には気づけなかったが、彼女を悲しませた事だけは理解できた。

 今の彼女の目は、あの時と同じだ。
人を護る事を自分に課したジルコニアに、彼女の盾となって犠牲になるなど、本末転倒も甚だしい。
彼女は自分たちを「大事」だと言った。
αたちを失った家族と同じかそれ以上に大切にしてくれていると知ったのはつい先程の事ではないか。
例えジルコニアを護る事を心に誓っていたとしても、口に出して言ってはいけない言葉だった。
自分の迂闊さを、αは内心で罵る。

「あ…あぁ、悪か………いや、申し訳ありません。軽率でした」

 どうにも自分はアカデミー時代から進歩がない。
αは深々と頭を下げた。

 零れ落ちそうになる涙をその寸前でグイと拭い、ジルコニアは再び前を向いた。
「もうこれ以上…、失いたくはないですわ」
「ずっと…居ますよ。貴方と一緒に、この世界の行く先を見たいですからね」
「なら、生命を大事になさい。無駄に捨てる事は許しません」
「はい」

********************

「貴方が魔法遊撃隊の責任者か?」

 辺境を巡視中のジルコニアたちの元に、突然エルフの青年が訪れた。
尤も、エルフの寿命は人より長いらしいので、本当に若いかどうかは解らないのだが…。
軽装だが、肩当てや胸当ては身体に馴染み、戦闘に慣れている事を伺わせる。
背に負った大きめの剣には不思議な石が填めこまれ、これがただの剣ではないと察する事ができた。
人の目から見ても見惚れるような美丈夫で、スラリとした背は部隊の誰よりも高かった。
恐らく逢うのも初めてだと思うが、一体何の用なのか。

 応対したαは苦笑しながら後方に視線を送る。
「いや、私は補佐官だ。指揮官はあちらの…」
その先に目をやると、エルフは怪訝な顔をした。
「魔法師の部隊と聞いたが、指揮官は邪紋使いなのか?」
明らかに彼はウィルバットを見て居た。

 αは肩を竦めてみせる。
「…の隣に居る女性が指揮官だ」
邪紋使いの隣に座る小柄な女性を見て、更にエルフは感嘆の声をあげる。
「人の年齢は見た目では判らないと聞いていたが…、彼女が年長者か。驚いたな」
噴き出しそうなのを堪え、αは首を振った。
「いや、それも違う。彼女はウチの最年少だ」
唖然としながらエルフは軽く頭を振った。
「……………人の文化はまだよく理解できない」
「基本的に実力先行でね。エルフは違うのか?」
「我々は歳を経るほどに経験と技を蓄積していく。年長者の方が優秀なのが基本だ」

 物資の調達や陣の設営、森の案内などで幾度かエルフの村を訪れた事はある。
だが、滞在しても1日かそこらで、彼らの生活をつぶさに見た事はなかった。
エルフの世界は実力重視でありつつ年功序列でもあるらしい。
なるほど、エルフが長命だというのもあながち噂だけではなさそうだ。

 ジルコニアが立ち上がり、エルフの前に進み出る。
小柄なジルコニアがエルフと並ぶと、まるで大木に蝉…という印象だ。
「遊撃隊を率いますジルコニアですわ。アタシたちに何のご用ですかしら?」
「初めてお目にかかる。貴方の部隊の活躍は森のエルフにも届いている」
「恐縮ですわ。活躍…というほどのものではございませんが…、何か困った事でも?」
「私を貴方たちの仲間に入れて欲しい」
「…は?」
あろうことか、彼は共闘を申し入れてきたのだ。
人とは余り関わらない事が基本のエルフが一体どういう風の吹き回しなのか。

 驚くジルコニアたちにエルフは語る。
近頃、森の精霊たちが混沌によってねじ曲げられているという。
戦線が続く中、人心の不安に誘われるように、混沌が頻繁に出現しているそうだ。
大半のエルフは、自分たちの生活が脅かされなければ、自ら人と関わろうとはしない。

 彼の部族も同じスタンスだが、彼は違った。
人の争いを終わらせれば、混沌の拡大を抑える事ができるのではないか。
ならば、戦いに加わる事で、それを早める助けになれるかも知れない。
そこで、村を訪れた事のあるジルコニアたちの陣を尋ねたのだ。

 領地を中心に動く部隊ではなく、自由にあちこちを飛び回る遊撃隊の方が目的を達するのに有利。
だから、魔法遊撃隊に加わる道を選んだという。

「どうだろう?私は戦士だ。貴方たちの足手まといにはならない。そしてこの剣は混沌を切る事ができる」

 ジルコニアは彼の剣を見やり、再び彼に視線を戻す。
「魔法剣士…という事ですのね。でも、文化も言葉も違う中での生活は、貴方にとって苦痛ではありませんの?」
「私はこうして人の言葉を話せる。狩りや遣いで人の里に行く事も多かったので、不自由はない」
「アタシたちと来るなら、アタシたちの決まりに従って頂く必要がありますわ。それでもよろしくて?」
「構わない。ただ、貴方たちの崇拝する信仰を受け入れろと言われるなら、それは出来ない」
「勿論、信仰を強要などいたしませんわ。安心なさって」

 冷静に言葉を交わし、その様子を観察しながら、ジルコニアはゆっくりと銀瞳を瞑る。
こうする事で、更にハッキリと相手を見る事ができるのだ。
視力を持たない紫の瞳で。
自分に向けられた視線に、エルフは不思議そうに受け止めた。

「貴方は…精霊を見る瞳を持っているのか?」
「精霊?」
「貴方のその紫の瞳は…精霊を映している。普通の人は精霊を見る事などできないはずだ」

 モノクルをかけなおし、ジルコニアは自嘲気味の笑みを浮かべた。
幼い日、自らの起こした炎を御しきれず、瞳は灼かれ、視力を失った。
その代わりに手に入れた不思議な視覚。
相手の心情や敵意の有無、また、闇に紛れた敵や、病を得た人などを知る事ができた。
見えるというより、紫瞳を介して感じとる事ができる…というのが正しい。
言葉では説明できないが、何度この力に助けられて来た事か。

「この瞳は魔法の炎に灼かれたモノ。だから…、人に見える物が見えず、見えぬ物が見えるのかも知れませんわね」
「なるほど。炎の精霊の洗礼を受けたのか」

 今、自分が視て居る物が、彼の言う精霊なのかどうかは判らない。
紫瞳に映る物が何なのか、教えてくれた人は居ない。
けれど、そう言われると何かしっくり来るモノがある。
あの日、自分は視力の代わりに精霊を視る力を得たのだろうか。

「そう…かも知れませんわ。でも、貴方が精霊とやらに護られている事は解りました。優秀な戦士だという事も…ね」
「では私が仲間になる事を…許して貰えるだろうか?」

 一度だけジルコニアは周りの部下を見る。
誰も口は挟まなかった。
ウィルバットの時もそうだったが、表情に出しはするが、言葉に出す事はない。
異種族とはいえど、邪紋使いとは違い、エルフは魔法師に受け入れやすい存在なのだろう。
α以下の8名とも、その表情に不安は見られなかった。

 自分の仕事を取られる事を危惧したウィルバットが微かに舌打ちをしたが、彼も反対の意志を示す事はない。
自分の獲物は自分で得るだけの事。
後方から激戦地まで飛び回るこの部隊で、仕事が減る事はまずありえないと踏んだのだろう。

「では、貴方を雇いましょう。混沌を鎮圧する…という意味で、我々は同じ目的を持つ同志ですもの」
「ありがたい。では、よろしくお願いする」
「…そういえば、まだお名前を伺ってなかったわね」
「エルフとしての名は------と言うのだが、貴方たちには発音が難しかろう。似たような音で呼んでくれて構わない」
エルフの名前は独特で、基本的に人には難しい。
一説には、複雑な魔法の詠唱よりも難易度が高いと言われている。
案の定、彼の名を聞き取る事はジルコニアたちにも困難だった。

「では…、近い音で…"アストワース"。アタシの生まれた地方の言葉で"森を往く人"と云う意味の言葉ですわ」
「了解した。森は我が住処。貴方がそれを選んでくれたのは嬉しい。私はアストワース、よろしく頼む」

********************

 かくして、魔法遊撃隊に新たな仲間が加わった。
前衛職の二人が詠唱の時間を稼いでくれるのならば非常にありがたい。
これで、更に支援がやりやすくなる事だろう。

「護ってみせますわ。アタシの仲間を、アタシの居場所を、アタシの力の全てをもって…」

 我ながら、なんと強欲なのだろう。
こんな小さな存在が、全てを護るだなど烏滸がましい。
そう自嘲しながらジルコニアは空を仰ぐ。
空の色は、幼い頃と少しも変わらず、どこまでも抜けるように蒼かった。
 少女は呆然とその光景を見つめた。
声も出せず、ただじっとそうしている。
燃えているのは、彼女が産まれ育った家と村。
もはやそこに生命はない。
炎は容赦なく、全てを飲み込んで行く。
熱に灼かれた右目は朱に染まっている。
残った左目から滂沱の涙が溢れていた。


「アーキィじゃないか、久しぶりだな」
「ん?あぁ、久しぶり。元気そうで何よりだ」

 遊撃隊チームアライブを統括するαことアークス。
ふらりと立ち寄った酒場で思いがけず旧友と再会した。
魔術アカデミー時代の同期で、条約のとあるロードに仕えているという。

「お前、あのジルコニアの部下なんだって?あの頃からは想像もつかんな」
「そうか?あぁ…そう言えばそうかもな」
「自分より格下の女にこき使われて、よく我慢してるなって思うぜ」
「我慢?」

 昔のアークスを知る彼がそう思うのも無理はないだろう
だが…。

「…格下だと?とんでもない。隊長は私などよりずっと格上だ」
「え?何だって?」

 アークスの呟きを友人は聞き漏らしたようだ。
初めて彼女に逢ったのは、もう何年前の事になるだろう?
グラスを傾けながら、アークスは昔のジルコニアを思い出していた。

 アカデミーに居た頃、アークスは優等生だった。
代々魔法師の家に生まれ、幼い頃から才能を発揮。
一族から将来を期待されていた。
自負もあり、いずれ名のあるロードの契約魔法師として才能を発揮するのが夢だった。
確かにそのはずだったのだ…あの日までは。

 ジルコニアが編入して来たのは秋の終わり。
師であるヴェイスが辺境の村から連れて来た孤児。
名門意識の強い魔法師見習いは、家柄も後ろ盾もない少女など目もくれない。
自分の術を磨き、世界の理を知る事が大事なのだ。
アークスも最初は同じように考えていた。

 ジルコニアは当初、殆ど口をきかず、隅で講義を聴くだけ。
友人もなく、独り図書館に入り浸っていたと思う。
視力が弱く眼鏡をかけ、無造作に延ばした銀髪を背中で括り、ただいつも毅然と前を向いていた。
その姿が周囲には生意気だと捉えられたのかも知れない。

 選民意識の強い上級生が、彼女にちょっかいを出す。
何を言われても、何をされても表情を変えない下級生に、イジメはエスカレートする。
アークス自身は口を挟まなかったし、止めようともしなかった。
そんな事をして何の得になるのかとは思ってはいたが…。

 ジルコニアの成績は可もなく不可もなく、平均。
それを苦にするでなく、挽回しようとする気配もなかった。
むしろ目立たない位置に満足している風。

「将来魔法師になりたいなら、努力しろよ」
「…考えておきますわ」

初めて交わした言葉はこれだけだった。

「うぎゃぁぁぁっ!!」

 駆け付けた時、そこは凄惨を極めていた。
腕に覚えのある学生が、許可なく投影体の召喚を試みたらしい。
現れた魔神は当の召喚者を襲ったのだ。
周囲に居た同輩たちも言葉を失っていた。
教師たちが駆け付けるが、対処できる者は居なかった。

 その時、微かな詠唱が聞こえた気がした。
「汝のあるべき世界へ戻れ。風よ、魔神を押し戻せ」
猛風が魔神を包み、徐々に円を縮めていく。
やがて魔神を押し潰すように空間が歪み、そして消えた。
「今…のは?」
振り返ると、建物の陰に銀色の髪が見えた。

 そんなはずはない…と思いながら、その背中を追う。
「待て!待てよ、ジルコニア!」
「…何かご用?」
「何か…じゃない、今の、お前なのか!?」
「何の…事?」
「とぼけるな!」
「…とぼけてなどいませんわ」
「お前の声を聞いたんだ!」
「気のせいです」

 教師たちですら持てあました魔神を異界へ還すなど、ありえない。
だが、彼女はそれをいとも容易くやってのけたのだ。
何故かアークスはあの詠唱が彼女のものだと確信していた。

「お前、もしかして…、いつも本気を出してないのか?」
「だから…、何の事?」

 ジルコニアは頑として認めようとしなかった。
その時は自分の勘違いかとも思っていたが、彼女の事が気になりだしたのは、この日からだったように思う。
授業の時も、普段の時も、彼女を目で追ってしまう。
とにかく、彼女の本当の力を見たいと願う日々。

 上級生となっても、ジルコニアはいつも通り平均を貫く。
その事を不思議に思いながら、少しずつアークスは彼女との関わりを増やしていった。
周囲は「お前、あいつの事好きなの?」とからかうが、恋愛感情とかではなく、純粋な好奇心に近かった。

「複合元素魔法は非常に強力だが、その分扱いが難しい。充分に注意するように」

 エレメンタラーと呼ばれる魔法師が複数の元素を用いて生み出す魔法。
学生はこの実験にはペアを組んで臨むように指示される。
アークスは自分の相手に迷う事なくジルコニアを指名した。
平均、所謂劣等生をアークスが指名した事で周囲は驚く。
当然、二人の仲を勘ぐる者も居た。

「どういうつもりですの?」
不満そうな声。
だが、アークスは確信していた。
「どうもこうもないさ。お前となら絶対に成功する。そう思ったからな」
「…知りませんわよ」

 それまでの授業では、ジルコニアが炎を操る所しか見た事がなかった。
だが、あの日彼女は明らかに風を操った。
既に複数の元素を扱う事が出来るはずだ。
見極めたかった。
彼女がどれほどの使い手なのかを。
彼女の本気の力を。
どんな事をしても…!

 わざとではなかった。
ただ、心のどこかでそれを望んでしまったのかも知れない。
アークスが生み出した炎は暴走し、自身を危うくさせたのだ。

「風よ、氷よ、アークスを護って!大地よ、盾となりて炎を阻め!」

 立て続けに紡がれる魔法。
あぁ…、やっぱり…。

 翌日、授業に出たアークスの頬には見事な平手の跡があった。
実は師にもゲンコツを貰ってタンコブもあるのだが、それは内緒だ。
医療部の治癒魔法のお陰で火傷は綺麗に治っている。
ジルコニアと目が合ったが、すぐプイとそっぽを向かれた。
怒ってるな。

 師から聞かされた彼女の生い立ち。
彼女は南方の離島の出身だったが、島が海賊に襲われ、両親を含む村人たちは惨殺。
「父ちゃま!?母ちゃま!?ダメ!やめてぇぇぇぇぇっ!!」
双眸が銀に輝き、業炎が生み出される。
炎は海賊たちとその船を容赦なく焼き尽くした。

 怒りと悲しみで、目覚めたばかりの力を揮ったジルコニア。
だが幼い彼女は元素を扱いきれず、力は暴走。
気づけば、全てが灰燼に帰していた。
「え…?あ…?」
炎に灼かれて弱った目で見回すが、いずこにも生ある者の姿はない。
「いやぁぁぁぁぁっ!!」

 ヴェイス師らが駆け付けた時、彼女は焼け落ちた村の中で呆然と座り込んで居たという。
片目の視力をほぼ失い、ただ絶望に打ちひしがれる少女。
師は彼女を協会に連れて帰った。
力のあり方、使い方を教え、彼女に生きる意味を教えるために。

 アークスは興味本位で彼女に関わろうとしていた自分を恥じた。
力を暴発させぬよう己を律している。
自分よりもいくつも年下の少女が…だ。
大き過ぎる力をコントロールするため、常に平静を保とうと…。
彼女は誰かを護る事にのみ力を使うと誓っているとも聞いた。

 それからアークスはジルコニアとパートナーを組む事が多くなる。
彼女はいつも不服そうにしていたが、申し出を断る事はなかった。
やがて、同じように彼女の才能に気づいたイオールやロータスが加わる。
彼らより年下のジルコニアだが、常にリーダーは彼女だった。

 ジルコニアがアカデミーを抜けて、アルトゥークに行くと決めた時、アークスたちも協会を辞す。
彼女はあまりいい顔をしなかったが、今更別の道を行く気にはなれなかった。
彼女の行く先を見たい。
彼女が力を発揮する助けになりたい。
そんな気持ちに突き動かされて…。

 ジルコニアが条約勢力に属したのは理解できる。
彼女の故郷を襲った海賊は、ノルド候の息のかかった者たちだと後に判明した。
そのノルド候の属する大工房同盟に与する道はありえない。
新米の身で行動するとなると、新興勢力の方が受け入れられ易い。

 ジルコニアは才能豊かだが、その力を完全に御せるかどうかの不安があった。
だから有能な魔法師を集めて組織を作る事を考え出す。
彼らの紡ぎ出す魔法を集約し、方向性を定めて巨大な力として撃ち出す。
その要となる人間として、彼女の力は充分な可能性を秘めていた。

 そのための実験を望んでいた彼女に協力を申し出たのがアークスたちだった。
各地を周り、意欲と若さと才能のある魔法師たちをスカウト。
そして、彼らの力を見定めるのは、ジルコニアの紫の瞳だった。
見えぬその瞳は、人の目に映らないものを見る事ができたのだ。

 そして生まれた3部隊からなる魔法遊撃隊。
α、ι、ρと名前を改め、その部隊の長を勤めるのがアークスたち。
ジルコニアを補佐する事が勤め。
彼女が誰かを護るのなら、自分たちは彼女を全力で支えて見せよう。
彼女の補佐である事が彼らの誇りとなっていた。

 近頃、素の表情も見せるようになった。
上司でありながら、妹のように可愛いと思う。
護れるものならば護りたい。
今では部隊の誰もがそう思っている。
そういう意味で、自分たちは同志だ。
よい意味で競い合う仲間。
そして、その中心に居るのがジルコニアなのだ。


「…だろう?」
「え?」

 顔をあげると旧友がこちらを覗き込んでいた。
「何だよ、聞いてなかったのか?お前、もう契約魔法師は目指さないのか?」
「そういえばそんな事を考えてた時期もあったなぁ」
「おいおい、すっかりあのツンツン女の手下になっちまったのかよ」
「そうでもないぞ?笑うと案外可愛いし…」
友人は盛大に眉を潜める。
そんなに過剰に反応しなくてもいいだろうに…。
「お前、本当にジルコニアに惚れてたのか!?」
「いや、妹みたいなもんだけど…」
「あいつが笑うとこなんて、想像もつかないぞ」
酷いな。

 友人はそろそろ仕事に戻ると言って店を出て行った。
最後までアークスの気持ちを理解できないようではあったが…。
「まぁ、理解されなくても構わないけど…」
今の自分には力を揮うに充分過ぎる場が与えられていた。
その事に何ひとつ不満はなく、充実していると思う。

 ふいに肩を叩かれ、振り向くとロータスが立って居た。
「α、そろそろブレイドが戻って来るぞ」
「あぁ、もうそんな時間か。解った、行くよ」
立ち上がりかけて、ふと言葉が口を突いて出た。
「なぁρ」
「ん?」
「隊長に着いて来た事…、お前は後悔してないか?」
少し考えロータスはこう返す。
「そういうお前は?」
「…あの日、決意した事、間違って居たとは思わない」
「なら愚問だな。今更だろう?」
「それもそうか…」
「またヘトヘトになって帰って来るんだろうなぁ」
「ιがか?隊長がか?」
「当然ι」
思わず噴いた。
「まったく、パワフルだよな。我らが隊長は」
「たまに信じられないほどアクティブで、俺たちの方が置いて行かれないようにするだけで必死だ」

 酒場を出ると、既に陽も落ち、見上げる空には星が瞬いていた。
金剛石の輝きにふと呟く。
「ジルコニア…か」
「ん?」
「隊長の名前。紛い物の金剛石…だよな?」
「疑似金剛石…か。いや、俺には真の金剛石に思えるがな」
それを聞いてアークスは思わず笑い出していた。
「はっはっは!お前も相当いかれてるよ!」
「何だよ、それ?」
「後で話すよ。そろそろ行こう。遅れるとιが煩い」

 足を速めるアークスにロータスは苦笑を浮かべ後に続いた。
拠点に向かいながら、アークスは、アカデミーに居た頃と変わっていない自分を思う。
さもありなん。
自分たちは魅せられたのだ。
あの金剛石のような少女に。

番外:
ジル「遅いですわよ」
部下α「すみません…って、ボロボロじゃないですか!」
部下ρ「何があったんです!?」
部下ι「乱戦にパニクって魔神を召喚した馬鹿が居てな」
ジル「条約のお仲間が駆け付けて下さったので大事ありませんわ。ιたちはもうお休みなさい」
部下一同「貴方もです!」
  大工房同盟のイグウスは中立地帯の街で、アルトゥーク条約のジルコニアと出会い、
 陣営は違えど意気投合した。

 「貴方が同盟のイグウス殿?初めまして、アルトゥーク条約、
 遊撃隊指揮官・魔法師ジルコニアと申します。辺境・国境巡回を
 主な任務にしておりますわ」
 「お初にお目にかかる。ジルコニア殿は辺境や国境を回られている
 のですか。この中立地帯も辺境に立っているようだが
 どう見られる?」
 「そうですね。中立地帯とは言えど各勢力の思惑が絡み合っている
 状態。裏で何が行われているか…は察するに余りあります。
 それを噴出させないためにも対策が必要かとは思いますわ。
 イグウス殿もそういった危惧がおありなのでは?」
 「裏のあれこれは、それを束ねたい方々にお任せするとしても、
 表面上はあくまで穏やかでありたいものだな。こういった場所で、
 文化の違いが諍いを生み出してしまうこともある故…」
 「そうですわね。状況さえ違えば、敵対勢力ではあっても、こうして
 語り合う事もできるというのに…。同じ勢力内であっても足を
 引っ張ろうとする者もおりますし、権威と関係のないこのような
 場でも争いは起きますから…」

  その時、酒場で言い争いをしていた酔っぱらいが勢いこんで
 店を出て来た。
 イグウスは苦笑を浮かべる。
 ジルコニアも酒場前の喧噪に眉根を寄せた。

 「こういった場を保つためには暗黙でないはっきりとしたルールが
 必要になだろうが、それを定めるのにも揉めるだろうな。
 だが今こうして話せているように、論をぶつけあうことは決して
 無駄ではないと思いたい」
 「上の方々には何かと利権が伴いますものね」
 「しかしあれはそろそろ止めたほうがよさげだ」
 苦笑しながらジルコニアは酒場の方を振り向いた。
 「そうですわね。さすがに見苦しいですし…」
 タクトを取り出すと、ジルコニアは囁くように詠唱する。
 「大地よ揺らげ」

  酔っぱらいたちは二人揃って豪快に転倒した。
 転倒した酔っぱらいたちは一気に酔いが醒めたようで、あたりを
 見回してバツが悪そうにしながら二人別々にその場を去っていった。

 「見事なものだ。よいものを見せていただいた」

  本気になればこの比ではないのだろう、と思いつつ、イグウスは
 素直に感想を述べる。
 感嘆するイグウスを振り返り、ジルコニアは微笑む。

 「下手に介入して事を荒だてるよりは、気を反らしてやるのが一番…
 そういう事ですわ。単に、人の足元を掬うのが趣味…とは思わないで
 下さいましね?」

 意味深な笑みだったが、悪意はない。
 モノクルの下の銀目が猫のように煌めいた。
 肩をすくめイグウスも笑う。

 「いや、こうして少し話しただけでも貴方にそのような趣味が
 ないことは解る。できれば戦場ではお会いしたくないものだな。
 そろそろ夜も深まる頃合いだ、混沌に遭わぬうちに宿に戻ることに
 するよ。今日はありがとう」
 「アタシも出来ればイグウス殿とはまみえたくありませんが…、
 そうも言えぬのが戦ですわね。敢えて『ご武運を』と申し上げましょう」
 「戦乱の時代とはそういうものだ。またこのような場所で会えたら
 是非再度お話させていただきたい。貴方にも武運のあらんことを」
 「ええ、今日は楽しゅうございました。ではまたいずれ、縁が
 ございましたら…」

  深々と頭を下げると、ジルコニアは部下たちの待つ方へと
 歩いて行った。
 イグウスも頭を下げ、去っていくその姿を見送ると自分も宿の方面へ
 ととって返した。
Twitterゲーム、グランクレスト大戦

  魔法師による遊撃隊を束ねるジルコニア
 彼女の戦歴を、日誌のような形で列記してみよう

2015年2月10日 0:00開始


キャラクター:
 ジルコニア
  アルトゥーク条約・魔法師
  年齢不詳(20代前半)
  身長:152~3cm

 魔法遊撃隊指揮官
 (チームアライブ:α、β、γ、δ、ε、ζ、η、θ) 男性8、女性0
 (チームブレイド:ι、κ、λ、μ、ν、ξ、ο、π) 男性5、女性3
 (チームコネクト:ρ、σ、τ、υ、φ、χ、ψ、Ω) 男性4、女性4

  戦場に書類を持ち込んで、文官としての勤めも放棄できない、
 ワーカホリック
 支援と温泉とお酒が大好き

  幼い頃、住んでいた島が海賊に襲われ、両親は惨殺
 突発的に能力を暴走させ、産まれた村も失う
 その際に生命を助けてくれた魔法師に師事し、アカデミーに入学
 力のコントロールを学ぶと同時に、元素魔法の使い方を覚える

  自分の力が大きすぎるゆえに、直接の攻撃魔法を撃つ事は
 避けている
 暴走を避けるため、部隊の力を集約してその方向性をコントロール
 する事に終始
 幼い日の悲しみを繰り返したくないので、支援と防御に全てを
 かけている

  床に届くほどの銀髪を緩く結い上げている
 右目は紫・左目は銀のオッドアイ
 右目は明暗しか解らず、左目も視力が弱くて片眼鏡をかけている
 現実の物は見えない紫の目だが、あらざる者の姿を見通す
 事ができる

  普段は魔術師のローブを纏っているが、公式の場などには
 アカデミーの制服を着用
 タクト(魔法杖)は亡くなった師匠の形見
 元素魔法の使い手で、地水火風を操るエレメンタラー
 回復魔法はあまり得意でなく、魔法師としての才能は主に軍略や
 戦線維持に発揮される


 ※ 尚、グランクレスト大戦終了まではこちらに加筆しますので、
  コメント等ご遠慮下さい
  質問等あれば、メッセでお願いいたします
  また、「日誌」という形を取っておりますが、覚書的に
  短篇小説状態になっている箇所も ございます。
  語感・語調・表現方法も変わっていますので、
  予めご了承下さいませ